結月でございます。
明日は12月12日のジェネオケ旗揚げ第九公演の会場である東京オペラシティに打ち合わせ。
なぜか栃木にいるわたしは時折東京への用事があって電車で行くことになるのであるが、本当ならクルマで行きたい。
クルマに乗ることが常習化すると電車に座っているのが退屈でたまらず、要するに運転しているほうが楽しいのである。
あとはわたしは電車の椅子に座るとすぐに尾てい骨が痛くなってしまう事情がある。電車だけでなく、映画館でもそうであってとにかく痛いからもぞもぞとやる。
不思議とクルマだけは痛くならない。ということは電車や映画館での座り方が悪いのだろうか。
東京に行くといっても、愛娘の保育園が終わるまでに戻ってこなければならないため、東京での滞在時間はいつも少なく、用事を済ませたらすぐに電車で宇都宮方面に向かう。
毎度のことながら東京の地下鉄に乗ったり、東京の街を歩いていると自分へのフィット感が素晴らしくて、いるべきところはここだと感じて気持ちがいい。
と言いつつ、今更東京へ戻るメリットはあまりなく、気分的なものでしかないが、週に3日くらいは東京、あとは栃木がベストな割合な気がする。
とはいえ、それも猫や5歳児がいると叶わぬもので、ずっと栃木にいる。
しかしながら公演の業務も東京にいる必要はまったくなく、ネットと電話があればできるものであるから、採算性が非常に悪いクラシック音楽の公演という仕事は東京なんかに事務所を構えて高い家賃を払うと割りに合わない。
さて、今日も公演の準備をいろいろ進めていたが、プレイガイドのアカウントが混乱してどれがどれだったかわからなくなって、あーだこーだしているうちに原稿を書くこともできず、必要だと思ってクソ暑い中、法務局まで取りに行った書類も実は必要なかったりして、仕事はほとんど進まなかった。
それでもメールをたくさん送信したりしていて、危うく保育園のお迎えの時間に間に合わなくなりそうになったくらいだったけれど。
そして、明日は東京で、その次は土日で5歳児と終日つきっきりであるから公演準備はできそうになく、
「やれやれ」
と、ため息をつきつつ、相手は5歳児だから仕方がない。
ともかく、両公演とも遅くても7月中旬にはプレイガイドでチケット販売できるようにする。それ以前に、
「チケット買います!」
と、随分前から言ってくれている人もいるので、プレイガイドに先駆けて直売りも行う。
ところでジェネオケ窓口専用ダイヤルのためにiPhone8を中古で買ったわたし。通話専用だからネットはいらず、ガラホでよかったが古すぎて使えないらしい。
というわけで、iPhone7以来のこの小さなサイズのスマホを持つと、
「ちっちゃくて字が読めん…」
と、一気に老眼が加速して近いものがまるで見えないわたしは使いにくさを感じている。
それも普段がiPhone12ProMaxの大画面だからで、これに慣れると小さいスマホは文字を打つにも使いにくい。
とは言っても、基本的に電話通話専用だから思えば小さいほうが重くなくていいかとも思う。
ただ、ProMaxのパワフルなバッテリーと比してiPhone8サイズ、つまりSEサイズはバッテリーに弱さは感じる。これはMacBook Proの16インチとMacBook Airの13インチの差にも似ていて、16インチのバッテリーに慣れると13インチは実に頼りない。
これからチケットの申し込みをこのスマホで受けていかねばならないからスタミナはあってほしい。
とまあ、派手に見える公演も実は仕事は地味。派手なのは公演当日だけ。地味な毎日を過ごす。
そんな地味な仕事ができるようになったのも、音楽そのものについてはわたしはすでに卒業していて、音楽に夢も理想も抱いていないからだろう。それゆえに頭がクールにいられるわけで、そうでないとコンサートの実務なんてできやしない。
昔、まだまだ音楽そのものに情熱的であった頃は音楽そのものばかりだったから、プロデュース力もなかったし、お花畑すぎて現実の運営などできなかった。
今は音楽そのものよりも自分の「行為」に興味があって、自分が音楽を通してどういったことができるかが大事になっている。
その実現のためにはお花畑は禁物。
音楽に理想は抱かず、重要なのは公演が無事に迎えられて無事に終えること。そして演奏者が音楽的エネルギーを爆発させ、来てくださるお客さんが満足できること。
そういう意味でわたしが最も嫌うのは「平和のためのコンサート」とか、「ウクライナのための云々」とかその手のもので、そういうふわふわとした理想に酔うお花畑は嘘臭くて好きになれない。
わたしはチケットを買ってくれたお客さんのことを考える。お金を払った以上の感動が得られたか。会場まで来た価値があったか。目の前にいるお客さんが一番大事。
漠然としすぎた平和なんかより、客席に座るお客さんのために音楽をやる。
音楽なんかで世界が平和になるわけがないが、音楽は客席にいるお客さんの人生をほんの少しだけ変える力がある。