結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

「趣味・病院」は猫にも適応

【スポンサーリンク】

結月でございます。

明日は愛娘の保育園の運動会ということで、その準備のため今日は保育園がお休み。

4歳児につきっきりのおかげで、いろいろ進めなければならない仕事が山積みであるけれど、メールサーバーを開いて、サッと返信することくらいしかできなかった。

そんな今日、台風の雨で、かつ平日となると動物病院が空いているに違いないと察し、4歳児と一緒に猫を検診に連れて行く。

予想通り、動物病院は空いていて、ほとんど待つことなく検診ができた。

血液検査に加え、レントゲンも撮っておくことに。

待合室で4歳の愛娘と並んで座り、愛猫の検診が終わるのを待つ。おそらく採血されているのであろう、わたしが愛してやまない猫のマオミィの唸るような叫び声が聞こえて、居ても立ってもいられない。

そして、呼び出されてみると、マオミィは大人しく診察台に座っていた。

レントゲン写真を見せられ、肝臓が生まれながらに少し小さいようだとか、尻尾の付け根がやや炎症を起こしているだとか、足の関節が少しばかり形が変わっていると聞かされる。

尻尾の付け根や足の関節は加齢によってなってくるもので、これは仕方がないとのこと。治療できるものでもないという。

結石はなかった。

歯はきれいだと言われた。

わたしが歯磨きを施しているから、その成果は出ているらしい。

血液検査の結果は2週間後。

レントゲンで見る限りは特段悪いものはないとのこと。しかし、9歳になったマオミィは年相応のものが見え隠れして、これからはできれば半年に一度は定期検診をするのがいいと言われる。

会計を済ませる。

13000円ほど。

そして、まだ午前中の診察時間が間に合いそうだったから、雨の中、結美堂に戻り、2匹目の猫、ラッキーも検診に連れてきた。

病院が空いているときにできるだけ済ませておきたい。

診てもらうと、聴診器から心臓に雑音が聞こえるとのこと。そしてレントゲンを撮る。その写真を見る限りは心臓に問題はないけれど、念のため、エコーを撮っておくことを勧められた。

エコーは予約してからというので、来週にまた来ることにした。それ以外は問題なし。ただ、血液検査はまだわからない。

お会計。13000円ほど。

もう一匹、元気くんという茶トラがいるけれど、時間的に間に合わなかったから来週、保育園が始まってゆっくりと来る。ラッキーのエコーと合わせて。

とにかく、猫が三匹もいると定期検診だけで4万円くらいかかる。

しかし、うちの猫たちも9歳が一匹、7歳が二匹とあって、そろそろ体を気遣わなければならないシニア的なお年頃である。

人間と同じく、病気は早期発見が肝で、早期だと治りやすく、治療費も結果的に安く済む。だから、定期検診をしっかりとやっておいたほうが猫のためにもお財布のためにも長期的にはよろしいというわけで、わたしの「趣味・病院」も猫たちにも適応させる。

昨年から「趣味・病院」に目覚めたわたしは何かあるとすぐ病院へ行く。人間ドックも済ませた。胃カメラも飲んだ。尻の穴からカメラも突っ込まれた。

大きな問題はなかったが、問題はなくはない。今に何かしなければならないことはないが、ちょっとした体のガタはあると知ったのである。

先月はかかりつけの医者のところで血液検査も申し出た。昔のわたしなら考えられない勤勉さである。

それも小さな愛娘がいるからで、こんな小さな子を見ていると、わたしが不摂生で病気しているようとまずい。

と、無頼派のわたしにも責任感なるものが込み上げてきて、そんな昨年、たまたま強烈に寝違えて、夜の眠れぬほどに背中が痛くて整形外科に行ったら偶然にも基礎疾患が発見されて命拾いしたのである。

命拾いは大袈裟だけれど、知らずのままだとおそらくは10年以内に死んでいたかもしれない。

というわけで、無頼派もほどほどにして、「趣味・病院」となり、あれだけ飲んでいたお酒もさほど飲まなくなって、今ではお酒を飲むと逆にきついのが事前にわかるから、そんなに飲みたくなくなってしまった。

と、そんな改心は保育園児の愛娘にも適応させて、何かあるとすぐに病院へ連れて行く。

しかも日本はすばらしい国で子供は医療費がタダなのであるから、できるだけ活用すべきなのである。

そして、愛娘も小さい頃から病院に慣れさせておいて、そのことが健康管理の習慣が当たり前のものだと思わせる。何かあったら躊躇せず病院へ行く体質に育てる。

さらにうちの猫たちも「趣味・病院」を適応させ、年齢的にもシニアになった猫たちをケアする。

少なくともうちの猫たちにはあと10年は生きてほしい。あと10年は一緒にいたい。

しかし、うちの猫、マオミィは11歳くらいだと思っていたら、調べてみるとわたしのところに来たのが2012年で9歳だとわかると、マオミィの寿命が伸びたようでうれしかった。

ともかく、猫も人間も病気は早期発見に尽きる。早期に発見できれば大ごとにはならない。

異変を感じたらすぐに病院へ行って検査する。検査してみて、

「なんともないよ」

と言われればそれでよし。何か見つければ、すぐに治療すればよし。実に簡単な理屈だ。

コロナワクチンだっていち早く接種したのは、接種すればコロナの感染率が下がり、万が一感染しても発症しないか軽症で済むことがはっきりしているからで、そこに迷う余地はない。

迷っているうちにコロナに感染して、重症化したり、下手したら死んでしまっては元も子もない。とにかく簡単な理屈なのである。

ワクチンといえば、帯状疱疹にワクチンがある。帯状疱疹はなればひどいらしいから今のうちにワクチンを打ってやろうと調べていたら50歳からしか打てないらしい。それじゃ年齢的に打てないじゃないかと些かがっかりしつつも、50歳以降でないと発症しにくいものだと聞いて、それなら仕方がない。打てるときになったらすぐに打つとして、悠々として待とうじゃないか。

ともかく、病気なんてものはその発症の原因を早くに発見していれば基本的に対処できるものであるから、

「検査、LOVE!」

というわけである。

中には病院嫌いで、検査することを避けて、自分の体の事実を知ることから逃避する人がいる。しかし、これは肥満が体重計にのることを恐れるのと同じで、愚かなのである。

検査から逃避して事実を知ることに怯える時間の無駄。無駄どころではなく、病状が進行して、進行すればするほど治療に金もかかり、治療も苦しいものになる。

そんな苦しさを想像できずに放置しているのは、経済学の「茹でガエル」と同じ。

病気だけでなく、自分の駄目さ加減を直視することから人間は成長するのであり、これは躊躇してはならない。

さて、検査をしていても病気に突然なってしまうこともある。

それは仕方がないことで、できるだけ確率論的にリスクを減らす。

しかし、どれだけリスクを減らしても人間はいつか死ぬ。

猫だっていつか死ぬ。

すべての生物は死に向かって生きている。

だから、死を意識することで生が躍動して美しくなる。

死を待つのではなく、死に向かって生きる。「待つ」のと「向かう」のは大きな違いがある。

大半の人は死を待った生き方をしてしまっている。

死に向かって着実に進む。その死への前進こそが、美しい生なのである。

【スポンサーリンク】