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5歳児にとって千と千尋はホラー映画だった。

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結月でございます。

今日はDVDで借りていた『千と千尋の神隠し』を5歳の愛娘と観る。

2001年となっていたので、もう20年も前の映画だったのか。劇場公開されたときは渋谷の映画館で観た。

あれから20年経って、結構自分は成長した気もするし、それほど変わっていない気もする。成長したと思えるのは、当時に比べると今のほうがこれでも性格が良くなった実感があるから。20年前はもっと最低最悪な人間で、今以上に性格が悪かった。同じ人間であるはずの自分がそう思うほどなのだから、よほど性悪であったには違いない。

さて、千と千尋に5歳児は泣きっぱなしであった。登場するキャラクターはお化けみたいなものばかりだし、冒頭で親は豚になるし、虐待っぽい婆さんは出てくるしで、怖い映画だったようである。

「じゃあ、観るのやめる?」

と訊くと、

「いちおう、みる」

と、結局最後まで観て、エンディングクレジットの歌がよかったのか、聴き入っていた。

ともかく、結構泣いてしまって、デカい顔の湯婆婆は特に怖かったようである。しかし、腐れ神が千によってきれいになり、湯婆婆に抱きしめられたときは泣きじゃくって、それはうれしくて泣いたそうである。

また、しきりに、

「お父さんとお母さんはどうなるの!」

と言われてしまって、親が豚のままでいることが怖かったと見える。

さて、この映画はつまり不思議の国のアリスであるけれど、20年ぶりに観て、いい映画だと思った。20年前もいい映画だと思った。

興行収入では『鬼滅の刃 無限列車編』に抜かれてしまったが、鬼滅は連作であり、4作目としての盛り上がりがあったためであろうし、そもそも鬼滅は少年ジャンプ原作であって映画としてはオリジナルではない。

だから、純粋に映画で考えるなら、千と千尋はオリジナルである作品で、興行収入を鬼滅と比較するのもちょっと土俵が違う気もする。

ところで千と千尋が5歳児にとってはホラー映画に見えるという5歳児視線がよくわかった。なるほどなと思った。小さい子供といると視点が下がって見えるから新たな発見がありおもしろい。

不思議の国のアリスという見方をすれば、大人にとってホラーな不思議の国のアリス的映画は何と言ってもルイ・マル監督の『ブラックムーン』である。

これはかなり気持ちの悪いシュールな映画で、芸術を通り越して気持ち悪さが勝ってしまった映画で、5歳児にとって千と千尋は大人にとってのブラックムーンだったのだろう。

ルイ・マル監督といえば、何と言っても『死刑台のエレベーター』。フランス映画なのにマイルス・デイビスのジャズトランペットが使われ、故障したエレベーターに閉じ込められてしまうという単純さでありながら、強烈なサスペンスに仕上がった名作。

あとは『地下鉄のザジ』。名作かどうかはわからないが、映画史として考えると画期的な映画で、いわゆる映画らしい映画をぶっ壊した。

そして『さよなら子供たち』。ナチスの占領下にあるフランスの話で、地下鉄のザジとはまるで違った映画らしい映画。ものすごくいい映画。

そんなルイ・マル監督がなぜか撮ってしまったのが『ブラックムーン』で、映画をストーリーでなくシュールリアリスムな描写を徹底的に試みた作品。芸術的なことをやろうとしたのだろうが結果として気持ち悪さ満載で、途中で観るのが嫌になってくる。

しかしながら、わたしは『ブラックムーン』をVHSで持っていて、気持ち悪いといいながら3回は観ている。3回観ても感動するような内容ではなく、3回目で気持ち悪さは慣れてくるものの、

「時間の無駄だったかな…」

と、観たあとにちょっと後悔する。

そういえば、ルイ・マル監督の代表作に『鬼火』があった。あまり内容は憶えていないけれど、『死刑台のエレベーター』と同じく主演はモーリス・ロネ。

『地下鉄のザジ』のより後の映画だけれどモノクロ作品で、暗い内容だったからモノクロで撮ったのだろう。

内容は憶えていなくても思い出深いのは、リヨンでやっとのことでアパルトマンが決まり、ホッと一息できた頃に夜に映画館に出かけてこの映画を観たから。

映画が終わったのは夜の10時くらいで、確かレピュブリック通りにあった映画館を出ると通りにもベルクール広場にもほとんど人は歩いていなかった。

そんなことを思い出すと、今すぐにでもリヨンに行きたくなってしまう。若い頃に経験したことは忘れられない。感受性が豊かでかつ敏感であったし、知らないことばかりで未経験なものすべてに感動を得られたから。

次第に感受性も鈍くなり、未経験のときめきが少なくなってくると自分にとって初めての土地もそんなには愛着を持たないもので、いつでも思い出せる価値にはなかなかならない。

ずっと地元生活のマイルドヤンキーでなければ、きっと誰しもそんな心の故郷があるものである。

わたしの場合は、未成年まで過ごした京都、そして熊本、あとはパリ、リヨンであろうか。

これらの四都市はいつ訪れても記憶が蘇る場所で、歩くだけで「あの頃」がフラッシュバックして眼球を見開くようになる。

思えば、当時はスマホもネットもなかったので、常にアナログで、自分の目で生きていた。

もしあの頃の年頃を今のようなネットの利便性があれば、これほどの思い出にはならないだろう。海外にいても日本の情報はいつでも見られるし、リヨンで部屋を探すのもネットでできる。昔みたいにすべてのことが体当たりのフランス語で、情報は口コミ。今からすれば不便極まりない時代で、だからこそ視線はスマホではなく、常に肉眼によるものだった。

映画だってフランスフランをポケットに入れ映画館まで行っていたわけで、今ならフランスに居たってNetflixで見てしまう。それでは感動はないし、記憶に残る風景もない。

さて、昨年の公演が終わったらちょこっとフランスに行きたいと思いつつ、そしたらオミクロンが騒ぎ出して、結局栃木にいることになった。さらに今年に入るとすぐにまた公演の企画が立ち上がったからまたしてもフランスに行けるとするなら公演後である。

しかし、フランスは日本と違って街ではマスクもしていないらしいから行きたい気持ちがある。マスクをするフランス人ばかりのパリやリヨンは気味が悪くて楽しめない。でもやっといつものフランスに戻っているとなるとパリ、リヨン、マルセイユ、ナント、ボーヌに行きたい。

鮭が戻るように思い出が深い土地には戻りたくなるのである。

そう思いたくなるほど、随分遠くまで来てしまった。

1ヶ月だけでいいから、リヨンでひとりで過ごしたいものである。

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