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礼儀は基準にならないよ。

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結月でございます。

何かと礼儀にうるさい人っているにはいる。いるにはいるというのは、少なくはなってきたと思うから。

礼儀をとやかく言うのは得てして男であって、女でうるさいのはあまり見かけない。

女同士って礼儀という概念があまりなくて、男だったら年の差で言葉の使い方がはっきりと違ったりするけれど、女同士は年下でも年上に「ちゃんづけ」で呼んだりする。

女ばかりで飲み会やってもなんだかごちゃごちゃしていて混沌としている。礼儀という雰囲気はない。

まあ、あるとすれば宝塚的世界とか、一部の体育会系とか、そういうところは女ばかりでも礼儀みたいなものがうるさいだろうけれど、それって女が男社会化したような環境だと言える。

わたしは礼儀にうるさい人って眉唾な上に、うるせーって思っている。だって、わたしが礼儀のない人間だから。

思い出として思い返すと、礼儀なるものを目の当たりにしたのは中学校に入ったときで、それは廊下で部活の先輩とすれ違ったらなぜか挨拶を義務付けられていたこと。

今だと中学生でも「お疲れ様です」というかもしれないが、わたしのときは「お疲れ様」は大人の言葉で、だから「こんにちは」とか「さようなら」だった。

同じ学校だから何度もすれ違うのに、その度に「こんにちは」と言うのは変だと思っていたし、そもそもその先輩よりアタシのほうが練習してんじゃん、と思うとどうして年上というだけでこちらが礼儀を言われなくちゃならないと気分が悪かった。

きっと体育系だともっと厳しいに違いない。最近はようやく野球部でシゴキをすると社会問題になるようになったが、日本でいう礼儀って体育会系な感じがする。

礼儀を人に強要するするタイプって、きっと自分が偉いと思っていて、と同時に自分も礼儀正しいと自認する自負があるから年上に対して妙に腰が低かったりする。

すなわち、上下関係を行動規範にしている生き方で、横的ではない。

態度が悪いことと礼儀がないことは似ているようで似ていない。態度が悪いのは性格や内面の悪さが出るが、礼儀がなくても悪い人間でないケースはたくさんあるから。

そもそも礼儀という概念が狭いもので、わかりやすく言えば国が異なればまったく違う。

日本では礼儀正しいとされる行為も外国へ行けば、

「何こいつ?」

と思われることは多々あり、日本以外だとお辞儀という行為もキテレツなものに見える。

だから、同じ日本人であっても礼儀とは完全に共通したものでなく、その人にとっての礼儀とあの人にとっての礼儀は異なる。

さらに言うと、礼儀なるものをうるさく考えている人とそうでない人がいて、わたしみたいなラフな人間にとっては、いわゆる礼儀正しくやられるとウザったくて仕様はなく、営業マンなんかが礼儀正しくしようとしていると、

「あのさ、そういう挨拶、どーでもいいから、用件を早く言ってくんない?」

と、ブチ切れる。

つまり、礼儀とはすべての人に価値あるものではないのである。

かと言って、いきなりタメ口の医者とかはムカつくけれど、それは程度も問題であって、フツーでよろしい。

礼儀を強く求められるシーンは究極は軍隊ではないか。規範を守らないと部隊が乱れて敵に殺される。上官の指令に従わないとまとまらないから、上官は絶対的な存在になり、当然、上官相手にタメ口なんて許されず、礼儀をもって接しなければならない。

体育会系も軍隊に近く、チームをまとめるのに上官の「怖さ」が必要とされて、そこに独自の礼儀が生まれるわけだが、スポーツの世界はそういうやり方は流行らなくて、「みんなで楽しく!」が主流になりつつある。

礼儀的縦社会は自由な発想ができない人にはとてもやりやすいシステムで、礼儀に従っていればとりあえずはまとまる。

組織力を発揮させるには礼儀的縦社会が都合よく、しかし平均以上は狙えてもそのシステムでは最上級までは行けない。なぜなら、個性の発揮という自由が礼儀によって制限されるから。

