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台風が来ると胸が痛くなる理由

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結月でございます。

公演の主催をやっていると台風ニュースを普通とは違った見方をしてしまう。

それは台風によって公演が中止になったり、もしくはやったとしてもチケットを買ったお客様が来れない事態になること。その日の公演のために膨大な準備をして、PRも頑張って、やっとチケットを買ってもらって、「さあ!」というときに台風なんて来たら主催者はもう泣きたくなる。いや、泣きたくなる以上の失望感、さらに払い戻しなどが発生すれば膨大なお金の損失が出るかもしれない。そうなると泣きたくなるどころか死にたくなる。

そんな主催者がこの台風で出ているであろうことを等身大に想像してしまって、我が身のように恐怖してしまうのである。

昨年はコロナでホールから時短要請されていて、それが解除にならなかったらメインの曲だけに制限し、交響曲を諦めなければならない恐怖の中にいた。幸い、時短要請は公演日の1ヶ月前に奇跡的に解除され、無事に公演はできた。

ともかく、公演は恐怖がつきものである。

台風が来なくとも出演者がコロナになったとか、コロナでなくても病気になったとか、そういう可能性はゼロではないわけで、想像するだけで背筋が寒くなる。怖くて怖くて仕方がない。しかし、こればかりは自分の力ではどうすることもできないから、神頼みしかない。わたしは今日も宇都宮の二荒山神社に立ち寄って、もはや恒例となった参拝をしてきたが、手を合わせ願うことは、

「とにかく、公演が無事に終わりますように」

これだけである。

不測の事態が怖くて怖くてやり切れないから、賽銭投げて拝まないと精神が壊れてしまいそうである。チケットの売れ行きも毎度のことながら大変なことだが、最終的にはとにかく公演そのものが無事に終わってくれることだけを望むようになる。

であるからして、公演が無事に終了すると、音楽的な感動というよりは無事に終えたことの安堵であって、猛烈な緊張感から解放された脱力に体が溶ける。

わたしのように公演が一年に一度で、そこにすべてをかけるタイプは大一番しかないからそういうことになる。このあたりはある程度組織化されたプロオケのように公演回数が多いところとは異なるだろう。

とはいえ、公演回数が多いとしても台風でその公演がお釈迦になると、その後始末は気が遠くなるほど大変であるから、オケの事務局の苦労はこれまた等身大に想像できる。

そんな台風ばかりの日々が続いたようなものが昨年までのコロナ禍で、わたしは運よく免れたが、軒並み公演中止というのは悲惨だった。

さて、あまりニュースは見ていないが、九州は台風が直撃らしい。先週、熊本に行ったが、この台風が1週間遅れでよかった。熊本の音楽祭があったから。あれだけ準備をして台風なんか来られたらシャレにならない。今更ながらにホッとする。

思えば、ジェネオケだって、公演ができるところまで来るのが大変だった。いつしか、ジェネオケ戦記としてまとめたいくらいだ。

公演のための場所は東京オペラシティという極上のホールを運よく確保できたが、そのあとが大変だった。リハーサルの場所がまるでなかったのである。

東京だけでなく、神奈川、千葉、埼玉、すべてのホールに電話をかけた。今回は第九で合唱があるから、普通のリハーサル室は使えなかったからだ。

神奈川の新百合のホールが公演前々日の二日間空きがあるというので、平日、愛娘の保育園を休ませて、愛娘同伴でクルマを栃木から新百合まで高速で走らせた。休ませないとお迎えの時間に間に合わないからだ。それに電話予約ができず、直接でないと申し込めないから、そのタッチの差で他に取られたらいけないから気が気でない。

新百合に着いて申し込み用紙に記入して差し出すと、その日は空いていないと言う。おかしいじゃないか。今朝、電話で空いていると言っていたじゃないか。

でも、ホールの予定帳を見せてもらうと確かに空いていない。空いていないものは仕方がないから諦めるしかない。絶望的な気分を通り越して、頭が真っ白になる。

その数十分後、電話がかかってきて、担当者が12月と11月を間違えていたのという。大変申し訳ないと謝られた。

あともう一つだけ、終日ではないが夜間だけなら空いているホールが中野にあった。すぐに電話し、まだ空いていることを確認し、5歳の愛娘を助手席に乗せ、新百合から中野まで高速をぶっ飛ばす。

到着して大急ぎで事務局へ。その場で即金で金を払い、無事にホールを確保することができた。

ホール事務局では、

「今どこも空いていないでしょう? コロナの影響で本当に場所がないから。みんな、困ってるみたいよ」

と、言われた。

そうなのである。普通ならどこか空いているはずなのである。わたしもそのつもりだった。しかし、コロナのためにこの時期に改装工事などをやってしまおうというホールが多く、使える場所が少ないのであった。

リハ場所を確保できるまで、わたしは生きている心地がしなかった。いきなり公演がアウトになるところだった。しかし第九であったのが幸いした。第九ならみんな弾き慣れている。もしそうでない曲を選んでいたら、夜間のリハだけでは無理だっただろう。

しかし、思い返せば、リハの場所だけでなく、冷や冷やするようなことがたくさんあった。たった半年足らずなのにいくつもの困難をやっつけながら進んできている。新規でやろうとする事業だから特にそうである。フォーマットがない。困難に出会いながらフォーマットを作っている。

この気持ちは起業したり、新規の店舗、ラーメン屋でもコンビニでもなんでもいい、開店に向けてのことやイベント開催などをやったことがある人なら共感してもらえると思う。

だから最終的には無事だけを願うようになる。

毎度、なんでこんな大変なことをやっているのだろう?と自問してしまう。自分でやり始めたことなのに心が折れそうになるときだってある。

でも、助けてくれる人が出てきたり、協力を申し出てくれる人が出てきたりする。1枚でも多くチケットが売れるように知り合いや友達に公演の宣伝をしてくれる人がいたりする。

するとものすごく救われる。頑張らなくてはと奮起できる。

公演とはそうやってたくさんの人に助けもらいながら進んでいくものなのである。助けも要らずにできる公演なんてきっとない。それゆえに感動が大きいのだろう。

だからこそ、公演が無事に終えられることを望む。

これだけいろんな人に協力してもらって、台風が来たり、コロナが猛威を奮ったりで公演ができなくなるなんてことは残念すぎるじゃないか。

でも、本当は公演だけじゃない。いろんなところで、いろんな業種の人たちがその日のために準備をして取り組んでいる。

それがわかるからこそ、台風が来るとどこかで絶望的な気持ちになっている人がいるに違いないと、会ったこともない誰かを想って胸が痛むのである。

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