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好きって気持ちが大事

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結月でございます。

あまりにもローカルなテレビ局「とちテレ」ではあまりにもローカルな千葉テレビが制作する「週刊バイクTV」という番組を放映していて、それを見ていた。

バイクの免許を持ってないくせにこの番組が好きなのは、バイクのことが好きでたまらない人たちが登場して、バイクでいろんなところをツーリングして、バイクのことをトークしたりするから。

バイクが好きな人は本当にバイクが好きってところで生きていて、それは恋愛の感情よりももっと大きくて、もっと深いものなのだろう。だから見ていておもしろい。

わたしの中学生からの友達、厳密に言えば保育園も一緒だった友達はバイクが猛烈に好きな奴で、今でもモンキーの改造を楽しんでいるらしいが、昔、ダンプカーと出会い頭で衝突してバイクごと吹き飛ばされ意識不明。目が覚めたときは病院のベッドで顔面が崩壊し、鏡見るとフランケンシュタインのようになっていて、自分で自分の顔がわからなかったそうだ。

しかし、彼は今でも顔が歪んだままなのだけれど、それでもバイクはやめられず、バイクのことが大好きなのである。

クルマであれば通勤に使うだとか、わたしみたいに保育園の送迎に使うだとか、つまり必要だから運転する割合が多い。

一方、バイクは趣味性が高く、実用性は低くて、好きだから乗るということになる。

さて、わたしはバイクの免許はないが、中国で電動バイクで走ってみたら楽しかった。たかだか時速30キロも出ていないようなバイクだが、中国大陸のだだっ広い道を走ると実に爽快で、なるほどバイクとはこういう魅力なのかとわかった。

とはいえ、日本でバイクを乗ろうとは思わないのは、単にバイクは危ないからで、クルマを運転している時にバイクがいると大変うざったいし、他者からウザいと思われているとリスクは高まるので危ない。

それにクルマと違ってドアも天井もない丸腰であるから、バイクで事故を起こしたらわたしの友人のようになる。

それでも死ななかったのは奇跡であり、危なくて死ぬリスクがあることはわたしにはできないのである。

なぜなら、愛娘はまだ小さいし、猫もいるし、取り掛かろうとしている仕事もあって、それらはどれもわたしがいなければならないものであるから、わたしは今、死ぬわけにはいかない。

バイクが死ぬことに直結するわけでないが、リスクが高まることはやろうと思わないのである。

だから、もしわたしがバイクに乗ることがあるとすれば、わたしという人間が死んでも周囲に影響がないという状態になったときであって、そんな退屈が訪れたらバイクに乗ってみるかもしれない。

しかし、バイクは夏は暑そうだし、冬は寒そうだし、フルフェイスのヘルメットなんかすぐに汗だくになっておぞましい状態になりそうだし、ライダースーツなんて急にトイレに行きたくなったら脱ぐのが大変そうだし、いきなり夕立がくればずぶ濡れで悲惨だし、そう考えるとバイクは乗らないだろう。

バイクに乗るにはそんな懸念を懸念と感じないくらい好きという強い気持ちがなければならず、わたしはそこまでの気持ちがない。

さて、好きという気持ちは大事なもので、これはものすごいエネルギーを生み出すのである。

バイク好きだったら、自分が事故って死ぬことなんて考えないわけで、好きという気持ちにどっぷりになれば人間はなんだってできる。

サラリーマンでは会社が責任を負っているのでえげつないことは一社員としてはできないが、サラリーマンでなければ自分の好きを爆発させて仕事をすることができる。

わたしの仕事の中で最も大きなお金を使うのはコンサートであるが、それが好きだから冷静に考えればビビってしまうこともビビらずにやってしまう。なぜなら、ビビる以前に突き進むほど馬鹿になっているからだ。

そして、コンサートが終わると、ゾゾっと背筋が寒くなって、こんなことよくやったなと後になって怖くなる。

しかし、喉元通れば熱さ忘れるで、時間が経つとまた「やろう」なんて思ってしまうのだから、こういうのをアホというのだろう。

好きな気持ちがなくなると、人間はつまらなくなるものである。

しかし、その好きは「恋愛」に費やすのはあまりおもしろくない。なぜなら、恋愛は必ず冷めるものだし、何かを生み出すわけもなく、当事者たちだけの快感であって他者にとってはどうでもいいものだから。

だから、恋愛的なエネルギーが他者をも巻き込むものがよく、すなわちそれはムーブメントである。

週刊バイクTVというムーブメントもバイクには乗らないであろうわたしにでさえ、バイクって乗れば楽しんだろうなという気持ちを起こさせ、わたしという他者を少しは巻き込んでいる。

自分がバイクが好きだという熱情がテレビ番組になり、新たなバイク好きを生み出してしまうことは、個人間だけで終始する恋愛よりは楽しさに広さがある。

ところが好きなものがないという人も多い。だから自分探しをしてみたりする。

好きになるのは恋愛も同様だから、これは性格というか、そういうタイプだというか、なろうと思ってなれるものでない。

恋多き女にはなろうと思ってなれなくて、それは元素だから錬金することはできない。

「好き」が生まれないのは育った環境や時代、躾、様々な要因がありそうである。

ともかく、偏愛できるというのは才能であって、死にかけてもバイクが好きも才能であり、好きであるものに粘着できるのは努力や試みで身に付く才能ではないのである。

しかし、好きこそものの上手で、上達するには好きエネルギーが源になる。

本気と書いてマジと読むほど好きなものがあると人は不幸にならない。金がなくても不幸を感じない。なぜなら金を持つことよりもそれに打ち込むことが幸せであるからだし、好きなことをやるのに金が必要であるなら、そのために金を稼ぐから仕事に対して嫌な気持ちを抱きにくいから不幸を感じる隙間がない。

さらに好きなことがあると死ねない。なぜなら死んでしまったら好きなことができなくなるから。

だから、好きなことがあると自分の人生に肯定的になれる。

人間は好きなことがないと自分の人生を否定するようになる。

恋愛のように当事者間だけの「好き」ではなく、社会を巻き込める「好き」が最上級に楽しい。

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