結月でございます。
寝る前にはヴィトゲンシュタインの『青色本』を読む。毎晩、10ページくらい。内容が難解であるから10ページくらいで頭がいっぱいになる。
とはいえ、『論考』よりはわかりやすい。
読むのはKindleで、iPhone。
iPhoneで本を読むようになってからずっと電子書籍。紙の本はどうしても読みたい本で電子化されていない場合しかない。
iPhoneは12ProMaxを使っているので画面が大きい。小さいiPhoneだとちょっと字が読みにくいに違いない。
紙で読んだり、紙に書いたりすることが激減して久しいので、手書きで字を書くとなると脳みその動きが鈍い。
なんてことを感じるのは、公演をやるから電話でチケット申し込みを受けると、送り先の住所を聞き、それを手帳に書き込む。その際、地名や氏名がすぐに漢字で出て来なかったりするから。
一瞬頭がボケた朦朧さを覚えつつ、ええっと、ええっとと必死に反応の悪い脳みそを働かせる。脳みそはすっかりスマホ対応になってしまっているのである。
だから、読書もスマホが心地よく、紙だと鬱陶しさみたいなものが感じられ、拒絶反応に近いものがある。
電子書籍のいいところはなんといっても本で部屋が狭くならないこと。
読み終わった本というのはとにかく邪魔でしかない。2度読み返すことなんてほぼないのに部屋の場所をある程度占拠してしまう。
蔵書欲や愛蔵書みたいな悪趣味はわたしにはないので、本なんて読めば終わりだと思っている。書棚に本をぎっしり並べてひけらかすかのような趣味、学者の研究室やメンタリストDaiGoみたいなのは嫌らしいと感じる。
あと、電子書籍はiPhoneだから軽くていい。文庫本ならよくともハードカバーとなると重い。そして、紙の本は片手でページを開いていることに指の筋肉を使って疲れる。時折、指が滑ってパタっと本が閉じてしまい、どこまで読んだかわからなくなってしまう。
その点、iPhoneだと画面の端をタップするだけでページが切り替わるからとても楽。
また寝る前によく本を読むわたしにとって、薄暗い中でもバックライトのおかげで読めるのがいい。要するに読書灯がいらないのである。
そして、電子書籍の利点は、紙の本より少し安いところ。さらに読みたいと思ったらすぐにダウンロードできて読めてしまうところ。紙の本のように書店に行かなくていいし、通販でも到着を待たなくてもいいし、宅急便の受け取りを気にすることもない。
とまあ、そんなわけでiPhoneで電子書籍を読んでいるのだけれど、どういうわけか、紙の本で読むのも味わいがあっていいかなと思い始めた。
4歳の愛娘に勉強を教えるための教材は紙だし、絵本も紙だし、紙のリアルがいいものに接しているからかもしれない。確かに勉強を教えるには電子版ではやりにくい。絵本だってタブレットやスマホでとなると色気がない。
長らく紙の本から遠ざかっていたので、紙の本にちょっとノスタルジー。
それは密かにLPレコードが人気であるのと似ているのかもしれない。
LPの音は奥行きがあって味わい深い。
CDが初めて出たときは、その音の悪さにびっくりした。薄っぺらで、硬くて、プラスチックみたいな音だと思った。
でも、CDにも慣れてくる。CDだと裏返さなくていいし、持ち運びも楽。クルマでも聴ける。しかし、今はダウンロードの時代で、CDすら古くなっている。CDプレイヤーを持っていないという人も多いに違いない。しかし、ダウンロードの音はCDよりさらに悪い。圧縮されているから音として粗悪な感じがする。
だから、LPレコードなのだろう。
そういう奥行きがほしいという反動はよくわかる。
ダウンロードでばかり読んでいた時間が長くなり、ちょっと紙の本を読みたい気分。
書かれている情報は同じだけれど、端末の形式が異なるから感じ方は違う。
ビジネス本などは電子でいいとはいえ、味わいのある小説となると紙のほうがいい気はする。
しかし、今、紙の味わいで読みたいと思うような作家がいるかというと、いない。電子でいいじゃん。安いし。
でも、サッと思い返してみて、『上海ベイビー』は紙の本で読んでいてよかったと思う。もしあの小説を電子書籍で読んでいたら、感動はなかったかもしれない。
『上海ベイビー』は上海の街の不潔さや登場人物の酒臭さや体液の臭いがプンプンしていて、ドライな電子書籍だとイマイチそれが感じられなかっただろう。
紙の本は紙を触っているから、本を読んでいるリアリティはある。そんな質感がいいといえばいい。
しかし、紙の本にしようと思うかといえば、そこまではまだ思えない。『上海ベイビー』ほどの紙がいいと思える小説も今のところないし。
というか、ちょっと前から小説なる文学表現が大袈裟なポエムに見えてしまって、しらけて読めない。
今の文学はポエム程度になったからだろうか。あまりド級な作品は聞かない。
やはり今はドライな時代で、みんな賢くなってる。悩む前にググってしまうから、悩む咀嚼がない。そして、答えが常に求められていて、答えらしきものが無数に溢れている。
コロナ対応だって答えが見つからないものであるはずなのに、多くの人が答えを求めて政府は批判された。
とにかく、利口なのである。だから、まどろっこしい文学表現なんかポエムにしか見えない。そして書く側も利口な時代に小説を書かねばならないからポエムくらいまでしか書けなくて凄みが出ないのかもしれない。
人間がデジタル的に整理整頓されている。それによってエビデンスのないトンデモな話は駆逐されるようになったからよくなった。同時に人間に色っぽさはなくなった。
というわけで、読みたい小説もなく、読むのは哲学書くらいなものだからやっぱりiPhoneで読むのがいいかと思う。
哲学書を紙で読むと分厚くて重いし、読みにくいったらない。
ただ、4歳児と一緒にいる身としては、iPhoneだと本を読んでいるように見えないから教育的には紙で読んでいる姿を見せておかねばと思う。
親が読書しないと子供は読書しないように育つわけで、本はちゃんと読めるようになってもらいたいので、たまには紙の本で読むようにしようか。
ところでうちの4歳児は寝る前に読んでやった絵本を抱きながら眠っている。
いい風景だと思う。