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東京・立ち食いそば屋

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結月でございます。

今日は東京。クラシック専門ラジオの生放送に呼ばれたからで、たっぷりと1時間、ジェネオケのことを話してきました。

東京にはちょくちょく行ってはいるものの、用事を済ませたらそのまま栃木に戻るため、東京滞在時間は毎回短い。

とはいえ、栃木在住まもなく4年目でありながら都会気質は抜けることなく、やっぱり東京で地下鉄に乗るとしっくりくるもので、東京にいることの自然さがむしろ栃木にいることの違和感になるのである。

とまあ、愛娘の保育園もあるしですぐに宇都宮方面の電車に乗り込むのだが、今日は電車の時間まで少しあったから池袋駅の立ち食いそば屋に入る。

わたしは立ち食いそば屋が好きなのである。

ちなみにこの間の日曜は上野駅のそば屋に行った。

上野のほうはそばが江戸前でサラサラとし、安いのに実においしかった。今日の池袋は田舎そばタイプでイマイチであった。

大阪でもよく立ち食いは行ったものだが、そばでなく「うどん」である。

関西地方は京都の「にしん蕎麦」を除くと基本的にうどん文化であって、そばなんか食べる習慣は年越し蕎麦くらいなものである。

であるからして、わたしもずっとうどんが好きだったのが、東京に来てから立ち食い蕎麦を食べるようになってそば派になったのである。

しかもそばつゆは関西は透き通るほど色が薄い。ところが東京は真っ黒である。

関西では東京の真っ黒なつゆをゲテモノ扱いするようなところがあって、感性的に「ウゲッ!」という感じ。

しかし、わたしは東京のつゆのほうが好きで、関西風の出汁の効いたものはちょっと鬱陶しく思う。

と、もともとは上方の人間であるのに非国民のようなわたしは東京のほうがいい。

さて、立ち食いそば屋はその安っぽさがよく、値段を気にすることなく、サラッと食べられるのがいい。

東京に来た当初は無職状態で、東京到着してから仕事を探すという駄目人間ぶりで、結局どこも相手にしてもらえず、社会の底辺と言われる警備会社に拾われた。

しかし今にして思えば、当時のわたしは社会性がまったくなかったし、地方の大学に行ってしまったものだから垢抜けてなかったと思うし、そもそも態度が悪かった。しかも社会には役に立たない文学部出であるのだから、あれでは採用されるわけがない。使い捨てブラックの警備会社だったが拾ってくれただけでもマシだと思う。なぜなら、4日間の研修だけでも1万5000円もらえたし、日当払いで1週間ごとに金がもらえたから。

それくらい駄目人間すぎて困窮しており、そのくせ精神貴族でワインなんか飲んでいたのだからいよいよ駄目である。

そんな底辺生活のわたしは巣鴨にあるカプセルホテル兼パチンコ屋の常駐警備に入っていて、夜の8時から翌朝の7時まで警備をしていた。

であるからして、夜巣鴨に着くと、巣鴨駅にある立ち食いそば屋で月見そばを食べるのが日課だった。そして翌朝まで何も食べない。

とまあ、そんなどん底生活の名残もあって、立ち食いそば屋が身に染みている。

あとは性格がセッカチ、正確に言うと関西地方にある「イラチ」であるせいで、注文してゆっくり待つようなのはイライラしてしまうのである。味なんか適当でいいから、早く出せ。そういうわけで、立ち食いそば屋のスピード感が性に合っている。

そう言えば、伊丹十三監督の『たんぽぽ』というおもしろい映画に主人公の宮本信子が死んだ亭主のことを話すシーンで、

「おそば屋さんに着くと、右足の靴を脱いでビールを頼んで、左足の靴を脱いで蕎麦を頼むような人だったわ」

というセリフがあって、江戸っ子気質の短気さがよく表現されていた。

さて、立ち食いそば屋の何がいいかというと、スピード感に加えて、孤食であることである。

立ち食いそば屋は普通、ひとりで行くことが多く、店を見渡しても一人一人が黙々と蕎麦を食べている。

社交下手、人見知り、人間嫌い、引きこもりな性格のわたしには孤食こそ快適であり、よく知る人とサシでする食事も嫌いではないが、孤食を愛している。

食事はひとりでするのが最も自由で、何の気兼ねもなく、そこに猫がいてくれればまさしく至福である。猫がいるから孤食とは言えぬかもしれないが、人間はわたしひとり。

今は5歳の愛娘がいて、晩ご飯は一緒に食べなければならない。正直、これはあまり楽しくない。まず食べる量が違いすぎて、食べ終わる時間にも差がありすぎる。また5歳相手にはウィットが効いたトークは通じない。それでいて放ったらかしにはできないから不自由でもある。メニューも5歳児寄りのものにならざるを得ない。さらに言えば、子供は落ち着きがないから鬱陶しい。こちらは食べた気がしない。

と、5歳児と過ごしているため、東京にひとりでいるとき、孤食である立ち食いそば屋は快感であり、たった数分の食事なのに、

「ふ〜 うまかったー」

と、満足できる。

さて、立ち食いそば屋チェーンではなんと言っても「ゆで太郎」がわたしのお気に入りで、ゆで太郎の朝そばセットを食べることはこれまた幸福である。

富士そばはちょっとわたしのテイストに合わなくて、好んではいかない。

ところでそばにはつゆが入った温かいそばとざるそばがある。

栃木は蕎麦がおいしくて、手打ちそばの店も多く、基本的にハズレがない。

その中でも栃木市出流町にある「いづるや」のざるそばは最高クラスであって、感動的にうまい。

しかしながら、ざるそばはざるそばであって、これでひとつの料理なのである。であるからして、都会の立ち食いそば屋ではざるそばは頼まず、つゆが入った温かいそばに限る。

天かすを愛するわたしは天かすが入っていないそばもうどんも食べられないという偏屈さがあって、「たぬきそば」オンリー。

かき揚げはちょっとデカすぎるし、細切り人参が余計であってあまり好まない。

そう言えば、結美堂が銀座にあるときはその通りに小さくて薄汚いそば屋があって、よくそこに行っていた。この店は薄汚かったがそばは美味しく、かき揚げがよかった。例外的にこの店だけではかき揚げそばを食べていたものだが、先日、久しぶりに銀座に行ったので食べて帰ろうかと思ったら、店にはベニア板が貼られ、潰れていた。

確か、コロナ禍真っ只中のときに行くとさっぱり客が入っておらず、その頃は銀座に人出がなくなっていて、また外国人観光客も来なくなり、気の毒なほどだった。

コロナ前はあんな狭苦しい店でも賑わっていたのに、コロナで客が戻らなかったのだろうか。

あとは小さな店と言っても銀座のグッチの近くにある路面店でそば屋は割りに合わない。

さて、今は栃木でクルマ生活であるから立ち食いそば屋に行けない。やはり立ち食いそば屋は都会的文化である。

東京である。大阪である。

人がごった返すところにサッと小腹を解消するため立ち寄るスタンド。隣の客とくっつくほど距離が近いのに孤食であり、ワンコインでお釣りがきて、食べたあとは数分で食べたことを忘れてしまうほどさっぱりとした関係でいられる。

たとえ常連になっていても店員とは話し込むことはなく、関わり合う面倒がない。

余計な立ち入りがない良さ。これが都会的である。

ただでさえ人が多い都会は無駄な人間関係は少ないほうが心地いい。

孤食こそすばらしい。

最上級なのは孤食に猫がいてくれること。

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