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死ぬ寸前まで未来志向

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結月でございます。

先日、おもむろにつけたBSではイタリア語の西部劇をやっていた。つまり、マカロニ・ウェスタン。『荒野の1ドル銀貨』というタイトルで、B級っぽい仕上がりでありつつ、マカロニ・ウェスタンは見るとやはりおもしろいので全部見てしまった。

当時はフィルムの性能が良くなかったため、夜の撮影ができない。だから真っ昼間に撮影をキャメラの絞りを絞り込んで露光不足にし、画面を暗く見せることで「夜」とした。この手法をアメリカの夜という。

アメリカ映画に憧れていたヌーベル・バーグのフランソワ・トリュフォーは映画を作る現場の映画を撮ったが、そのタイトルが「アメリカの夜」(La Nuit Americaine)。

トリュフォーのことが大好きなわたしはこの映画を愛している。VHSで持っているから、何度も見ている。

フランスのリヨンにいたとき、毎日映画を観に出かけていて、リュミエール映画博物館にある劇場でこの映画を初めて観た。だから特に思い出深い。

ナタリー・バイがスクリプター役で出るが、この頃のナタリー・バイは本当にチャーミングでたまらない。たまらない度合いがマックスなのは、もちろんトリュフォーの『緑色の部屋』。これは映画としてもいい作品だし、ヒロインのナタリー・バイが、

「こんないい女がいるものなのか!」

と、酔いしれるくらいいい。思い出しただけでもたまらない。わたしの好み最大級。

と、トリュフォーのことが好きすぎて、トリュフォーのことならずっと話していたいくらいだけれど、BSでマカロニ・ウェスタンが終わると、三宅裕司の紀行番組が始まった。

「ぎょぎょっ!もろ、アタシの地元じゃん!」

と、わたしが未成年の間に過ごした馴染みの風景ばかりで、すべてがわかる。番組の中で三宅裕司が、

「あれ〜?どっちかなぁ…」

なんて目的地を探していると、

「あっちだよ、あっち!」

と、テレビに向かって言いたくなる。

しかしまあ、番組の内容はつまらなかったし、三宅裕司も高齢のせいか、

「仕事がめんどくせえ」

という雰囲気が出まくりで、いかにも早く終わらせて帰りたそう。年を取るってことはこういうことなのだ。

と、内容的はあまりなかった番組を見て、郷土意識が希薄であるわたしもいつかは戻ってもいいかなーなんてちょっとは思ってしまったのは年のせい?

やはり人間は未成年のときに過ごした場所は忘れられないもので、未熟であった頃は経験のすべてが新鮮であるのだから特別なのである。

だから、実家に行ったときは、自分が育ったかつての界隈にまで出かけて歩くと、幼少の頃から高校生の時までの様々な記憶が鮮明に蘇り、離れたくなくなる。

しかし、大学の頃に実家は少し離れたところに引っ越してしまったので、わたしが育った場所にはもう住めない。

でも、もしこの界隈に再び生活してしまえば、未成年までの思い出だけで心地よく生きていけそうで、それはすなわち廃人の生き方である。

過去に浸って生きると未来がなくなる。だから、もうここには戻れないのだとクルマに乗り込む。

しかし、子供の頃からあった小さな郵便局、そこに並んで記念切手を買ったこと、郵便局の中で友達と遊んでいても何も咎められなかった時代。真夏には冷水器に背伸びしてその水を飲んだ。そのクーラー臭も鮮明に思い出せる。

外見は変わらぬまま郵便局はあり、小さな階段を上ると小さな商店街があり、小さな書店があった。そこには文具も売られていて、母に消しゴムを買ってもらったりしたものだ。

思い出すとキリがない。だから、ここに再び住めば、思い出すことだけでずっと過ごすことができる。

よくリタイアしたら、故郷に帰りたいという人がいる。そういう気持ちもわからなくはない。

でも、それをやったらおしまいだと、わたしは思う。

懐かしい風景があれど、もう自分自身は別の人間になっているから。ここに住んでもわたしにはやることがない。東京がないと生きてはいけない。

京都という土地が故郷であるには違いないのだけれど、京都へは戻れない。もし京都に住めば、わたしは腐ってしまう。

京都はもはやアウェイ。そして、わたしにとっては過去しかない場所。

人間は未来に向かって生きていくほうがいい。死ぬ寸前まで未来志向。

死に場所を選ぶのに過去をチョイスするのは心地いいかもしれないが、カッコよくはない。

紀行番組を見て、過去に吸い込まれそうになった。危なかった。ノスタルジーに憑依されそうになった。

ちなみに銀座もわたしにとって過去の土地でしかない。

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