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つれづれなるままにって馬鹿じゃね、だけどさ

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結月でございます。

つれづれなるままにっていうのは要するに暇ってことで、退屈で手持ち無沙汰でやることねえってことなんだろうけど、そういう暇人って馬鹿じゃないの?と思ったところ、結構わたしもつれづれなるままに過ごしてる?って再認識。

なんて言いつつも、今日もあちらこちらに電話をかけまくっていて、

「あー疲れた」

と、畳の上に寝転がって猫を抱いて休む。お腹の上に猫を乗せ、ゴロゴロと鳴るその音を聞きながら、猫の顔を揉んでみたり、尻を撫でたりするといい一休みになる。

今ちょっと考えている企画がいくつかあって、それはどれもハードルが高くて実現できるかビミョーなものばかり。

それっていつものことじゃん!と自分で気づくわけだが、そもそもハードルが低いものなんてやってもおもしろくないのだから企画というのはそもそもハードルが高いものなのである。

しかし、こんなのやりたいよね!最高だよね!しびれるよね!なんて独りで興奮しているのが企画の原点であり、そこから現実をリサーチしていくうちに方向転換をしてみたり、柔軟になってみたりするのである。とはいえ、自分の中で興奮度がこれより低くなったら駄目だという明らかなラインがあって、それを下回ったらやらない。

ともかく、できるかどうかわかんないことをやってみるのであり、それは不機嫌と喜びの混在であり、一喜一憂を交えながら進み、形而上にあった企画はいよいよ形而下というこの世に現物となるのである。

というわけでつれづれなる暇人、もしくはニートであると思っていた自分は、

「あれ、そーでもないぞ」

なんて再確認し、いやいやでもね、退屈で手持ち無沙汰であるところに実はエネルギーというのは宿っていて、ずっとつれづれなるままにが嫌だからドカンとなるのである。ずっとつれづれなるままに過ごすのが真なるダメ人間であり、わたしは一見ニートということにする。

しかしまあ、よく知った人や馴染みの人とはいくら電話で話しても疲れないけれど、こう見えて人見知り、さらに引きこもりなわたしは事務的なことを問い合わせたりする内容であると、一つの電話でも結構疲れてしまう。

生きてる方針「ざっくばらん」であるからして、事務的な相手にいきなりざっくばらんになれないと疲労するのは、

「ちゃんとお話しなきゃ駄目!」

と、社会的ノーマル基準にだらしがない自分を高めなければならないからで、とどのつまりは役人にはなれないタイプ。

とまあ、まったくつれづれなるままに生きていないわたしはこのところ電話をいろんなところにかけていて、

「しまった!税金払うの忘れてた!」

と、先日、一日遅れで法人である結美堂の税金を払ってきたのである。

そういえば、役所から昨年度の医療費の通知が来ていて、3割負担で57000円ほどであった。「趣味・病院」であるわたしは何か少しでも異変があったり、もしくは予防のためにはすぐに病院へ行くようになった栃木スタイルで、東京にいたならつれづれなる時間が少なすぎてそうはできなかったであろう。

しかし、あれだけ病院へ通って薬も買って一年で57000円は安い。ニッポン万歳!アメリカ人に生まれなくてよかった。

思えば、つれづれなるままに生きるにはまずは健康であらねばならず、胸が苦しいとか、慢性的な喘息で息苦しいとか、そういう肉体的な苦痛があれば時間的にいくら暇であっても精神は穏やかな暇を味わることはできない。

それに実は人間はある程度忙しくて、ある程度のストレスがあったほうが健康であるというデータがあって、なるほど忙しそうにしている人のほうが病気がなく、退職して年金暮らしになった途端に病気になるなんて話は頷ける。

なので、つれづれなる生き方は意外と愚かな選択かもしれず、だから一日中硯に向かってくだらないことを書いてしまうわけで、わたしは暇でもないのにここに記していることを正当化する。

暇から生まれるものがあるとさっき言ったけど、それは純粋な暇なのではなく、渇望がある暇ってことなのかもしれない。渇望がないと人間は萎れてしまう。かと言って、単純に忙しいのもよろしくなく、ほどよい余裕って奴があるほうがいい。

まあしかし、企画考えて、できるかどうかわかんないことをあーだこーだしていると楽しいもので、ため息つきながらやってるくせにそれが楽しいことなんだと達観してみる。

「できることなんてやったっておもしろくないよ。できないことをやってみるからおもしろいんだよ」

なんて、5歳の愛娘によく言ってるわたし。

それは勉強をやるとき、バイオリンを弾くときであり、もうできちゃうことは「処理済み」であるから搾り滓みたいなもので、できないことこそが新鮮であるから。

できちゃうことってつまりは「古い」ってことだから。古いものはつまらんのだよ。正確に言えば「古臭い」かな。

できることを同じように繰り返していると進歩がないから、それは現状維持ではなくただ古臭くなっているだけなのである。

だから、仕事でも相手が「古臭」い人間であると会話が弾まなくて疲れる。それは瞬時に古臭いとわかるもので、その会社の中で同じような仕事を繰り返している人だとすぐにわかる。そういうポジションで生きているってわかる。

同じような仕事の繰り返しは体感的に忙しくてもそれはつれづれなるままなもので、進歩的じゃない。退屈から何かが生まれるつれづれでなく、何も生まれないつれづれ。

きっと事務的な話が疲れるのは、事務的な話の電話は繰り返しに過ぎない応答であって、そこに進歩的な鮮度がないからなのだろう。

でもそれは必要なもので、その対応がないと実務は前に進まない。だからその仕事を悪く言うことはできなくても、

「AIロボットでいいんじゃない?」

なんて思ってしまい、要するに進歩的でなく鮮度が出ないジャンルの仕事はますますロボット化されるのだろう。

なんてもっともらしいことを言いつつ、いろんなところに電話して疲れるのは単にわたしが人見知りで、引きこもり体質であるからなのだ。

基本、人と会うのが好きじゃない。猫とずっと一緒にいたい。

よくこれで企画なんか考えているものだと思う。そういう意欲がなければ、わたしはつれづれなるままにニートを通り越して廃人になっているに違いない。

と、今日は5歳の愛娘の1/10サイズのバイオリンを借りて、バイオリンをめずらしくすごく練習した。

フルサイズの自分の楽器は事務所に置いてきてしまったからだが、集中して練習するとなかなかやめられないほど楽しい。そして、5歳児から、

「早くバイオリン返して」

と言われ、

「今練習してんだからうるさい」

と、5歳児相手に真顔で不機嫌になるわたしはそのルックスが1/10バイオリンでパジャマ姿なのであるから、傍から見たら馬鹿丸出しな姿。

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