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ここ数日のいろんな事象を見て。

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結月です。

公演が近づく中、5歳児の面倒を看るため、目まぐるしく忙しい日々。そんなわたしに関係なく、社会は、そして世界は動いているのであって、いろんな事象があった。

・オリックスが優勝

特段応援しているチームはないし、それほど野球に関心があるわけでないけれど、どちらかというとヤクルトをなんとなく応援していたわたしはヤクルトが優勝でなくてほんの少しだけがっかりした。

ヤクルトは本拠地が東京であるから、東京が好きなわたしはオリックスでなくヤクルト。そう言えば自分が関西出身であることを忘れていたが、近鉄なら応援していてもオリックスにはあまり愛着がないというどうでもいい話。

ちなみに阪神はそんなに好きでないから、ヤクルトと阪神であったならば気持ち100%でヤクルトを応援する。

 

・ゆたぼん、旅資金がピンチ

学校に行かずにユーチューバーとして生きているゆたぼん。それは別にいいんじゃね、と思いつつ、13歳で自分ですべてを決定して生きていかねばならないことはハードだなと思う。

普通に学校に行っておけば、学校のカリキュラムをこなすことで一日の大半を過ごすことができ、自己決定のプレッシャーはあまりない。

そして高校、大学を出るまで同じようなものであるから、要するに楽なのである。しかし、学校がなく、ユーチューバーとして常に自分のキャラを生み出さなければならないとなると、あと何十年もそうである将来がある。それを思うとその道のりの長さにわたしだったらうんざりしてしまう。

自由とは過酷なものだから。わたしはサラリーマンでなくて、自分で仕事を生み出して生きている身であるけれど、こういう生き方は実は楽でない。絶えず新たなことを考案し、挑戦しなければならず、こういう生活が長く続くことを考えると正直、長生きしたくなくなる。

だから13歳でそんな状況になっているゆたぼんを見て、大変だろうなとちょっと同情する。

 

・ソウルで群衆雪崩

地獄絵図だった。あんな死に方したくないと思った。圧死も嫌だし、仮装の姿で死ぬのも嫌である。

東京や大阪の朝の電車でさえ強烈な圧迫だけれど、その比ではない。

ハロウィーンはなんだか想念が低いというか、品がないというか、きれいじゃないというか、だからああいう群衆化しやすいのだろう。

わたしはああいうふざけ方が好きでないから、ハロウィーンのことはあまりいいように思っていない。

 

・佐藤九段がマスクを外して失格負け

ルールはルールという意見も多いようだが、ルールとは状況の変化に対応させていかなければならないもので、そうでないとそのルールが内容を伴わない意味のないものになるどころか、社会の進歩を妨げる弊害になる。

コロナはすでに屋内であっても会話がなければマスクはいらないと政府も言っているし、将棋なんか一言も喋らず、喋る一言は最後に、

「負けました」

と言うだけである。それなのに対局中のマスクを義務化する将棋連盟は社会の変化を捉えていないのだろう。

とは言え、日本は屋外でもほとんどの人が感染対策として意味のないマスクをし続けているから、日本というのは一度定着してしまったものを新しく変えようという意思が弱く、現状維持に安堵する保守的というか、だらしなさがあるのだろう。

変えようとしない姿勢は「だらしなさ」である。

 

・NHK阿部アナウンサー、不倫

NHKのアナウンサーが局内の女と不倫をしていて、番組を降りたという。

テレビに出ることはイメージ商売だから、イメージが悪くなると不倫男として見られるから朝の番組はちょっとキツい。それも不倫が不潔なものだという日本の文化があるから。これがフランスだとそうはならないのだけれど。

不倫は個人の行為であるからそれが仕事には関係ないんじゃない?と思うフランス的なわたしであるけれど、それも条件による。

単なる女好き、男好きな性癖による不倫であれば、家で待つ身としては辛い。そして同時に不倫もしたくなるようなひどい亭主、悪妻であれば不倫も納得できたりもする。

ともかく、日常を共にする結婚相手なんかよりも不倫のほうがときめくし、楽しいに決まってる。むしろそのほうが健康的なんじゃないかとも思う。

それよりも夫婦で夜に結合しているほうが気味が悪い。新婚ならまだしも、結婚して何年も経って、さらにいい歳になっていて夫婦間で関係があるなんて変態である。それを気持ち悪いと思わないのは異常である。

それであるなら不倫のほうがよほど正常なのだが、不倫はそこに愛が入るから面倒。そこでこじれるから修羅場になったり、仕事を失ったりする。

であるからして、快楽にビジネスライクなセフレが最もいい。男女には愛はないほうがいい。そんなものはどうせ長続きしやしないのだから。

 

・小室圭さん、三度目で合格

三度目も落ちたらネタ的にはおもしろかった小室圭さんが合格。おもしろさを期待していたわたしとしてはちょっとがっかり。

でも、外国で試験を三度も受けることや合格をすることが大変であるのは海外生活をすればわかる。

とは言え、合格は資格を得たというだけの話であって、要はこれからが大変なのである。

日本人は合格して終わりという意識があって、だから日本の大学生は合格したら勉強しなくなるわけだけれど、本来ならアメリカみたいに卒業が大変でなきゃおかしい。

ともかく日本のそんな感覚のせいで、合格するととりあえず祝福になるのだけれど、その資格を生かして本気で生きていくのは大変なのである。

わたしも昨年、旅行業務取扱管理者という国家試験に合格して、旅行業を開業できる身分になった。

確かにこの試験は覚えることが多くて、結構大変だった。しかも社会人で公演の業務がある中での受験勉強だったからプチ小室圭状態だったのである。

それでも合格証が郵送されてときはとても嬉しかった。

しかし、その資格を使って旅行業を始めて、それで収益を上げていこうとするとこれは受験勉強なんかよりもはるかにハードなのである。

そもそも旅行会社なんてどこにでもあるし、大手は強いし、そうした中でお客さんを獲得するのは至難の技。収益化するのはかなり厳しい。それでいて旅行のトラブルなど対処しなければならない問題はとてつもなく面倒。

であるからして、合格はただの資格を得ただけであるから、大したことないと言えば大したことない。本来、合格は話題になるべきものでなく、

「これから頑張ってね!」

という程度のものに違いない。

ともかく、わたしも取得した旅行業務取扱管理者の資格もまだ使っていない。生半可にはできないとわかっているからで、もし開業するならその前にこの資格を使ってどこかの旅行代理店に就職し、ノウハウを吸収してからにする。すると月給までもらえて、ノウハウがわかるのだから最高。何事も現場で覚えたほうが早い。

そう言えば、一昔前、資格ブームがあったが廃れてしまった。それは資格があれば何でもできると勘違いした人たちが現実にぶち当たったからに他ならず、そういう幻想があるのも「合格したら終わり」という日本ならではの雰囲気があるからだろう。

しかし、少子化のため、日本はこれから大学全入時代に突入するらしく、誰でも入れる大学となれば合格ですらシカトされるようになるに違いない。合格の価値の大暴落。

 

とまあ、このように社会にはいろんな事象があるもので、それはすべて人の行い。どんなに馬鹿なことでも、どんなに非難されているものでも、その当事者がいるもので実は当事者はそれはそれで一生懸命生きている。

そして自分もそうであり、そうやって人が集まって社会となり、世界となっているわけであります。

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