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宇宙より南極へ行きたい。

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結月でございます。

今日は注文してあったミシュランのスタッドレスタイヤを装着するためにタイヤ屋へ。

やはり新しいタイヤは艶があって美しい。

クルマというのは足回りが大事と言われるけれど、ファッションでも靴が大事というのと似ている。

2年半履き続けた夏タイヤ、ミシュラン・プライマシー4はまるで営業マンが履き潰した革靴のようになっていた。来年の3月になれば、今のスタッドレスからこれまた新品のプライマシー4に履き替えなければならない。

ついでに先日、わたしの愛車はいよいよ10万キロを突破し、買ってから5年、すなわち免許を取ってから5年、本当によく走って、栃木にいる今、さらに走っている。

次は20万キロを目指す。部品を交換しながら乗れば到達できるに違いなく、苦楽を共にした愛車は愛着がありすぎて手放そうという気になれない。

さて、ミシュランのスタッドレスタイヤは走ってみると夏タイヤをそこまで極端に違わない走り心地。スタッドレスは柔らかいからほんの少しゴロゴロする感じはなくはないかなと思いつつ、それも気づくかどうかというレベル。

ロードノイズもほとんどなく、そりゃプライマシー4に比べればちょっとあるかもしれないけれど、ほとんど差は感じない。

さあ、雪の奥日光へいつ行くか。この間の寒波で日光連山はすっかり雪模様となり、毎日その風景を見て奥日光への想いを募らせる。

と、暑いのは苦手で冬が好きなわたしは宇宙に行った前澤友作さんのYouTubeを見て、あまり魅力的には思えなかった。

今は情報過多なので、前澤さんが行く前から宇宙ステーションの様子は映像で見ているからそのまんまであったし、宇宙ステーションの狭さは降りることができない旅客機と同じだと思ったし、さらに狭い中でのなんとなくの汚さは潜水艦と同じだと思った。

船外に出て宇宙遊泳すれば感動は違うだろうが、宇宙ステーションの中は無重力であることを除けば飛行機や潜水艦とそれほど変わらないように見え、地球の輝きも多分、翌日には飽きてると思う。

それよりも無人の火星探査機が送ってくる火星の映像のほうがわたしは興味深くて、それは火星の情報がまだ乏しいからであり、地球に近い宇宙ステーションはそれほど感動的ではなかった。

しかしながら、ロケットに乗って地球を離れるときやロケットから地球に向かい大気圏突入している最中はちょっと体験してみたい。それは映像で見たことがないし、地球に向かって真っ逆さまというのは身体的にドラマティックである。

さて、今日は保育園へのクルマの中で4歳児と「南の国」の話をした。

「南の国っていうのは、ずっと下に行くんだよ」

「どうやって?」

「行くなら飛行機だね」

「飛行機でどうやって潜れるの?」

「は?」

という会話。わたしは南下することを「下に行く」と表現したら4歳児は地中に潜ると考えたらしい。

「じゃあ、保育園が終わって家に帰ったら説明してあげるよ」

と、約束した。

そして、夜になって地球儀を持ち出し、説明。

「今いる日本から下が南、上が北って言うんだよ。南の島はこのあたり。飛行機でずっと下に降りていく。地球の一番下は南極。ペンギンさんはここにたくさんいるんだよ。雪と氷ばっかり」

と、YouTubeで南極のペンギンの様子を見せた。

そこは雪がどこまでも続く大地で、映像が切り替わると箱のような氷山がある。これを見て、わたしは宇宙よりも南極へ行ったみたいと思った。

狭い宇宙ステーションで過ごすよりも南極大陸を歩いてみたい。

とまあ、そんなことは叶わないから、とりあえず雪の奥日光を歩くとしよう。

ところで地球に帰還した前澤さんがカップヌードルを食べていたが、その気持ちはなんとなくわかる。そしてさぞかしうまかっただろうなと思う。

母国を遠く離れるとああいうジャンクがいいわけで、高級料理みたいなものは面倒でよくない。とにかくサッと何も考えずに食べられてわかりやすいものがいい。

いつだったかフランスから帰ってくる全日空で、そこは日本人客が多い便であったが、機内サービスでカップヌードルが提供された。セルフサービスで自分でカップを取り、自分でお湯を入れにいく。

そこには行列ができていて、パリから戻る日本人観光客は1週間ほどのフランス旅行で典型的な日本食を求めていた。

わたしはああいうのが嫌で、別にずっとフランスの食事で平気なほどフランスが好きだし、無料のカップヌードルに並んでまで食べるなんて貧乏臭くて行為として美しくないから手を出さなかった。

あとは機内食で味噌汁が出ることに喜ぶ日本人も多い。

しかし、どうせ成田空港に着くというのになぜ急いでカップヌードルや味噌汁を摂取せねばならないのだろう?

