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アナ雪と眞子さまの違い

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結月でございます。

4歳の愛娘が愛してやまないアナ雪のエルサ。エルサのことが好きで好きでたまらない。

なので、いつでもエルサを見られるようにアナ雪のDVDを買った。

そんなアナ雪を今日も見ていて、レンタルで見たことも含めると5回くらいはこの映画を見たのだろうか。

と、アナ雪を見て、これは「眞子さまじゃないか!」と思った。

アナが初対面で結婚すると言い出した相手、ハンス王子は実は王国を乗っ取ろうとする悪い男。そんな男にいきなりゾッコンになってしまうなんて眞子さまじゃないか!

さらにエルサはアレンデール王国を放ったらかしにして、ありのままの私を貫くため、一人雪山に氷の城を作って引きこもってしまう。ありのままのために国のことを考えないで意固地になるなんて眞子さまじゃないか!

しかし、アナが眞子さまと異なるところはハンス王子がロクでもない男であることに気づくところ。エルサが眞子さまと異なるところはちゃんと王国に戻って女王という立場で生きて行くこと。

と、小室さんがハンス王子さながらに悪い奴かは会ったことがないから確認しようがないとはいえ、ロン毛という死後を復活させてポケットに手を突っ込んでガン無視という姿はいわゆる「態度が悪い」と見られるわけで、どんな事情があるにせよ、あの態度の悪さはピュアにいい奴にはなかなか見えない。

あとは二十数枚におよぶレポートを読んでも、やっぱりいい奴には見えない。

と、そんなことを言うから眞子さまがPTSDになるんだ!なんて言われそうだけれど、わたしは精神的苦痛なるものはほとんどのケース、自分が自分にもたらしているものだと思う。

もちろん、明らかに環境が劣悪な場所、紛争地域であったり、虐殺が起こるようなところに生まれ、虐殺の対象になるような民族に生まれたりした場合は違う。

しかし、そうでない平和で安全が確保された国においてはよほどのケースでない限り、例えば親から虐待を受けるなどなどを除けば、己の不幸とは自分がもたらしていることが多いのである。

バッシングされるのは小室さんみたいな男を選んだ自分の行為ゆえであり、一度決めたものは貫き通すという柔軟性のなさ、つまり自分の頑固な性格ゆえに批判は止まらないとも言えるし、自分が招いていることは多々ある。

皇族は一般人と異なる立場であるから、しかるべき態度であらねばならず、それは嫌だと思っても甘受するしかなく、しかし甘受しなければならないのは皇族だけのものでなく、わたしたち一般人だって日常生活で仕方なしに我慢をしなきゃ仕方がない事例は珍しくない。

自分のわがままを貫くと軋轢が生じるのは誰しも同じであり、わがままを貫くことが美談になるのは映画の中ではよく見られても、現実社会ではあまりない。

かといって、自己主張もなく、求められても、

「特になし」

なんて答えるのもよろしくはなく、無論、自我は大切でそれがないと困るのだけれど、融通が利かないのはこれまた困る。

とはいえ、眞子さまにしてみれば、これを逃すと自分は一生結婚できないとわかっているから、尚更意固地になる。そんな意固地は婚期に執着する一般人の女となんら変わらない。

一般人と事象としては変わらないと言っても、皇族となると国家の品格に関わってくるから、そこは一般人の感覚と同じくしてはならない。

同じくしてしまうと、

「好きなもの同士が結婚して、幸せになればいい」

なんて、自分をさりげなくいい人、かつ理解があることを演出するような浅はかなヒューマニズム、昔のトレンディドラマレベルの発想になってしまう。

皇族は一般人と同じではない。海外では国の顔として公務を行ったり、日本という国の品格を背負っているのである。

いや、そもそも日本に品格があるわけでない。日本人の99.9999%は国家を代表するような品格なんてものは持ち合わせていない。国の品格を背負えるのは皇族だけであり、天皇皇后両陛下しかいないのである。オリンピックの開会式を見ても天皇陛下が国家の品格を代表してくれたからよかったわけで、そのそばにいた菅首相や小池百合子ではそれは務まらない。

天皇に関わるものを一般人レベルに矮小化してはいけないのは、天皇は『古事記』から描かれる日本の神性でもあって、もはや歴史なのである。そうしたものを21世紀になっても残せている国は少ないし、ルーツが神話の世界からとなるとこれは、

