結月です。
年齢に伴って経験が嵩んでいくので、感動がどんどん少なくなっていく。「それ、知ってる」となるからで、知らないことが減るのである。
専門職にしている仕事に対して、専門職の仕事している人があまり感動していないというか、淡々としているのはもはや感動を求めることをやり尽くしているから。すなわち感動とは青臭いものと言える。
であるからして、25歳までに新鮮な感動を得られる行動はしておいたほうがいい。なぜなら、25歳以降はどんどん感度が悪くなってクールになり、小利口になってしまうから。
しかし、25歳までに得た感動は生涯忘れることはなく、いつでもそれを振り返ることができ、歳を重ねてもフレッシュな気持ちになれる。
だから、勝負は25歳までに決まると言ってよろしく、この時期までに何かしらの感動的な体験をしていないとちょっとその先は苦しくなるし、日々愚痴ったり、つまらなそうにしたり、惨めさが漂ってくる。
とは言っても、それでも感動は少なくなるのであり、わたしも随分鈍感になったものだから、よほどデカくて、大変なことをやらないと感動しない。だから公演なんて仕事をやっているのかもしれない。
とにかく、専門分野、あとは自分が慣れ親しんだものには感動しにくくなる。では、感動するにはどうすればいいか?
それは自分の専門分野、得意分野とは異なるものに接すること。自分がやったことがないものに挑戦してみること。
文化芸術系ばかりにいたド文系のわたしは山登りを始めて、今まで得られなかった感動を得ることができている。体力レベルが著しくクズなのに、山に登る。できないことだらけで、だからこそ小さな克服でも感動が生まれる。
というわけで、仕事としては文化芸術をやってはいるものの、わたしはそこから離れたものに興味を持っている。そして最近、
「なんだ、この人は!?」
と、わたしのこれまでの生き方になかったような人を発見してしまったのである。
それは「稲川義貴」という戦闘者なる肩書を持つ人で、零距離戦闘術の創始者だという。
YouTubeで発見して、感動してしまったわたしはかなりの本数の動画を見たが、この人は自衛隊にも接近戦の戦闘術をレクチャーしているらしい。
そんなYouTubeの中でおもしろかったのは、煽り運転で絡んできた人への対処法。
車のウィンドウを開けてしまって、そこから胸ぐらを掴まれたとき、どうすればいいか?
稲川義貴は見事な関節技で仕留めてしまうのであるが、その方法も誰にもできるくらいのシンプルさでわかりやすい。
しかも大きな力を要しないので、女性が知っておいてもいい。
わたしは稲川義貴という戦闘者に感動したのは、いかに戦闘で勝つかであり、そこにはしっかりとしたセオリーがあるということ。
例えば、喧嘩でガムシャラに相手に殴りかかってもそこまでダメージは与えられないし、逆に自分がやられてしまうかもしれない。
こうしたときは頭をクールにして、相手の出方に応じてセオリーでもって対処し、確実にやっつけること。
喧嘩だと頭が熱くなって攻撃はデタラメで、これでは勝てない。
これは戦闘シーンだけでなく、実はビジネスもそうだし、受験勉強にも通じる考え方なのである。
ただがむしゃらに頑張るだけでは成果は出にくい。目の前にある困難に対して、それを対処するセオリーを見つけること。これが大事なのである
何も肉体的な戦闘ばかりでなく、むしろ日常生活ではそういう戦闘よりもいかに仕事をうまくこなし確実な成果を出すか、そういうことのほうが要求される。
ところがどうしても頑張ってしまう。ガムシャラのど根性でやってしまいがちである。
煽り運転の乱暴者に胸ぐらを掴まれたとき、ガムシャラになっても駄目なのだ。まずは相手の親指をつかみ、それを逆方向にひねる。すると肘への関節技が容易に決まり、乱暴者は悲鳴を上げる。
ガムシャラに相手の顔面を殴ろうとしたところで運転席からのパンチなんて効くわけもない。だからここはクールなサバキで関節を取って捻りあげる。
この考え方ができるようになれば、どうしても解決できなかったビジネス的な問題も意外と楽に解決するかもしれない。視点をクールに捉え、クールに対処法を考える。決して頭は熱くならず、セオリーを見出してやってみる。
とまあ、零距離戦闘術はちょっとした護身用にも使えるが、困難なシーンの中でも決して熱くならず、セオリーを見出す考え方を定着されるのにいい。
と、わたしはそんな風に戦闘者「稲川義貴」の動画を見て、感動してしまったのである。
明らかに自分になかった世界だし、行動に「思い」は大事ではあるが、それだけではいけない。
というわけで、稲川義貴著「零距離戦闘術[入門編]」を買って読んでみようと思う。
これからわたしは零距離戦闘術的思考で生きていくことにする。
これでさらに自分をアップデートできる。
今までにない自分。新しい自分。自分の過去を否定する自分。
自分がやってきたことばかりを繰り返していたっておもしろくない。人間は伸び代を失っていくものだから。
ところが一方で、自分が知らない世界は実は大きい。というより自分が知っている世界の方が小さい。
自分の世界から外に出てみること。自分にはない考え方を持つ人に興味を持つこと。すると一気に世界は広くなる。
そこに新たな感動があるのである。