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タルコフスキー、タルコフスキー、タルコフスキー

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結月です。

公演が終わって本が読みたくなる。公演を控えていると、本なんか読んでいる場合じゃないし、本なんか読む暇があったら公演の集客のことを考えることが現実なので本は一切読むことはなくなる。

これまで本はかなりの数を読んできたことを考えると、ずっとだらしのない時間を過ごしてきたのだと知る。

しかしながら、優れた文芸作品は読んでおくほうがいいと今は思うのは、文芸作品を読んでいると想像力が身につくし、人間とはどういうものかを探求できるから。つまり、ビジネスをやるには想像力と人間への関心の強さがないといけないと思うから。

人間への関心、それは社会に対して接点を持つことであり、自分の事業で人間をどうしたいのかというヴィジョンを考える基礎になる。そして、そこには想像力がないと思いを描けないのであって、ビジネスやるからビジネス本というのでは底が浅くて、薄っぺらになってしまう。

とはいえ、文芸作品だけに埋没すると、現実力が乏しい人文系の訓垂れになるからそれはよろしくなく、文芸的なるものをエネルギーとしながら、実行力は合理的な現実に根差していなければならない。

さて、公演の前、暇だった頃に買っていた本があって、それはソ連の映画監督タルコフスキーの『映像のポエジア』というもの。

読もう読もうと思っていて下駄箱の上に置きっ放しで、公演開催が決まり、本を読むモードがわたしの中から消え去り、今もまだ下駄箱の上にこの本はある。

一応、今は消滅した日本映画学校を中退したわたしは映画には詳しいのであるが、好きな監督を3人あげろと訊かれれば、

「タルコフスキー、タルコフスキー、タルコフスキー」

と、答える。

これは今年、安楽死したジャン=リュック・ゴダールがその質問に対して、

「溝口健二、溝口健二、溝口健二」

と答えた真似なのである。

わたしはとにかくタルコフスキーが好きで、これ以上好きな監督はいない。

もちろん、キューブリックも好きだし、黒澤明も小津安二郎も好きだし、ウディ・アレンも大好きだし、あげればキリがないけれど、タルコフスキーは自分の美意識と合致しすぎていて、なんてたってタルコフスキー。

タルコフスキーは1作品それぞれが壮大であるから作品数は少ない。それらの中で何が一番かと考えてみたら、やはり『惑星ソラリス 』だろうか。

しかし、『僕の村は戦場だった』もいいし、映画学校の卒業制作の『ローラとバイオリン』はこれが学生が作ったのかと驚くほどの映画ですでにタルコフスキーの映像がにじみ出ているし、『ストーカー』も最高にいいし、いやいや『ノスタルジア』もいい。『アンドレイ・ルブリョフ』はかったるいくらい長いけどやっぱりすごい映画だし、『鏡』も美しい。思えば『惑星ソラリス 』の次に好きなのはもしかして『サクリファイス』かなとも思ったり、要するにタルコフスキーの映画は全部いいのである。

タルコフスキーはロマンティシズムが一切ないのがいい。美意識が常に先行して映像ができていて、人間が美を生み出しているのではなく、美の中に人間がいるのである。

そんなタルコフスキーの映画を久しぶりに見たいと思う。DVDとVHSで全作品持っている。

今見たいのは『サクリファイス』。

もしまた公演開催が決まれば、タルコフスキーのような恐ろしくゆったりとし、ナメクジが這うようなスピードでしか進まない映画は見る余裕がなくなる。

今思ったのだが、奥日光の行きつけのホテルにプロジェクターを持ち込み、『サクリファイス』を見ると最高なんじゃないか。

真夜中の奥日光。その静けさの中で『サクリファイス』。

そういえば、奥日光の光徳沼の水の美しさ。あの透明度はタルコフスキーが描く「水」そのものだ。わたしが奥日光が好きなのは、奥日光がタルコフスキー的だからに違いない。

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