結月でございます。
今日の夜、洗濯物を干そうとバルコニーに出た。すると、4歳の愛娘が、
「虫が入ったよ」
と言う。
確かにレースのカーテンの裏に虫の影があり、それはカナブンだった。爆音を立てながら部屋中を飛び回り、電子ピアノの裏に落っこちると出てこなくてなった。捕まえようにもできないから、とりあえず諦める。
わたしは虫が苦手なのである。
スペック都会人のわたしは田舎が苦手で、その理由はたくさんあれど、虫がいるというのも理由のひとつである。
東銀座に住んでいたときは、夏に蚊に刺されることも一度もなかった。銀座には蚊がいなかったのである。
東京では虫に接することがなかったので、虫のことなど考えることがなかった。
しかし、栃木に来ると、洗濯物を干そうとするだけでカナブンが入ってくる。
そう言えば、この間はキリギリスを小さくしたような虫が部屋に入った。
今日のカナブンはなんとか捕まえ外に出したが、甲殻類でない虫は触りたくない。
キリギリスみたいな虫は照明の裏に隠れて出てこなくなった。放置して就寝し、朝起きると愛娘が、
「虫いるよ」
と言った先には、ソファの上にその虫はいた。わたしは触るのが嫌だから4歳児に捕まえるように頼んだ。すると4歳児は恐る恐る手を伸ばした。小さい子のほうが虫には抵抗がないらしい。
すると、キリギリスみたいな虫はパッと飛び、愛娘の肩の上に乗った。そのまま4歳児をバルコニーに誘導し、手で払い除けて一件落着した。
わたしが住んでいるところは栃木の田舎とは言っても住宅地であるから近くに田んぼや畑があるわけでない。ここだけ切り取れば世田谷とルックスは変わりない。しかし、虫は飛んでくる。
とすれば、虫というのは数キロは飛ぶものなのだろう。そして、住宅地の光に向かってくる。
一昨日のこと。事務所にしている戸建ての玄関にバッタがいた。小さい緑色のバッタである。すごく嫌だった。
うちの庭は除草剤を撒きまくっていて、草は生えていない。
栃木に来た年、スペック都会人のわたしは庭の雑草を処理するという概念を知らず、そのままにしていたら雑草が凄まじくなり、業者に頼んで除草してもらったのである。
庭があるっていいな、なんて思っていたらあんなに雑草がボーボーになり、今は庭なんて全部コンクリートで固めたいと思っている。
ともかく、雑草の恐ろしさを知ったわたしは除草剤を撒きまくり、草の生えない庭にしたのにどこからかバッタが来る。
前の家に草木があるから、そこから飛び跳ねてやってきたのだろうか。
とにかく、虫は来ないでほしい。
わたしが一番苦手なのは蛾であり、こうして「蛾」という文字を見るのも虫唾が走る。
蛾は見るだけで失神しそうなほど苦手なのである。
幸い、蛾が部屋に入ったことはないが、もしそんなことがあるとどうすればいいのだろうか? 解決策が思い浮かばない。
カナブンは辛うじて素手で捕らえたが、蛾なんて触れるわけがない。殺虫剤をかけて殺したとして、ティッシュ越しでも近づきたくない。
虫が嫌いで、田舎が嫌いなわたしが田舎にいることに無論、アイデンティティはない。わたしは何年ここに住もうが異邦人である。外来種である。
虫を見ると東京に戻りたくなる。
しかし、愛娘が大学に行って手がかからないようになれば、わたしは奥日光で暮らしたい。
奥日光は病院やスーパーがないから過ごしにくいとすれば、女峰山が見える大谷川付近がいい。
日光は不動産が安く、中古の一軒家など笑えるくらい安く買える。あとは別荘っぽい物件もある。
そこだと毎日女峰山を身近に眺められるし、奥日光だっていろは坂を登ればすぐに行ける。
それは日光が好きなわたしにとって居心地のいい住まいであろうが、懸念するのが虫である。きっと今いる場所以上に虫がいるに違いない。
窓ガラスにデカい蛾がとまっていたらどうしよう。
しかし、思えば虫を我慢するのは夏の間だけで、数ヶ月の話である。
それならなんとかなるかもしれない。
いずれにせよ、それは愛娘が大学に行く頃の話で、13年先のことである。
13年後のことなんてわかりやしない。
13年前のわたしは自分が栃木に住むなんて思いもやらなかった。そもそも栃木がどこにあるかも知らなかったし、栃木というワードすら自分になかった。
だったら13年後は今の自分に想定し得ない場所にいるかもしれない。人生なんてそんなものだ。それをフランス語で、
C’est la vie.
と言う。