共産主義国家がある程度のところまでしか経済的に発展しないというセオリーがあるのは、個人の自由を認めないと企業の上昇志向を阻害されるからで、企業の上に国家があると売り上げを大幅に伸ばした会社は国家を超えることは許されないから潰される。

そういえば、堀江貴文さんのライブドアが潰したのもルイ・ヴィトンのTシャツ姿に批判的だったスーツ姿の年寄りたちだった。年寄りにとってTシャツ姿は彼らの礼儀には許し難く見えたのだろう。

ともかく、礼儀にうるさい場というのは平均以上は作りやすくとも、ズバ抜けたものは生み出されない。

それはだらしない人間の集まりがいいという意味ではなく、礼儀なんてものを基準にして判別するような場ではズバ抜けた才能は発揮されないということ。

これは仮説だけれど、実は日本では学力は男子より女子のほうが高い。だからどこかの医学部が点数が高い女子を合格点を引き上げ不合格にし、点数が低くても男子を合格させるようなことが起こる。そうでないと学校が女ばかりになるから。

日本の場合は学力的に優秀な女が実力を思う存分発揮できないところがあって、これは古い社会構造がまだ根強く残っている。

つまり、日本は能力で人を見るのではなく、男社会的礼儀や縦社会で評価されるわけで、男的礼儀の習慣がない女は能力があっても評価されない。

女性政治家も女なのにおっさんぽくなるのは、そうしないと男的縦社会でやっていけないからだろう。

日本の学者の世界も大変男臭い世界で、政治家の世界に近い。

日本の場合、男社会的礼儀がうるさいから有能な女が実力は出せないし、評価されないのであろう。

まあともかく、礼儀なんて言い出す奴は総じて男で、女がそんなことを言うケースはほとんど見受けられない。

だから、礼儀は限定的なもので、限定された場でしか通用しないのである。極めて狭い範囲だけのルールでしかない。

わたしはあまり礼儀がない人間であるが、それはおもろいことを発想するのに礼儀が邪魔になるから。ぶっ飛んだことが楽しいのにそこに礼儀を強要されると拘束着を着せられた気分になる。

礼儀を重んじられる縦社会では上に盾つけないから自由なことができない。おもしろいことをやるのに上下なんて関係ないのであり、大事なのはおもしろいかおもしろくないか。

でも礼儀にも使い道はあって、中身がない人だったり、大した能力がない人だったりすれば表向きな礼儀を身につけておけばとりあえずは相手にはしてもらえるというところ。

中身なし、能力なしでいきなりタメ口だったら使いようもない、

だからほどほどに使えるには礼儀っぽいものがあったほうがよく、すなわち成績のイマイチな営業マンである。

やっぱり相手には好きかどうかってところだと思う。相手のことが好きだったら礼儀以前に好きだっていうエネルギーがあるから。

尊敬は駄目。人間のことを尊敬はしちゃいけない。だって、人間なんて多面的であるから、尊敬したと思ったら相手のクソな部分を見てガッカリしたり、幻滅したりするから。

でも、好きなら大丈夫。好きだったらその人のクソな部分も許せるから。

つまり、礼儀なんてものは好きでもない相手やモノを買うときの店員に対してとか、その程度のシーンでほどほどにあればいいものなのだろう。

コンビニで弁当買うのに店員に礼儀正しすぎるのも馬鹿な話で、店員だって客に仰々しくされても困る。そんなのいいから早く金払え。後ろに次の客が待ってるからってね。だからほどほどの礼儀、まあフツーでいいってこと。

表層的な礼儀よりも相手への配慮だったり、愛情だったり、節度かな、大事なのは。

相手に礼儀を求めるっていう行為自体が傲慢で礼に反するという逆説に気づいてほしいよ。

とにかく礼儀なんて全ての人間の共通項にはならない。あってはいいけど、基準にはならないものかな。基準にならないものを強要されても困るよね。

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