結月でございます。
コロナが訪れてリモートワークなるものが定着した。ようやくコロナも話題にならなくなったので、今は社会がどの程度リモートをしているのか引きこもりであるわたしはあまり知らない。
しかしながら、一応引きこもりでも仕事はしているので業務の相手先に電話をかけると留守電みたいになっていて、
「感染拡大防止のため、リモートワークをしております。担当者に直接お電話ください」
なんてことがアナウンスされる。
感染拡大防止なんてもはや死語というか、遅れてる感があって、まだ言ってるの?と思うのであるが、単に「リモートワークなので」だけでいいんじゃないか。
しかし、担当者に直接電話すると出るには出るも、
「お前、寝てたやろ?」
というのが雰囲気でわかってしまい、起こして悪かったなんて気持ちと事務所行って仕事せいやって気持ちが交錯する。
リモートはすなわち自分の家にいるわけだから、話をしても出社しているような声の張りがないように思う。それにこちらも相手が自宅にいるとわかっているものだからどうもビジネスモードになりにくい。
これだけ感染確率が下がっているのだからいい加減に出社に戻せばいいと思う反面、出社しなくてもいいようなどうでもいい会議が復活するというのもどうかと思う。
どうやら日本人はそういう線引きをうまくできない国民性であるらしい。
リモートのほうがいい仕事、リアル出社のほうがいい仕事、それぞれ明確な内容の違いがあるような気がするが、曖昧な日本は曖昧すぎていい結果は出ていない。
誰かが出社してくれていれば急な要件も話ができるが、リモートだと担当者が出ないと遅れてしまう。すごに回答がほしいときは困る。
それなのにリモートで誰もいなかったり、いても受付程度であると全体的な仕事の流れは悪くなるのではないか。
つまり、リモートでもバリバリ対応できて仕事できる人ならばいいけれど、普通レベルの人だとリモートはどちらかというとダラける。大半は普通レベルであるからちょっと困る。
普通レベルが集まって、リモートのほうがサボれるしっていう空気が容認されて、だからこそ、アフターコロナに突入しているのにいまだに「感染拡大予防」なんて死語を使う。
個人も企業も社会も前に進まないと発展はしない。
だから、いつまでもコロナなんて言っていると遅れてしまうのであって、現に日本は世界的に遅れている。
政府も企業も個人も周囲の目線を気にして行動する日本国民であるから、どうしても遅れるのである。
ともかくネットによるリモートの定着で、出社リアルとハイブリッドになっているがもうちょっとメリハリがないとダラダラする。
あとはモニターを通して話をするのとリアルに会って話をするのとでは臨場感が違うから、リモートだとどうも話の記憶が残りにくい。
人間そのものはアナログであるから、時間と場所を決めてリアルに会うのはインパクトがあって、まあそのほうがよろしいと思う。
ただそれは本当に重要な案件である場合で、どうでもいいような内容でわざわざ出向かなければならないことがリモートでなくなったのはいいことじゃないか。
しかし、リモートであるのにマスクしているのがいたりして、あれは一体なんなのだろう?
自宅にいて感染するわけがないのにマスクとなると、もはやそれは自分の顔を見せられないという「覆面」の意味になってくる。
多くの日本人のマスクは感染予防ではなく「覆面」である。
覆面姿で商談はちょっとできない。表情を隠す相手とは金のやり取りができない。とわたしは思う。
それは顔の表情や人相から得られる情報を隠す行為そのものがその人の人間性を物語っているし、こちらが信用を得ようとしているのにそれを覆面するというところに既に不信が芽生える。
マスク越しの声情報だけでは不足で、そんな相手から大きな買い物はしたくない。
とはいえ、そんな大きな額の取引や買い物をすることがない人がこれまた大半であるから覆面がまかり通るのかもしれない。
相手を信じようとする生き方をしているかしていないか、それも関わっているに違いない。信用はシビアで、そして大事なものであるから、ちょっとヤクザ的なところもあって本質的には盃を交わすわけである。
仕事やビジネスの取引や契約もそんな盃なのであって、内容が反社でないという違いで基本的に取引や契約はそんなものなのである。
そんな盃を交わそうかどうかのとき、マスクで覆面して感染拡大予防なんて言っていたら信用以前の問題で取引はうまくいかない。
しかもこれだけ話題にもならないコロナなのにまだコロナ全盛期の対応ではその時代遅れ感が考え方の程度を物語ってしまって相手にならない。
とまあ、そんなことを考えつつ、リモートって怠癖がついて良くないって気がする話。
リモートでもバリバリできる人は少ない。偏差値でいうと70以上の割合ではないか。
多くはただの怠け。