結月でございます。
マイルドヤンキーというずっと「LOVE地元!」で暮らす人たちがいたりする一方、わたしみたいにあちこち転々としている人間もいる。
生まれ育った地元に住み続けるマイルドヤンキーだと故郷はひとつしかないけれど、転々派は故郷がいくつもある。
わたしは自分が育った土地にはそれほど故郷意識はないと言いつつ、やはりその土地に行けば未成年までのいろんな思い出があるからこみ上げてくるものがある。
ちなみにわたしは育ったのは京都だけれど、生まれ落ちたのは大阪だから「生まれ育った」とセットにして言うことはできない。
そういえば、うちの愛娘も生まれ落ちたのは東京・赤坂の「山王病院」で、育っているのは現在のところ栃木県だ。
ともかく、自分自身を思えば、出身を訊かれるとなんだか戸惑ってしまい、それは育った土地にそれほど思い入れがないからであり、だから訊かれると一番好きな街である「パリ」と答えるようにしている。
でもなんだろう? ごく稀に実家に行ったりすると母親から、
「おかえり」
と言われるから奇妙な気がする。
それはその家が自分が育った家でなく、随分後に引っ越したところでそこにはそこで育った経歴がないという理由もある。
故郷という言い方はものすごく嫌いで、というのはダサいから。田舎臭い。まるで嫌々、他所の土地で暮らしているようで、そこに戻ることが快感な感じがして、そのメンタリティが嫌なのである。
わたしは嫌々な気持ちで他所の土地で暮らしちゃいないから、故郷意識がないのかもしれない。
でも嫌々というと怒られそうだけれど、熊本に4年間いた時は熊本の土地が合わず、ものすごく嫌だった。地元志向がとても強い土地なのでちょっとよそ者には生活しづらい。そんな気持ちであったし、都会が好きだから4年間の田舎暮らしにはさすがに我慢ならなくなって東京へ来たわけだけれど、東京は心地よかった。
さて、しょーがなく栃木に住んでいる面もあるわたしは都会が好きすぎてどうも田舎はつまらないと毎日思う。
先日も東京へ行き、東京駅から八重洲、丸の内と歩いた後、丸の内線で池袋まで行き、野暮用を済ませたが、なんとも心地よく、大都会の空気がおいしく、自分のアイデンティティと合致して、やっぱこれだよね、なんて感じる。
とはいえ、栃木は過ごしやすいし、空が広いし、愛する奥日光はあるし、晴れていれば男体山や女峰山が見えるから嫌いな土地ではない。ただ田舎という質がわたしに合わないだけである。
これからずっと栃木にいるのかわからないけれど、愛娘が大学に行くまではいるに違いなく、あと十数年はここにいるのだろう。
その後はわからない。奥日光に一人で住みたいと思いつつ、それもわからない。
もしこの土地を離れることになって、離れてから久しぶりに栃木を訪れたとしたら、
「おかえり」
と言ってくれる人はきっといないだろうなと推測する。
栃木は地元のナショナリズムが希薄だし、県民性としてみんなぼーっとしている感じがする。言ってみれば淡白であり、そこが過ごしやすい一因ではある。
でも、熊本は過ごしていた4年間は嫌だなと思っていたけれど、もしわたしが何かに挫折してすごく落ち込んだとしたら、熊本の人だったら、
「熊本に帰ってこんね?」
と、言ってくれる人がいるだろうな、とよく思う。
実は関西人である上方のわたしは熊本で生まれ育ったわけでないにしても、熊本の人はきっと、
「帰ってこんね?」
と言いそうである。
そういうホットなところが熊本にはあって、それが地元のナショナリズムでもあるのだけれど、栃木の人だったら同じような状態であってもそうは言ってくれなさそうな気がする。
高校のときは大阪の阿倍野に毎日通っていたから大阪も故郷のひとつかもしれない。しかし、大阪には、
「帰ってきたらええやん」
と言ってくれそうな人はいない。当時の友達もどうしてるかあまりよく知らないし、別に大阪で育ったわけではないから、よそ者感はある。おまけにわたしが大阪には戻りたくない。嫌いじゃないけど、興味がないから。
京都ならどうだろうか?
大阪と同じく友達がいるわけでもない。みんな外に出てしまって、むしろ東京のほうが会えるくらいでもある。でもまあ、例えば京都の料理屋に行ったりして、
「このあたりは、よう遊びました。映画見たり、新京極に来たらロンドン焼、買うて帰ったりして」
なんて言うと、
「そないでしたか。よう戻って来なはりましたなぁ」
と、返事が返ってきそうである。
東京の場合はそんなことはないに違いなく、栃木が東京に近くて日帰りで行き来できるからで、「仕事で東京に来た」で会話は終わる。
銀座だけは14年間も家賃を払っていたので、故郷というか、自分の馴染みの庭というか、自分の土地だという意識はちょっとある。
行きつけだったバーに行けば、
「久しぶりですね」
と、顔が利くはずであれど、バーテンもずっと長くいるわけでないからもう会えないかもしれない。
やはり故郷はパリであって、今はパリに知り合いはいないが、パリの場合は行けばわたしのほうから、
「帰ってきたよ!」
とパリの街に抱かれる気分になるから好きな度合いが別格。
あとはフランスのリヨンであろうか。リヨンも思い出がたくさんあるから、また住みたいと思ったりもする。
中国の北京は「帰ってきたよ」感は少しある。北京は好きな街だし、万が一、中国に住むなら北京がいい。
でも、中国は面倒だから住みたいとはでは思わない。昔はその面倒がおもしろかったのだが、今はもう面倒は面倒でしかなく、中国でやりたいこともないから住むことはないだろう。
しかしながら、どの土地も過ごした時間の思い出があるから住めば心地いいに決まってる。
熊本に行くとやはり胸がじ〜んと来るものもあるし、京都だって懐かしいなとは思う。
とはいえ、じゃあそこに住んで仕事があるかというとそれはない。仕事自体は何かあるけれど、要するに自分がやりたいことは未来にあるから、過去の土地に見出すことができない。
もし莫大な資産があって仕事しなくても済むとしても、そこで仕事しないでずっとダラダラ過ごしているとその生活が嫌になる。思い出なんて長くて2週間しかもちやしない。
それなら住んだことのない土地に行って、新鮮さを味わいながら新しい仕事をしたほうがいい。
ノスタルジーは麻薬みたいな心地よさがあるからちょっと危ないのである。そこに酔いしれると、人間は進歩しない。
後退はしちゃいけない。そう思う。
やったことがないものに挑戦し、それをやり遂げ処理済みにしていく。そうやって未来に進んだほうが健康的なのだ。
そうしているうちに死ぬ。いつ死ぬかはわからないけれど、どこかの土地で死ぬ。
過去に過ごした土地を想うことよりも、自分がどの土地で死ぬかのほうが興味がある。
死に向かう前進をしているのがすべての人間であるのだから、出戻りの土地で死ぬのはちょっとおもしろくない。
「帰っておいで」
と言われても、わたしは、
「ごめん」
と、断る。