結月でございます。
なんだか自粛がうるさくて、こんな社会だったらウイルスが蔓延してくれたほうがいいと思ったりもする。おそらく、今の70%はいらない恐怖で、70%はやらなくていいことをやっているような気がするから。
もっとオッケーであるものを明確にして、オッケーでないものだけに徹して、オッケーであることは自粛しないほうがいい。
世間では、「経済より命」みたいなことが言われているらしい。きっとどこかのテレビコメンテーターが言っていたのだろう。
しかし、簡単に「いのち」なんて口にする奴は生命のことなんてわかっちゃいない。
命とは人間が生きる生命活動のすべてであり、何も病気で死ぬことが命が失われるということじゃない。
「経済より命」をスローガンにしてやらなくていいところまで自粛して、経済活動がストップすれば人間の活動がストップするわけで、それは命の損失でもある。
命とはとりあえず生きていることを言うのではないのだ。
経済を止めて失業したり、倒産したり、そういうことで生活が困窮し、たとえ死ななくとも生命活動が脅かされることは命の危機なのだから。
わたしはウイルスで高齢者が死ぬ可能性が高い現実よりも、自粛によって家庭環境が荒れ、虐待される子供が出てくることのほうが生命的な危機を覚える。
その虐待で死ぬかもしれないし、死なないにせよ、虐待を受けた子供の人生は大きな生命的損失なのである。
大人だって失業して路頭に迷ったり、家賃が払えず借金したりして、やれることができなくなってしまう。これも生命の損失。
だから、簡単に「経済より命」なんて口にする奴は人間のことをわかっちゃいないんだ。
経済とは人間の営みであり、生命の証であり、生命存続のためのものだから。
SNSなどで個人が自粛を呼びかけるものをよく見かける。こういう人たちは良かれと思って言っているのだろうけど、一体、どんな権利があってそんなことを言えるのか?
その自粛の呼びかけによって、閉鎖的な社会が出来上がり、経済活動しないと生きていけない人の命を殺す。
自分の行いはどんな権利があって他者の生命活動を抑制することができるのだろう?
わたしはできない。
どんなことであれ、他者の自由を個人が制限することを呼びかけるなんてことはできない。制限されることで困窮する人のことを考えてしまうから。
まだ行政が言うのなら理解できる。行政とはそういう仕事だから。
でも個人が自粛を呼びかけるのはおかしい。個人に他者の自由を制限し、その生活を破壊する権利はないはずだから。
蔓延を考えればわからなくない処置であろうとも、それは行政に任せよう。
ちょっと個人が偉くなりすぎてる。
だからコロナ自警団と揶揄されるようになる。
良かれと思って自粛を促すのは、もしかするとその根底にある恐怖は虚構かもしれない。テレビに煽られた間違った知識かもしれない。
「汝、自らを知れ」
古代ギリシアの哲学原理。これを噛み締めれば、自粛を他者には促せないはずだ。
ウイルスの感染は誰のせいでもない。たとえ、それが愚かな行いによる感染によったとしても人間とはそういうものだ。
だから、ウイルスを種に他者を攻撃してはいけない。
コロナ自警団が跋扈し、人を疑うような社会であるなら、ウイルスが蔓延する社会のほうがいい。
それで死者が出ようとも、結局は自粛で経済を殺せば、ウイルス以上の死者が出るのだろうから。
自粛を発信するのは正義じゃない。それはうぬぼれだ。
それを口にできるということは、生活が安泰なのだろう。自分の会社は潰れないのだろう。そう思っているのだろう。経済的に豊かなのだろう。
しかし、社会は多面的で、多種にわたって生活環境がある。自粛されると困る人たちがたくさんいる。
だから、自粛できる立場の人たちの願望だけが正義になってはいけない。
彼らは自分の正義が誰かの生活を破壊し、生命活動を殺していることに気づいちゃいない。
命があれば経済はまた復活する、なんて言う人もいる。
死んだ経済はそんな簡単に復活はしやしない。経済が死にゆく過程で、どれだけの人が死に瀕する場面に追いやられるか。
やらなくていい自粛はしなくていい。
やるべき自粛だけをはっきりとさせてやればいい。
そしてゼロリスクなんて実現できないことを認めるべきだ。
この世の人間の活動の中で、ゼロリスクなどできるわけがない。
数々の不条理が混在しているのがこの世なのだから、誰かにとってリスクがゼロなら、誰かにとって大きなリスクになっているだろう。
病気になって死なないことが生命の温存と考えるような人のい尋ねたい。
自粛を促すことによってできた閉鎖的な社会の中で虐待される子供がいたとして、それは生命の危機ではないのか?
自粛によって感染をまぬがれたとして、破産して自殺する人間がいて、会社が倒産して生活が困窮する人が出ることは生命とは関係ないことなのか?
やるべきところだけ自粛して、やらなくていいところは自粛なんてしなくていい。
それで十分に最低限の感染は免れるはずだし、そもそもこのウイルスの致死率は高くない。
それに見合ったことをやればいいだけなのに、あまりにも大げさにやりすぎている。
そもそも人間はいずれ死ぬ。どんな理由であっても人間は死ぬ。
この事実を知っていれば、死ぬことは怖くない。
必死にマスクをしていても、車に轢かれて死ぬ人間もいる。
死とはそういうもので、どんな死であれ、人間は受け入れなければならない。
ウイルスというものから考えて、あまりにも失うものが多すぎる。そんなことが正義になって跋扈している。
権利のない人が幅をきかせている。
それはウイルスよりももっと悪質で、倫理的にも危険なものなのだ。
人間がここまで悪質の狂うのであれば、ウイルスのほうがずっといい。ウイルスに悪意はないのだから。