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コロナ対策って、もはや霊感商法だよね。

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結月でございます。

コロナが話題になってから社会が悪質な新興宗教状態になって、とにかく気持ち悪いとずっと思っていた。その気持ち悪さは、コロナ対策としてやることが霊感商法と同じだとわかって納得した。

どうやったって感染しないようなところでもマスクしていたり、マスクが品切れになると医学的作りをなされていない手作りマスクで柄物だったりする。

これは霊感商法のパワーストーンと同じなんだよね。パワーストーンなんて効果があるわけないのに、これがあると心配ないって気持ちにさせられる。

感染の原理を考えても、いくら飛沫が飛んだとしてもそれが自分の口に入るなんて付き合い始めた恋人同士くらいの濃厚接触でないと普通はない。それなのに人通りがほぼいないところでもマスクして歩いている人もいるし、スーパーだって飛沫を受けるなんて一体、どんな確率なのだろう? さらにそこに感染者がいるという確率はさらに低い。

ガチな医療用マスクならまだしも、普通のマスクで安心って、やっぱりパワーストーンだよ。

パワーストーンと違うのはマスクは安いってことくらい。便乗値上げしたってたかがしれてる。安いのが救い。

しかし、日本中の多くの人がとりあえずマスクしとけばっていう気分になる。霊感商法的な状態に陥ると、それを身につけておけば安心するものだから。

パワーストーンを家に置いたり、数珠みたいなものを腕につけたり、そういうものを信じるのとまったく同じだよ。

そして、効果がなくても、

「今、あなたの家族が病気にならないのはそのパワーストーンのおかげですよ」

という論法でやられてしまう。

これは典型的な詐欺。詐欺とは証明できないものへ導くものだから。

だってさ、自分がマスクしたから感染してないって証明できないでしょう?

マスクしてないけど感染してないよ、とは言えるけど、マスクしちゃったらそれによって感染を免れたとは証明できない。

だから、みんなマスクのおかげだと信じる。

そして、感染者がいつもマスクしていたのに感染したという話もあるけれど、その場合はマスクは効果がないとはならずに、

「やっぱり接触感染って怖いね」

となってしまいマスクのパワーストーン化は変わらない。

病院のお医者さんなど、患者の顔にもろに近づくような仕事だとマスクはあったほうがいいというのはわかるけれど、ここまで大勢の人がマスクしなければならない根拠はほとんどない。

ママチャリに乗っている人がマスクし、人の少ない自然公園での散歩でマスクし、会話もするはずのない一人客がマスクをしていたりなど、感染の可能性が考えられないシーンでマスクしている人が多いのは、霊感商法の数珠と同じなんだよ。

霊感商法に洗脳された人に何を言っても通じないのと同様に、

「そのマスク、意味なくね?」

と言っても、パワーストーンを手放すと不幸が襲いかかると信じている人には聞く耳は持ってもらえない。

世の中が霊感商法の洗脳状態になったから、パワーストーンを持っていない人が非難される雰囲気になる。

8割おじさんは、何もしなければ日本での死亡者は42万人に達すると言ったけれど、人との接触を8割減らすなんて現実的には不可能だし、だから8割減はなされてないのにそんなたくさんの人は死んでいない。その半分の21万人すらも死んでいない。

8割おじさんなりには自分で一生懸命考えた方程式に数値を代入してはじき出した42万人なのだろう。しかし、人間というものは一定の動きをプログラムされたロボットと違い、不確定な行動をする。だから、生きている生身の人間社会の中にあるウイルスなんて方程式で解けるものではない。

人間には決まった数値なんて入れられやしない。入れたとしてもすでにわたしとあなたではライフスタイルも違い、すなわち生きている方程式が異なる。

人間というものを一律に扱い、計算してしまうところが理科系理論派の駄目なところなのだろう。それなのに人間的なものを無視した学者先生が人間の生活に関わることを提言したりして、その現実的不一致で社会がおかしくなる。

それがおかしいとわかる人はいいけれど、おかしいとわからない人は真面目にそれに取り組もうとする。自粛しなくちゃ感染が増えると思い、頑なに外に出ないで家にこもり、うつ病になろうともDVをやろうとも虐待をやろうとも家にこもらなければならないと信じる。

ウイルスはいたるところにあって、一歩外に出ると感染するのだと恐怖に怯える。

実際にそんな人がいるからこそ、コロナ警察みたいな人が出てくるわけで、これはやはり悪質な新興宗教状態と言わざるを得ない。

すべては「感染してない理由はわからない」からであり、そこにマスクのおかげだとか、手袋をしていただとか霊感商法グッズの論理で納得する。

しかし現実はただそこにウイルスがなかっただけかもしれない。42万人が死ぬようなウイルスは実はなかったのではないか。

ウイルスは確かにあるけど、そんな日常生活の隅々にまであるものじゃない。

感染者の多くは病院などのクラスターであるし、感染経路不明もおそらくは告白できない風俗店やキャバクラなどとも考えられる。

もちろん日常生活の中でウイルスがゼロなわけではない。しかし、ゼロなんてこと自体がこの世には存在しない。

歩道を歩くだけで車が飛び込んでくるかもしれない。歩くだけで事故がゼロになるわけがないのと同じ。

では、歩道を歩かなければならないから学校をすべて休校にするだろうか?

ゼロになるわけがないのにゼロリスクが教条化している。検証を怠るドグマティズム。

教条が絶対化され、それに異を唱えると罰せられ、殺される。それはスターリン時代のソ連であり、毛沢東時代の文化大革命と構造が同じ。

社会が知的怠慢に陥り、教条に従うことに盲目的になる。

「新しい生活様式」なんて政治性を抜いた毛沢東語録のようなもので、「造反有理」と叫ぶのとなんら変わりない。

それに従わないものを私刑するコロナ警察は、文革時代の紅衛兵とまったく同じじゃないか。

そこに襲われる恐怖から、社会はそこに迎合しようとする。非人間的な感染防止のガイドラインに合わせるためにさらに人間離れした対策をする。

教条が先行し、文化が抹殺された文化大革命さながらで、コンサートも開催できない音楽家がインタビューで「コロナが終わるまでみんなで頑張りましょう」みたいなことを言っているのは、殺されるのを恐れて京劇役者が「毛主席の革命を成し遂げよう!」と言ってるのに酷似する。

無論、コロナの日本で殺されることはないにせよ、その構造は文化大革命的であり、盲目的に絶えずどこでもマスクをするのは霊感商法の洗脳に近い。

これは精神的な危機なのであって、ウイルスで肉体が死ぬこと以上に恐ろしいことなのだ。

しかし、洗脳を解くのは難しいし、効果があるはずのないパワーストーンのような対策がまだまだ続く中で生きなければならない。

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