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努力したことない親って子供にいろいろやらせるよね。

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結月でございます。

結構見かけるのだけれど、小さい子供にいろんな習い事をさせる親。

親の思いつきで一貫性なく、子供に習い事を押し付ける。

あとは親の憧れを子供にやらせたりするケース。ピアノとか、バレエとか、自分ができたら素敵!なんて思うものを子供にやらせる。

そういう事例を見るとわたしは、

「子供にやらせないで、お前が習えよ!」

と、親に言いたくなる。

バレエがやりたかったら、お前がバレエ教室に通え。ピアノやりたかったら自分でピアノを練習しろ。

そういうオシャンティ系のものは親の憧れでなされることが多い。そして、友達の子供がバレエをやっていたら自分の子供にやらせようと思ったりなどなど。

ちなみにわたしは愛娘にバイオリンを習わせている。しかし、レッスンは月2回だから、普段はわたしが家で毎日教えている。やはり小さい子供はレッスンだけでは弾けないし、レッスンに頻繁に通うのも簡単な話じゃないから。

バイオリンは3歳の昨年から始めている。3歳児が自分からバイオリンをやりたいなんて言うことはないので、これはわたしが勝手に選んで習わせているのである。

とは言え、わたしが音楽の仕事をしていると言っても、うちの愛娘をプロ奏者にしようなどとは微塵たりとも考えておらず、むしろその逆で器楽演奏なんてかなりのレベルに到達できないと飯は食えないし、これからますます日本はクラシックファンたる高齢者は寿命が尽きて少なくなっていくののだから、ニーズがないものはやらせない。

でも、バイオリンが弾けると暇つぶしができる。

勉強で疲れた時は、サッとバイオリンでも弾くと気分転換にもなる。

あとは読譜を小さい頃からやっておくと、頭の活性にはよろしく、これは学力につながる。

また音楽という文化を身につけておけば、海外に出かけたとき、ハイソな層にもビビることなく接することができる。

バイオリンは弾けるとおもしろい。いくらでも曲がある。すると、ゲームなどに埋没することない。なぜなら、ゲームなんかやるよりバイオリンを弾くほうが楽しいから。

ゲームはよくできていて、誰がやってもハマってしまうようにできてはいるけれど、結局は消費であり、課金されて楽しむ消費。

ところがバイオリンを弾ける楽しみは消費ではなく、創造。この差は大きい。

なので、ゲームにハマらない予防策としてバイオリンを習得させる。

とまあ、そんな意図で愛娘にバイオリンを習わせている。

さらに音楽もよく聴かせている。

だから、うちの愛娘の鼻歌はモーツァルトの旋律であり、アンパンマンではない。

そんなバイオリンで音楽をやっているけれど、さらにピアノを習わせようとは思わない。もし将来、音楽大学にでも入るのなら試験で後々必要かもしれないが、音大なんかには入れない。

あれやこれやと習い事は増やさない。そもそも普通の勉強もたくさんしなければならないから、バイオリンを教えたあとは勉強を教えている。これは日課にしている。

駄目な親は子供がバイオリンも弾けて、ピアノの弾けて、バレエまでできたら素敵だと思う。だからあれやこれやと習わせる。

しかし、多芸は無芸という言葉があるように、あちこちに手を出すとどれも中途半端になって、どれも習得できずやめてしまうものだ。

そもそも一つのことをマスターすることが難しい。

バイオリンが弾けるようになること、ピアノが弾けるようになること、バレエを踊れるようになること、それぞれが大変で、たくさんの練習が求められる。

一つに絞っても習得できるかわからないほどのものなのである。

なのに自分の憧れで子供に手当たり次第にやらせるのは愚かであって、むしろ子供の才能を潰してしまう。

バイオリンだけ弾けるようになることがどんなに大変なことか。どんなにすごいことか。それを理解していない親は楽器を簡単に考え、闇雲に手を出す。

間違いなくそういう親は自分が努力したことがない。努力して何かを習得した経験がないから容易く考える。そんないい加減さで習い事を詰め込まれる子供はかわいそうだ。

自分が努力して何かを習得した経験があれば、一つのことをやり遂げる苦労がわかる。そしたらあれやこれやと子供には押し付けない。

努力を継続すること。これはいくら好きなことでも生易しいことでない。好きなことでも困難に遭遇する。

バイオリンが好きでも指が回らないパッセージは出てくるし、それが弾けるようになるにはとてつもない努力が必要なのである。

だから、子供にはまず主軸となるものを習得させること。主軸があった上で、他のもので遊ぶといなら構わない。

でも、子供に闇雲に習わせる親はそもそも主軸という一貫性がないから、やってることが支離滅裂。

そんな状態で子供が才能を発揮するわけがない。混乱して、どれも取得できず、金だけかけて何も残らない。

とにかく、バイオリンが弾けるようすることが大変。ものすごく時間と労力を要する。

それなのに他の習い事? ピアノ? バレエ?

それは無理というもの。

一つのコップには一種類の飲み物しか入らない。

努力をしたことがない人間の言葉は責任感がない。軽く考えすぎる。きっと真剣になったことがなく、真剣さを継続したことがないからだろう。

自分が何もできないことを棚に上げて、子供にやらせる。これも一種の毒親だろう。

ピアノがやりたきゃ、子供にやらせず自分でやれよ。

「勉強しなさい!」

と、口うるさい親に限って、自分が勉強したことがないものだ。

努力をしたことがない人間の言葉は横暴であり、単純であり、無責任なのである。

何か一つでもいいから努力して、何かを習得すること。

この経験があれば、他のこともできるようになるから。

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