わたしは忙しない食事が好きでなく、ゆっくりと静かなところで食べたい。だから、食事は家に到着してからでいい。

ところでわたしはコスモポリタンであるから、どんな外国でも平気で、その国の料理であれば興味深く食べるし、悪食であるからなんでも食べられる。

だから、帰国して日本食が恋しくなるなんてことがないのだけれど、何度も行った中国はもう飽きてきて、中国の食事は好きだけれど、さすがにもういいかなというところまで達観してしまい、帰国したらドミノピザが食べたいとか、焼き鳥が食べたいとか、そんな気持ちになる。

猫と一緒にマックのバーガーを食べながらマックフライポテトをつまみ、ハイボールを飲む。ああ、幸せ。ニッポン、最高!なんて思ってしまう。

フランスのことは愛しているから、帰国するとフランスのことが恋しくて恋しくて、成田に着いたらそのままパリ行きの飛行機に乗りたくなる。

中国のことは愛しているわけではないから、帰国したらマックが食べたい。

いやいや、これはきっと中国が悪いのではなく、中国にいるときの環境が悪いのだろう。自由が大好きなわたしは中国では不自由なのである。とりわけ会いたくもない人に会ったり、辺鄙なところだから容易に出かけられないし、遊びに行こうとするとうるさい家人がいたりして、まるで軟禁状態である。やることがないから日本から持ってきた長編小説を読破するばかり。

コロナが武漢で騒ぎ出した中国にいた2年前は特にコロナで動きづらくなり、軟禁から監禁に近くなった。3歳になったばかりの愛娘とやることがない暇すぎる時間に辟易し、3歳児は「おうちに帰りたい」と泣き出す始末。コスモポリタンであるわたしも帰国を願った。こんなしょーもない時間を過ごすのなら猫と一緒にいたい。なんで可愛い猫を日本に置いて、こんなところでこんな時間を過ごさなあかんのや?

中国だって一人で行けば楽しいに違いない。地図を見ながら行ってみたいところを訪れたり、好きなときに食事をして、好きなことをやる。

楼蘭に行く前にまず敦煌へ行きたいから、愛娘の手が掛からなくなる小学生あたりになったら単独で敦煌へ行こう。

わたしが愛するもの。それは自由、自由、自由。そして美、美、美。

自由と美しさがないと生きていけない。

さて、そんなわたしは愛娘が小さいから不自由な生活である。もし小さな子供がいない状態で栃木にいたならば、連日クルマで栃木を走りまわり、栃木探索に出かけるだろう。

しかしそうはいかない。ひとりだったら行けるところも4歳児が一緒ならいけないし、一緒だとしてもわがままの相手をしたり、食事に行けば茶碗をひっくり返さないかとヒヤヒヤする。

最近、近所に横浜家系ラーメンの店ができて、2度ほど4歳児と食べに行ったが、落ち着きがない4歳児と一緒ではラーメンも味わえない。わたしはラーメンはひとりで味わって食べたいのだ。

だから、月に2度、東京へレッスンに行った帰りの国道4号線にある行きつけになった家系ラーメンの店でひとりでラーメンを食べる時間が至福である。何も気にかけず、ラーメンだけを食べることができる。

愛娘といるようになってから、ひとりの自由な時間が激減してしまい、お一人様ラーメンでさえ至福なのである。

ひとり、自由、最高。

そこに猫が加われば、メガマックスの幸せ。

と言いつつ、愛娘だってあっという間に小学生になり、いつの間にか中学生になって、勝手にやるようになるだろう。

きっとそんなに時間はかからない。栃木に来てからも3年になるのだから。

しかし人間の成長には幼児期が最も重要であるから、今は自分の自由を手放して仕事もほどほどで愛娘のために時間を捧げる。

そして、情けは人の為ならず。

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