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訊かれて初めて考える

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結月でございます。

今、自分がやっていること。いろいろと考えてやっているつもりのことでも、

「どういうところが?」

だとか、

「何をアピールしたいか?」

なんて訊かれると、意外に自分が具体的に考えてないことのい気づいたりする。

まったく考えていないわけではないのだけれど、漠然としていて、もしくは輪郭のはっきりしないエネルギーはあるが言語化できていないことがわかる。

そんな問いかけに答えようと考える。すると、今さらになって自分がどうしてそれをやりたいのかがわかってきて、言葉になる。つまり、人に説明できるようになる。

だから、自分ひとりだけでいるといけないもので、何も問いかけてくれない他人といるのもよくなくて、シビアにバシッと訊いてくれる人がいてからこそ、自分の思考は深くなる。

人に伝える仕事は、どんな質問にでもそれなりに答えられるくらい自分の中で整理整頓されていなければならず、しかしコアとなる魂というか、そういうエネルギー体があってこそで、それがないとただ薄っぺらいだけの説明的言葉になって人の心を打つことができない。

とはいえ、難しいのは下手に言語化するとつまらなくなることがあって、なぜなら人間の魂を正確に描くには雑すぎるというか、単位がデカい。

そういう場合は、語らずとも「感じら」れると助かるが、その能力をすべての人が持ち合わせていないから、できるだけそこに近づくために言語のための描写が必要になってくる。

思えば、音楽、特に純音楽はなかなか言語化できない部類ものもである。ロック歌手のように歌詞を絶叫すればその意味もわかりやすいが、純音楽は音だけの表現だからわかりにくい。

わたしも音楽をやっていたせいか、音楽的に漠然と捉えるところがあって、例えば企画書を書けと言われるとまるで書けない、というかものすごく下手くそである。

説明しろと言われると思考停止になってしまい、脳みそが働かない。だって脳みそで考えていたものでなく、ハートとか魂で感じて行動しているから。

でも、それじゃ、社会ではやっていけなくて、わかってもらうためにちょっとは脳みそが使えるようにはなってきた。

それはやっていることの「意味」を尋ねられることが増えてきたからで、自分勝手でなく、他人に伝わることを意識しての結果なのである。

「すげえんだから、すげえんだよ」

思わずそういう言い方をしてしまう。これは実に音楽的。頭を使っちゃいない。

でも、そう言われたって何がすごいのか相手は理解できない。

とはいえ、思いのほか当事者というのはそういう言い方をしてしまうもので、それがタコツボ化というか、マニアック化というか、要は身内だけのわかり合える話、しかもフィーリングで、

「だよね、だよね」

となるような話ばかりで、要はそれ以外の人にはわかってもらえない。

そんな当たり前のことがわたしにやっとわかるようになって、魂を持ちつつ、アプローチはたくさんの人にわかってもらうやり方をしなくちゃね、と思っている。

要するに左翼のデモ行進みたいなものは駄目ってこと。

本人は真面目にやってるつもりでも、それを見る人は、

「うぜえし、うるさい」

としか思われちゃいないから。

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