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宇都宮のオリオン通りは廃墟の臭いがした

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結月でございます。

栃木に来てから3年が経つというのに、とちテレで何度か見た宇都宮のアーケード商店街「オリン通り」には行ったことがなかった。

ちょっとしたことから今日初めて歩いた、というか知らずに歩いたらオリオン通りであったのである。

ひと目見て、その寂れ様にセピア調な気分になった。薄暗く、シャッターも下りているところも多く、人通りがほとんどない。そもそも開いている店が少なく、開いていても驚いたことにそれは昭和の店がそのまま生き残っていて、逆に新しい店が数少ない。

あまりに昭和のままだったので、むしろ懐かしく、自分が保育園や小学生の頃の記憶がよみがえる。どんな店なのかを具体的に記すと営業妨害になりそうだからやめておこう。とにかく、どういうわけか昭和の小さな店が昭和のままであって、タイムスリップしたかのようである。しかし、客がいるようには見えず、なぜ店が存続しているのかさっぱりわからない。

さらに昭和のままの、昭和の形をした公衆便所があった。トイレでなく「便所」である。少しもよおしてはいたが、入るのが不気味だったからやめた。

かつてはネオンが輝いていたであろうビルの看板はそのまま錆によって字が読むことができ、ビルはほとんどが昭和時代からのもので階段にかけられた赤いテントは朽ち果ててゾンビに切り裂かれたようになったままである。

廃墟にはなっていないが、廃墟の臭いがした。人はかろうじて歩いてはいるが、オリオン通りを歩いていると死後の世界にいるというか、あるいは無理やり薬物中毒にされて思考を失ったような気分になる。

それでもすぐ近くには東武百貨店があり、そこにはルイ・ヴィトンが入っていた。撤退しても良さそうに思えたが、東武百貨店自体が近い将来なくなるような気もする。

平日とは言え、まるで活気がない。歩いていると寿命が縮まりそうだ。栃木県知事も宇都宮市長もこれをどうにかする気がないのだろうか?

お腹が空いていたので何かを食べようと思うも食べたいものがない。そもそも開いている店が少ない。たこ焼き屋や唐揚げ屋があったが客が入っておらず、店員はうつ伏せ気味で元気はなく入る気がしない。

すると恐ろしく昭和なカレー店があった。絵に描いたような昭和である。懐かしいとは思うが、古くなっているので記憶の煌びやかな昭和とは異なると言えば異なる。興味本位で入ってみる。

メニューはこれまた昭和である。創業が昭和40年とある。その頃からメニューが変わっていないようにも思えた。

スタンダードのカレーを頼んでみた。昭和のカレーである。こんな昭和を今味わえたことに時空が歪んだような気持ちになり、SFの世界にも思う。

そうだった。昭和のカレーはこうだった。こんな味だった。

童心に帰るより、自分がひどく年を取った気になる。すでにわたしは死んでいて、やはりここは死後の世界なのではないか。死後の世界で子供の頃に味わったものを体感しているのではないか。

このまま放置していていいのだろうか? こんなに放置したままでいいのだろうか?

まるで育児放棄されて痩せ細っていく姿のようであり、まるで洞窟に幽閉されたアンティゴネじゃないか。

栃木は地元のナショナリズムが薄い土地柄であるが、その薄さゆえに放置になっているのかもしれない。

わたしが知るアーケードは例えば熊本の上通り・下通りがあるが活気があって明るい。それは熊本にはナショナリズムが強くあり、良くも悪くも熊本をどうしたいかという思いが土地にある。ところが栃木はそれが薄いから何もしなくて放置。廃れるまま、寂れるままのオリオン通りということだろうか。

普通、土地への思いがあればあれをなんとかしたいと思うはずなのだが、地元からの愛も得られない廃墟臭である。

東武宇都宮駅のすぐそばという立地、さらに二荒山神社のすぐ近くである場所が昭和のまま放置されているのには恐怖した。

唯一賑わっているだろうと思われたドンキホーテだったが、入ってみると昭和のままのビルでやはり賑わってはいなかった。

昭和はもっと明るかったのである。80年代はもっと躍動していて、賑やかで、なんだかよくわからないけど楽しさがあって活気があった。その80年代の建物や看板があったのにそれらはすべて錆だらけになっていた。

そんな風景を眺めながら、若い人はこんなところにいちゃいけない。うちの愛娘も高校生くらいまではならよくとも、その先はこんなところにいちゃ将来はない。こんなところじゃ何も得られやしない。何もクリエイトすることはできない。

そう思ったのである。

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