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コンサート企画に興奮して眠れない。

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結月でございます。

わたしには今、やりたいコンサートの企画が二つある。一つは室内楽。もう一つはオーケストラ。

オーケストラのほうはマグナムダイナマイトで強烈な内容。これはコロナ禍だからこそやりたいウルトラエキサイティングな企画で、これはぶっ飛び度1500%。

逆に言えば、コロナがないとコンセプトが生きてこない内容で、コロナの鬱憤、それは世界規模の鬱憤をぶちのめすスーパーダイナマイトなもの。

この企画のイメージはもうわたしの中ではバッチリできあがっていて、それを空想すると興奮して眠れない現在0時10分。

しかし、これは企画が巨大すぎて簡単ではなく、実現可能率は今のところ20%以下だと予測する。

様々な条件がドンピシャで揃わないと実現できないからで、その条件もまだ出揃ってない都合もあり、まあ夢段階だと言ってもいい。

でも、これが開催できたら核兵器並みの破壊力だと確信していて、とにかく興奮して眠れないのである。

と、内容はまだまだ言える段階でないけれど、このコンサートがやりたくて自分で悶絶しそうだったから、フルート吹きの旧友に電話して話した。

人に話すのは初めてで、まだ自分の腹の中に留めていようと堪えていたが、とにかくエキサイト状態だから誰かに話したくて我慢できず電話した。

「まったく、この企画、たまんねえよ。マジ最高だよ。クレイジーだよ。ぶっ飛んでるよ」

と、自分で恍惚となるのはモーツァルトの交響曲を6曲やった時以来で、でもあのときはわたし個人がやりたいことであったのに対し、今回は社会性を帯びていて、コロナに対する激しい怒りがある。

それはウイルスに対してではなく、そのウイルスに翻弄される人間の愚かさや理不尽への怒りであって、それは政治的なものはもちろんのこと、コロナ差別や自粛警察など市井のレベルも含めてのこと。

きっとそういう怒りみたいなものはわたしだけでなく、多くの人が持っている感情であり、音楽でそれを解決はできないにせよ、音楽を通してコロナでもたらされた不条理に対して言葉以前の爆裂を魂にもたらしたい。

そんなことで世の中が変わるわけではないけれど、少なくともその音楽を体感した人は逞しく生きていけるに違いない。そのきっかけにはなるはずだ。

と、社会に向けての音楽をこの企画でやりたい。

とは言え、まだ実現率は20%以下。いや、10%もないかもしれない。大きな条件のひとつが駄目ならたちまち「不可」になる。

それをクリアできたとしてもスケジュールの問題もある。

でも、これはやりたい。どうにかしてやりたい。

そんな気持ちでいると興奮して眠れない。まだ何も始まっちゃいないのに、こうしたらどうか、ああしたらどうかなどを考える。考えようとしていないのに考えちゃう。

そして居ても立ってもいられなくなり、部屋のリビングでスクワットをしたりしてしまう。アホだと思いつつ、スクワットをしないと落ち着かない。とにかく、今すぐにでも動き出したい。

音楽は不要不急だからこそ、ダイナマイトなエネルギーになるのである。

必要とされるものは必要だから合理的に進められるから効率が大事となり、激しい慾情にはつながらない。

でも、人間はそれだけだと生きていけない。いや、生きていける。大半は生きていける。生きてはいけるけれど、それだけだとつまらないのである。魂が震え上がるような感動を得てこそ、人間は躍動する。

コロナワクチンは必要なもので、それこそ不要不急と真逆なものであるのにうまくいっていない。おそらくそれは官僚が、政治家が、というより日本全体が不要不急のダイナマイトなエネルギーを持っていないからじゃないか。

そんなエネルギーの後押しがなく事を進めようとしているからワクチンの供給がうまくいかないのじゃないか。

官僚や政治家にエネルギーがないのではなく、彼らを含めた日本全体がエネルギーがないのであって、その不手際を官僚や政治家のせいにするのは鏡に映った自分の姿に向かって野次を飛ばすようなものだ。

不要不急なものだからいい加減に付き合うのではなく、不要不急だから本気でやる。そうでないと薄っぺらなものしかできやしない。なぜなら、それは不要不急だから。

と、そんなことを考えて、また眠れない。

でも、こうしている自分を見て、わたしは自分に若さを感じる。若さが漲っていると思う。溌剌としている。

やっぱりこうでなくちゃいけない。

そう自分に思う。

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