結月です。
ふとテレビをつけると、エリザベス女王が亡くなったことで献花して手を合わせている日本人がいた。そして、
「エリザベス女王が亡くなって、ひとつの時代が終わったんだなって…」
と、悲しそうな表情である。
なんだか不思議だったのが、これはイギリスではなく、日本のどこかの光景。
エリザベス女王がなくなって時代の終わりを感じるのはイギリス人ならあるかもしれないが、どうして日本のおばさんに影響あるのだろう?
さらに不思議なのは、献花に訪れる人たちがいて、なぜか手を合わせているということ。
「それ、仏教スタイルじゃん…」
と、英国のエリザベス女王に仏壇の前で拝むようになってしまっていて、不思議な国ニッポン。
どうして日本でエリザベス女王に献花して手を合わせなきゃならないのかよくわからない。きっと、テレビに映っていたおばさんはそうすることで自分が英国の王室と同じ気分を味わい、なぜかセレブな気分を求めているのだろう。
しかし、他所の国の女王様が亡くなって仏壇式に献花して拝むのって、あまりに筋が違いすぎてもはやギャクである。
ともかく、世の中には不思議な人がいるものだ。
さて、フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが死んでしまった。スイスで自殺幇助で死んだのだという。
自殺幇助は何年か前にNHKで難病に苦しむ日本人女性がスイスでそれを行う番組を見た。確か姉だったかを前にして安楽死できる薬物が入った点滴のコックを自分で開ける。すると、数秒で静かに亡くなった。
ゴダールも同じようだったに違いない。91歳で精神的に疲弊していたらしい。
ゴダールの映画を見ると、確かに精神は疲弊するようなものばかりだから、自分の創作が自分を苦しめていたということか。
ゴダールらしいといえばらしい。だから、自殺幇助で死んだと聞いてもそれほどショックはなかった。
しかし、ゴダールは明らかに映画を変えちまった人である。
ゴダール以前、ゴダール以後で映画は変わった。同じヌーベル・バーグでもフランソワ・トリュフォーは意外と古典的な撮り方をしている。しかし、ゴダールはジャンプカットなどカット割を時間進行とずらしたり、関連性のないシーンをつなげたり、音楽をいきなり切ったりとどの映画も前衛的。そして映像美。
物語ではなく、表現。ゴダールの映画は展開でなく、そこに表現されたものを感じる映画なのである。
ゴダールの作品はフランスにいる頃にたくさん見た。フランスに行く前の日本では当時、レンタルビデオ(VHS)であって、『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』くらいしか見られなかったが、フランスではゴダール作品が古いものでも普通に上映されていた。
ゴダールの映画はとにかく物語でないから、引き込まれて感動するものでない。なんだかよくわからなかったけど、う〜んとすっきりしないまま劇場を出る。
そんな中、わたしが好きなゴダール作品を思い起こしてみる。
・「勝手にしやがれ」
・「女は女である」
・「女と男のいる舗道」
・「はなればなれに」
・「アルファヴィル」
・「男性・女性」
・「パッション」
・「カルメンという名の女」
・「新ドイツ零年」
・「ゴダールの決別」
・「フォーエヴァー・モーツァルト」
・「さらば、愛の言葉よ」
といったところだろうか。
ゴダールの映画は詩であり、絵画であり、美であるものが多い。晩年の「さらば、愛の言葉よ」になると美しかない。
思い出深いのは「フォーエヴァー・モーツァルト」。これはちょうどわたしがリヨンにいた時にフランスで劇場公開された。
ボスニア紛争のシーンがあって、赤いドレスを着た女の前に映画撮影のキャメラがあり、女は芝居をするが、監督は、
“Non”
を繰り返す。確かそんな場面があった。
なんだかよくわからない映画だったが、ラストはモーツァルトのピアノ協奏曲の第二楽章。あの美しすぎる演奏で呆気なく映画は終わる。それがゴダールに馬鹿にされたような気分になるのである。
さて、ゴダールが死んで、「エリザベス女王が亡くなってひとつの時代が終わった」なんて呟くおばさんのような気分にならないのは、ゴダールの時代はもう随分昔に終わっていたから。
ゴダールは映画の手法として革命を起こした人であるが、映画というのはそうした革命児によって新しい表現が更新されていく。
もちろんそんな革命児は数少ない。数えるほどしかいない。でも20年に一度くらいは出てくる。
ゴダール以降では、例えばリュック・ベッソン。『ニキータ』の登場は映画を変えた。そして『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟。この2人は映像としてまったく新しいことをやった。今やそれらはスタンダードになっている。
ただゴダールほど映画が詩である監督は見当たらない。だから『ニキータ』や『マトリックス』のコピーやパロディはたくさんあるけれど、ゴダールのそれはない。あれはコピー不能なのである。
そんなゴダールは91歳まで生きた。そこまで生きると自殺幇助であってもその死に驚かない。
わたしは長生きがいいのかはわからない。でも、91歳まで生きればもういいだろうと思う。
そして、人間は突然死もするわけであるが、若くして死んでしまうと老いぼれの姿をさらさずにいられるという良さもある。わたしは耽美主義であるから、特に美人が老いるのを見るのが辛く、美人は早死にがいいのではと思う。
美しい人は美しい姿の記憶のまま死んでほしい。三島由紀夫的な考え方である。
一方で、女という人間と考えれば、美しい人が年老いていくことでその人が円熟させる人生観や生き様も素晴らしいとも思う。表には一切でなかったが原節子はその最たるものだろうし、まだ生きているが岸恵子もそういう人だ。
そういえば、エリザベス女王は享年96歳。
いずれにせよ、人はすべていずれ死ぬ。