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ナタリー・バイ、LOVE!

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結月でございます。

近頃なんだかフランソワ・トリュフォーなわたしは『アメリカの夜』をVHSで観てしまった。

「観てしまった」と言っても、もうこの映画は何度も観ていて、数えてないけど40回は確実に観ている。

リヨンの映画館で初めて観たこの映画。映画を撮る映画で、トリュフォーの映画愛がたっぷりな作品。

ここではナタリー・バイが出ていて、スクリプター役。

ナタリー・バイはわたしが超絶好きな女優で死にたいくらい好きっ!

やっぱりトリュフォーの『緑色の部屋』が最高で、もうあのナタリー・バイには死にたい。

トリュフォーがスクリプター役で起用したり、ヒロインとして出しても主人公、しかもトリュフォー本人に仕える立場で使ったりと、つまりトリュフォーはナタリー・バイのような右腕が好きだったんだよね。

その気持ちはすごくよくわかる。

芸術などクリエイトする仕事で、ああやって忠実に、確実に、黙っていてもやってほしいことをやってくれる有能な右腕ってたまらないから。

それは事業でもそうで、秘書なんてそういう能力だよね。社長が秘書とできちゃうのも、社長にとってはそうやってサポートしてくれる女がいるとそれはもう好きになっちゃうんだよ。

ナタリー・バイは出すぎたところがなく、そういう役柄にぴったり。

もう70歳を超えていても、やっぱりチャーミングで、もし目の前にナタリー・バイがいたら、わたしは感激しちゃって、

「好きです」

って本気で告白しちゃう。70歳過ぎていても、好きって言っちゃう。

さて、どういうわけか近頃なんだかフランスのことを思い出す。

だからトリュフォーの映画なんか観ちゃってる。

フランスでの思い出はわたしの中で最もときめいて、いつまでも美しく、今だってすぐにフランスに行きたいと思うくらいで、そういったものがある自分は幸せだと思う。

感じやすい年頃に、最も憧れていた場所に行けて、フランスでの日々は毎日フランスの空気を全身の皮膚で吸収していた。

人間は経験が増えると感度が落ちてしまう。だから、若いときに感じることが必要。

自分が生活してきた場所に今になっても戻りたいなと思えること。それはひとそれぞれだろうけれど、わたしの場合はフランスで、あとは未成年の頃に過ごした京都の団地群。

中国でもいろんなことがあったとはいえ、そこまでの気持ちはない。やっぱりフランスほどの幼少の頃からの思い入れがなかったし、自分が心底から求めている種類の文化とは違ったものだったからだろうなぁ。嫌いではないけど、フランスほどじゃない。

東京もそこまではない。

銀座での日々は今思い返すと、辛いものばかりだった。いやいや、おもしろいことはたくさんやったけどね。でも、それは辛さの上のおもしろさだったわけで、だから銀座を離れても正直、銀座にはあまり訪れたくない。

ともかくわたしはフランスで過ごしたことが今でも新鮮なものとして生き生きとしている。

もし、今だったら最悪だと思うのは、コロナなんかで閉鎖的な空気であれば、そんな思い出にはならなかっただろうから。

コロナで留学を断念したりする話もあるし、それは気の毒としか言いようがない。

留学できる感性抜群の年頃にコロナで自粛なんて、人生がつまらなさすぎる。

わたしはコロナ程度のことで社会がここまで萎縮していることをものすごく憂えているのだけれど、それはコロナ程度のことで人生の躍動を制限されてたまるかという反骨の気持ちがあるから。

コロナの実情と人生の素晴らしさを謳歌できる機会の消失があまりにも釣り合いが取れていない。

とはいっても、過剰に恐れるひとは自分で自分の人生の楽しみを否定するのだろうし、それはそれでという気もする。

日本においては、よほど高齢化、持病がいないと確率的には死にはしないし、その証拠にほとんどが無症状か軽症だし、なんでそんなに怖いのだろう?

わたしは感染したって「まあ、仕方ないか」くらいにしか考えておらず、だってウイルスってそんなもんだし、死生観も自分に確立できているからどうってことない。

きっと「恐れる」というのは死生観がないからなんだと思う。

そういう意味で、わたしはいつ死んでも取り乱さない準備ができている。ただちょっと今死ぬのは娘も小さいし、猫は3匹いるし、それは困るかなという程度で、死そのものへの認識はできている。

それも一番行きたい時にフランスに行けたせいもあるかな。

だって、あんな素晴らしい思い出があるのなら、死んでも後悔はない。

欲を出せば、楼蘭に行かないと死にきれないけどね。

そして、前向きに行きていれば、コロナ程度のことは怖くないものだよ。

そんなの、前向きにやりたいエネルギーが弾き飛ばすから。そして、冷静に判断して、これは確率的にも大したことないなと思えて、怯えることがない。

これはもう哲学だね。

そんな哲学の有無が、コロナに怯えるか否かに出てくるのだよ。

伝説的AV監督の村西とおるさんなんかすげえよ。借金50億、アメリカで懲役370年求刑、その他諸々の修羅場を経験し、今は、

「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ、俺がいる」

なんて本まで出して、コロナなんて恐るるに足らずと発信している。

つまり、コロナ程度に怯えるかどうかは、あんたの人生で修羅場があったかどうか、それと対峙して生き抜けてきたかどうかなんだよ。

怯えるっていうことは、過酷を経験してないってことだから。その程度のことしかしてこなかった人生なんだよ。

「もうこれで自分はおしまいかな」

と、本気と書いてマジと読むほどの経験。そういうものがあればね、人間はタフになるものなんだよ。

そういう意味では、わたしも銀座が辛かったと思えるほどの幾多のヤバさを経験したからコロナなんて気にせず、ケロッとできる。それにしっかりとしたリテラシーがあれば、冷静に分析できて、怖さという感情は持たないけどさ。

かかっても無症状や軽症のウイルスなんてどこが怖い? そんなもん、これまでの危機に比べれば、蚊に刺される以下のものだよ。

そうなると人間は強くなれて、何事にも前向きになれる。恐れることは時間の無駄で、ポジティヴに生きていける。

そして、そんな本気の危機の経験の中に、フランスでの日々がいつまでも新鮮に輝いてる。

今になっても40年前のトリュフォーの映画を観て、

「やっぱりいいよね」

なんて言いながら、幸せになれてる。

陰と陽。

それが明確に分かれた経験を持つことでタフになれるよ。

中途半端にどっちつかずで、無難な人生っていうのはね、つまんないものなんだよ。つまんないからこそ、つまんないものに怯えるんだよね。

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