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ランボー ラスト・ブラッドはおもしろかった。

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結月でございます。

今更ながらに2019年の映画『ランボー ラスト・ブラッド』をDVDで観た。

ランボーとしては5作目。さすがにこれで終わりという内容で、スタローンも80歳近いし、ランボーは完結。

映画としては期待していなかったけれど、そこそこおもしろかった。思えば、戦場でないランボーはこの作品が初めて。

今の時代らしく、ランボーの殺戮がかなり残虐な描写で、売春宿に潜り込んだランボーが客の男たちを手当たり次第、金槌で殺していく。お約束でしっかりと女を買った男には股間に金槌を一撃。

トンネルでの戦闘シーンも鉈で敵の足をズバッと切断してしまうなど、まるで鬼滅の刃。

あとはやはりラストで悪玉を得意の弓矢で動けなくすると、ランボーナイフで胸を切り裂き、心臓をむしり出して捨ててしまう。

とまあ、そんな鬼滅の刃的な殺戮で、そういう過激さが今の時代なんだと思う。

映画の前半で老人になったランボーはやっぱりベトナム戦争のことが忘れられないシーンがある。ベトナムの戦場の記憶を実写のように出し、回想する。

戦争のことだけはいつになっても忘れられない、と開高健は言っていたが、戦場の悲惨さはこびりついてしまうと絶対に取れないものなのだろう。開高健はずっとベトナム戦争の従軍体験から抜け出せなかったし、終戦日にテレビで必ず特集される戦争体験者のインタビューでは90歳を過ぎた老人が戦争の鮮明な記憶を語る。

ちなみにわたしの祖父も太平洋戦争で南方へ行ったが、その記憶は忘れるものでなく、老年になっても戦争のことを口にしていた。

新しいところではイラク戦争に派兵された元兵士のPTSDで、しかしこれは日本がアメリカからの情報があるから話題になるだけで、どこの戦争にも戦場から帰った人たちのPTSDはある。当然、今のロシア兵にもウクライナ兵にもあるが、ベトナム戦争やイラク戦争と並べるなら当時のアメリカ同様、侵攻している側のロシア兵のPTSDは今後、凄まじいものになるだろう。

さて、映画としては、やはりランボーがベトナムで壮絶な経験をしたことが重要なのであり、老年になったランボーがベトナムで死んだ仲間のことを忘れられないのは必要な描写だった。

ランボーの1作目は帰還兵として、そして2作目は再びベトナムに向かい、3作目はソ連軍相手にアフガニスタンで戦う。4作目は軍事政権のミャンマーが舞台。

もちろん映画としての戦闘だが、ランボーという主人公の経歴として考えると、年老いたランボーがアリゾナの故郷で過ごしているという設定はなかなかよかった。

そんなランボーのアクション映画としての戦いは戦場ではなく、メキシコの人身売買カルテルが相手であったが、それは設定としてはギリギリのところで、それ以外は確かに戦う場所は考えられない。

ベトナム戦争でグリーンベレーとしてベトコンを殺しまくったランボーは愛に触れることのない人生を送っていて、しかし年老いてやっと愛する娘(友人の孫娘)を得る。その愛を殺されてしまった怒りはベトナム以上のものであり、純度100%の憎しみによって娘を死に至らしめた人身売買の男たちを残虐に殺していく。

今が鬼滅の刃的表現の時代だということに見合って、その怒りと憎しみによる残虐さをリアルに表現できたのは時代のおかげだったとも言える。

最後にランボーは死んでしまうのではないかと思ったが、ロッキングチェアに座ったまま黄昏を迎え、映画の中ではランボーは死なない。しかし、重傷でそのあと死んでしまったかもしれない。

とまあ、5作目でランボーが完結ということで、ランボーを終わらせるための映画としてはなかなかいい映画だった。しかし、それはランボーをしっかりと1作目から観ておかないとその良さはわからない。しかもリアルタイムで観るべきで、まったく観たことがない人がDVDを1作目からレンタルして集中的に観てもこのラスト・ブラッドの良さはわからないだろう。

ランボーの1作目が1982年。そこから長い年月をかけてランボーを観ているとランボーの老いをしみじみと感じるわけで、映画の良さを知るには40年の時間が観るひとにないといけない。

さて、5作品では、やはり1作目が最高傑作。映画として見事だし、祖国アメリカのためにベトナムで戦った帰還兵が祖国で差別を受ける。その悲しみをもって祖国の森林で同じアメリカ人を相手にゲリラ戦をする。そして、最後はベトナムで失った戦友のことを泣きじゃくりながら告白する。

その次の傑作は2作目で、この作品はエンタメとしてもよくできていた。しかしエンタメで終わらず、またしても祖国アメリカに裏切られてしまい、自分を守るはずであった司令部に機関銃をぶっ放し破壊する。

一番の駄作は3作目で、これは2作目の成功体験を引きずった中途半端なもので、3匹目のドジョウを狙った感があってランボーの内面も描かれていない。

4作目もちょっと中途半端で、戦闘シーンは2作目を目指したのであろうが、成功していない。この作品もランボーのベトナムで抱えた内面も大きく扱われないし、映画に奥行きは感じられない。

というわけで、ランボーはやはり1作目、そして2作目。1作目は純文学としておもしろく、2作目はアクションとして優れている。

5作目のラスト・ブラッドは完結編としては悪くなかったが、何度も観たくなるような奥行きはなかった。ランボーの人生はこれで終わりという説明的なところがあるからだろう。

しかし、ランボーの1作目は映画史としては画期的な映画で、映画の半分は戦闘アクションとして楽しめるエンタメであるのに内容が純文学という作品。ランボー以前の映画でそのような作品は思い浮かばないから、映画の流れを変えた作品かもしれない。

映画史として考えれば、それ以前のアメリカン・ニューシネマからの脱皮と言っていい。アメリカン・ニューシネマはヒッピー文化などベトナム戦争への反体制的な退廃があったが、80年代になってベトナム戦争を客観的に観られるようになったのだろう。

だから、ランボーの1作目はアメリカン・ニューシネマ時代の反体制の思いや暗さがまだ残っていて、しかしながら映画としてエンタメを目指した作品なのである。そのバランスの良さが完成度となって、ただ暗い憂鬱な映画でもなく、そこの浅いエンタメでもないウェルメイドに仕上がった。

さて、ランボーの完結編を観て、年老いたランボーであるが、そのシルエットが相変わらずランボーであるのがよかった。主人公のキャラで長く続く映画はシルエットなのである。

シルエットが見事なのは『ロッキー』であるが、同じスタローンなのにロッキーのシルエットとランボーのシルエットは全然違う。肉体が同じなのにシルエットが異なるのはなかなかできることではない。

そこが同時期のシュワルツェネッガーよりスタローンが優れたところではないだろうか。

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