「結婚してお幸せに〜!」

なんて話ではなくなってくる。

そんな日本の神性を秋篠宮が庶民レベルにしてしまったわけで、小室さんみたいな男と付き合ってしまう結果を招いたと言えよう。

そこが愛子様とは違うところで、愛子様を見ていると『古事記』からの神性を感じる。

眞子さま問題で、皇室はもう令和で終了でいい!という投げやりな声も多いのは、日本人の中に『古事記』からの神性を敬うDNA的なものが『古事記』を読んでなくてもあるからであろう。そんなDNAがあるからこそ、眞子さまにも小室さんにも拒絶反応が起こるのであり、それが起こらない人、つまり「好きなもの同士が結婚すればいいじゃん!」みたいなことを言う人は歴史の浅い西洋の近代的な価値観で生きている。

皇室の品格をどう維持するかとという問題が眞子さまと小室さんによって引き起こってしまい、これがきっかけで『古事記』から続いたものが日本からなくなってしまうかもしれない。

ただでさえ、男系は維持できないことがはっきりしていても女系や女性天皇を認めない政治的な力が働いていて、このままいけば長くもってもあと3代で途絶えるところまで来ている。

しかし、男系維持というシステム的なこだわりで秋篠宮の息子を天皇にするのも反発があるからこそ、皇室は令和で終わりでいいという声が出るわけで、そのやけくそ感は理解できる。

皇室が庶民のことを慮ることはよくても、皇室が庶民的になってはならないのであり、その教育方針の過ちが眞子さまなるものを生み、小室さんを引き寄せて皇族の結婚を庶民的なレベルにしてしまった。

これだけ批判が出るのは、庶民感覚でNGがわかるほどその結婚が庶民的すぎるからだろう。

自分たちと同じ目線で考えられるほどゲスであるから、自分感覚で怒ってしまう。

さて、話を戻すと、やはり面倒は自分が引きこしていることが大半なのである。

自分の亭主がクズであったり、自分の女房がクソであったりしても、それは自分が選んだ行為によってもたらされたものであるから、あながち相手のせいだけにはできない。

会社がブラックだとしたら、ブラックな会社に就活した自分の行為が発端であり、そんなところしか就職できないのであれば、それは自分が今まで勉強を疎かにしてきたから学力不足でそこしか採用がなかったとも言える。

自分の行為を決めているのは自分しかいない。他者からのアドバイスに従ったとしても、それはそのアドバイスを信じて言われるままにした自分の行為がある。

詐欺に遭って精神的苦痛を負わされたなんてことも、もちろん詐欺師が悪くとも、詐欺師と引き合ってしまった自分の波長に原因があり、詐欺を持ちかけられるようなスケベな欲が自分にあったことが引き金になる。

自分は自分以外の人間で生きることはできないのだから、自分に降りかかる悪しきことも、いいこともそれらは偶然ではなく、自分の行為の発端で始まっている。

眞子さまは自分でやらかしてしまったからこれだけ批判されたとも考えられ、それが理由でPTSDになったなんて言われても、そこはあまり同情はされない。

自分の行いがすべての原因で、だからこそ自分ですべての責任を負うと覚悟している人間はPTSDなんかにはなりはしない。

「どうして自分が…」なんて思うからこそ、精神が病む。

ただ皇族は自由がないから気の毒ではある。だからそこは甘受するしかない。甘受して、それで生きていこうと決意する人間は美しい。その美しさが天皇陛下にはあって、秋篠宮ファミリーにはないところなのである。

眞子さまと小室さんがロミオとジュリエットのようだと言われることもありそうだが、ロミオとジュリエットは両方とも名家出身であり、その家同士が仇であったという話。

しかし、小室さんは名家でないのだから、ロミオとジュリエットにはならない。ただ互いの親が理解し合えていないところだけが共通で、そんな話は世間にいくらでもある。

ともかく、自分に起きる事象はそのほとんどが自分の行為の結果。

それをわきまえていれば、精神が病むほど不幸な気分にはならない。

自分を不幸だと思うのは、自分がそう思っているからであり、それも自分の行為。

不幸なんていうくだらない感情は、自分が種になっているものなのである。

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