結月でございます。
Apple Watchが前から気になって現物を何度か見に行ったが、そのたびに、
「これは使わないな…」
と、買わずに帰ってくる。
まず充電が毎日必要であるのと、LINEやメッセンジャーができてもキーボードがないから時計に向かって喋って文字変換という。これはまるで昔のウルトラマンの地球防衛隊みたいでちょっと恥ずかしいし、精度が良くなってはいても変換ミスもあろうから誤字のまま相手に送るのも嫌だなと思う。
健康管理機能は心拍数を知ったところであまり意味はなさそうだし、睡眠時間なんてバラバラだから知っても仕方がない。
電車のない栃木にいるから定期券は使わないからPASMOもSuicaも要らない。
電話だってスマホで出ればいいし、やっぱり地球防衛隊みたいに腕に向かってというのは気が引ける。
というわけで、あんなものはあっても使わないどころか、無用の長物であり、ただあれを付けているとちょっとナウな感じでいいかなと思うだけ。
しかし考えてみると、Apple Watchを買うくらいならまともな時計をしているほうがいい気がした。わたしみたいに普段がみすぼらしいルックスである人間は時計くらいまともにしておけば人と会うときに説得力はあるのではと思ったのである。
友禅の着物を着ているときはよかったが、今は栃木でわたしが着る環境にないから訪問着を着るようなことがなくなってしまった。
と、この間、宇都宮にある時計専門店にオメガの正規取扱店があったから覗いてみた。オメガといえばコンステレーションである。でも最新のモデルを見せてもらってもあまりピンとこなかった。わたしは基本のデザインは同じでも昔のタイプが好きなのである。
それは中学生の頃に通っていた塾の塾長がしていてシルバーのオーソドックスなやつである。塾長はデブでブサイクで、女にモテない典型のような男でお母さんが必死に見合い相手を探していた。そんな見るからにダサい塾長であったが、志望校には合格したし、お世話になったなと思う。
でも、中学生にとって本物のオメガは憧れであり、あの時計がほしいなと思っていた気持ちが今もあり、最新のオメガ・コンステレーションよりもあの頃のコンステレーションがほしい。
早速ネットで調べると、楽天などに中古で取り扱われていて、その写真を見て、
「ああ、これこれ。塾長がしてたやつ」
と懐かしい。
お値段は10万くらいで手に入る。オーバーホールは5万ほどでできるからまあ15万円くらいか。
と、普段があまりにもみすぼらしいわたしはオメガのコンステレーションをしようかと思った。
しかし、実はブライトリングのクロノグラフを持っていて、すでにいい時計は持っている。
それを久しぶりに引っ張り出して腕に巻きつけてみたが、30分で嫌になってしまった。
まずブライトリングは重い。クロノグラフだからなおさら重い。まるで手錠をかけられたようである。それにMacBook Proをタイミングすると時計が当たってカチカチする。
さらに猛暑であるから腕に巻きつけているものが暑苦しい。
とまあ、そんなわけで30分で外してしまった。
腕時計をしなくなって随分経つ。スマホ以前のケータイ、さらにもっと前のPHSを持ち始めてから腕時計は要らないものになった。だから街を歩いていても、東京の地下鉄に乗っても腕時計をしている人はそれほど多くない。
やはりつけないことに長年慣れると腕時計も鬱陶しくなる。
というわけで、塾長がしていたオメガのコンステレーションを買っても使わないことになりそうで、買う気もトーンダウン。
それに毎日、猫と一緒に引きこもって仕事しているから外に出ない。そもそも腕時計で時間を見るような生活をしていないじゃないか。
腕時計はやっぱり営業アイテムで、時間を見るというよりはネクタイと同じで人をまともそうに見せる役割である。後はステイタスを人に見せる。
安物の時計をしていればステイタスのある人間には見えず、ヒラの外回りの営業だと思われる。
その逆にパテック・フィリップをしていれば、さりげないのにハイソであることを主張する。
ロレックスは成金っぽくて嫌らしい。
これは男も女も同じであるが、女は男より時計にハマる人は少ない分、女で洗練されたいい時計をしているとちょっとカッコよく見える。しかし、意外と腕時計というアイテムをキメられている女は少ない。
逆に女でセイコールキアくらいだと学生とか、就活生っぽく見えるから社会人でルキアだとちょっと貧乏臭く見える。
ともかく腕時計はその人を物語る一面がある。
というわけでオメガ・コンステレーション塾長モデルがあってもいいと思ったのだが、時計を使わない現実。
そういえば、先日愛娘が大好きなドンキに行くと、オメガのコンステレーションの新品が50%OFFで30万くらいで売っていた。文字盤が紺色のものだったからわたしが好きなモデルではなかったが、このディスカウント、ドンキは凄まじい。並行輸入としても安い。
さて、品物には新品で買うのがいいものか、中古でもいいものがある。
わたしとしては着物は新品であるべきで、誰かの手垢がついて、仕立ても自分のものでない古着を身につけるなんて貧乏臭くて絶対にNGであると考えている。
あとはパソコン。これも新品がいい。データが消去されているといってもじっくり仕事をするのに中古はどうかと思う。それに型が古いとPCはよろしくない。
しかし、車や腕時計は好きなモデルが昔のものであるなら新品では買えない。こういうジャンルは好みの問題であるから、最新モデルがいかに性能的に良くてもわたしの塾長の思い出のようにあのモデルがいいんだとなる。
と、そんなことを考えつつ、久しぶりに腕時計をすると鬱陶しくてたまらなかったから、いくら憧れだったオメガ・コンステレーション塾長モデルを手にしても使わないに決まってる。
そんな塾長のことを思い出して、今どこにいるか知らないが65歳から70歳という年齢になっているはずである。
塾長が塾を起業していなかったら、わたしは高校は志望校に行けていなかったのだろうし、そう考えると人というのはありがたい縁でできているものである。