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デタラメには良質なものと悪質なものがある

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結月でございます。

やっと連休が終わり、待望の平日。平日は保育園があるから、つまりわたしが自由になる。自由でないと仕事ができない。自由でないと仕事ができないのは、わたしは自分の自由の中で選択したものしか仕事にしていないから。

しかし、8月というのはお盆休みがあって、保育園は今週の金曜からまたしても4連休。このクソ暑い真夏に4連休なんて、4歳児をどこに連れていけばいいのか? しかも4日も連続で仕事ができない。

思えばお盆なんて仏教行事であり、仏教徒でないわたしには関係ないはず。さらに言えば、わたしは仏教は地味で陰気臭いから好きでなく、寺なんて観光でも行かない。

ところでわたしはずっと土日や休日を休んだことがない日々だった。むしろ土日祝日が忙しい仕事ばかりで、平日がヒマ。小売とはそんなもんで、銀座にいるときは年中無休であり、大晦日まで仕事をしていたし、正月は三日目からやっていた。それが今は栃木にいて、さらに4歳児がいるため保育園に連動するようになり、休みたくもない土日祝日は仕事ができず終日4歳児と一緒なのである。

と、今日はかかりつけの病院へ薬をもらいに行こうと保育園のお迎え前に行ってみると、

「ゲッ!すごい人じゃん…」

いつもは午後に行くと比較的空いているのに、今日は連休明けであったせいか人が多かった。これだと保育園のお迎えに間に合わないと判断し一度諦め、保育園に行った後、4歳児に付き合ってもらい再び病院へ。するとまだ人は多く、1時間待ちであった。

と、42日分のお薬をもらったわけだが、次回は血液検査をしてもらうことも申し出る。

「趣味・病院」であるわたしは健康管理意識が高いのである。

それは今まであまりにも無頼派であったために身体はそれなりのダメージを受けていたことがちょうど一年前に発覚したからで、定期的な検査はするようにしている。

もし東京にいたままなら、土日祝日のない年中無休モードでいるから病院なんて行きやしない。そうするときっと10年後には死んでいただろう。10年後に死ぬ結月というわけである。

しかし、望まずして栃木に来て、それが幸いし暇になり、病院に趣味で行けるようになって10年後くらいには死なないわたしになった。

コロナワクチンへの意識の高さもそうした医学的データを重んじるようになったからとも言える。正しい情報を収集できる環境に今があるから。

それどころか、東京にいたままなら無頼派モードでコロナ感染していたかもしれない。

なんて思うわたしはたった1年で随分変わったなと思う。すなわち、自分の身体を大事にするようになった。

さて。

「おもしろさ」というのはデタラメを根っこにしている。

近年、「おもしろさ」は社会の中からなくなっていて、テレビでも明らかにバラエティ番組は年々おもしろくなくなっているし、逆に言えば昭和時代はテレビが本当におもしろかった。

それは一口に言って、デタラメを禁じるコンプライアンスが言われるようになり、社会はデタラメに過敏になってきたから。

昔なら差別的発言とされなかったものも今は差別やいじめと言われる。それは差別やいじめがそもそもデタラメを根拠にしているから。

黒人差別は最もわかりやすく、肌が黒いこととその人間を否定することには何ら整合性はなく、デタラメなのである。

しかしながら、差別まではいかなくとも、おもしろさとはデタラメであることが多く、笑いの根拠はデタラメであったりすることが多い。

映画やドラマ、小説などフィクションも創作であるからデタラメであり、嘘な話を描いている。

テレビがつまらなくなったのと比例しながら、映画だっておもしろいものは少なくなったし、テレビドラマも小説も小粒の小粒になっておもしろくなく、それゆえあまり売れていない。

それはやはり社会がデタラメを見抜く力がついてきたからだとも言える。

だから、振り込め詐欺だって昔ほどの件数ではないし、悪質な訪問販売に騙される人もいるにはいても詐欺だと見抜きやすくなった。

ドラマや小説も最初からフィクションであると見抜かれているから、わざわざ見たり読んだりしようと思わない。それゆえ、実用本のほうが売れる。

若年層の恋愛が昔ほど盛んでないのも恋愛はデタラメであることがわかっているからで、人の心なんてどうせすぐに移り変わるし信用ならないデタラメである、そういうことは事前に知れている。

昔はそのデタラメがわからず、相手を好きになってしまい恋愛はロマンスに盛り上がったのだけれど、それは訪問販売で健康グッズを買ってしまうのに似ている。

そしてコロナ禍になり、ワクチン陰謀論などデタラメはある一定の数で出てきてはいても、全体で見ればほどほどにデタラメは駆逐されているように思う。

もしコロナが昭和時代のままの精神性で、かつSNSがあったのならばトンデモ論に社会は覆い尽くされていただろう。

と、ここ数十年を見るだけでも、実は社会は賢くなっていて、そこまで騙されないようになっている。少しずつ進歩している。

賢くなるにつれてデタラメは見透かされるようになり、「おもしろさ」は少なくなっていく。

有害なデタラメはよくなくとも、無害なデタラメで笑えるといいと思うけれど、あらゆるところでクールで合理的が推奨されると笑いというものはなくなる。

テレビで笑えなくなったのは、芸人の力が落ちたのではなく、社会がデタラメを許さなくなって芸が育たなくなったからなのである。

落語で恍けたことを話しても、

「それ、違いますよね?」

なんて言われたらそれ以上話は進まない。

フランツ・カフカが『変身』でいきなり冒頭から、

「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫になっているのを発見した。」

と、書き始めても、今だと、

「そんなわけねーし」

で終わる。

こうなるとさすがに文学は生きていけない。

というわけで、根拠を示されないものはあまり相手にされない時代なのである。

おかげで詐欺は減ったし、よかったと思う反面、

「ちょっとつまらないな…」

とも思う。

良質なデタラメがあっていいのではないか。それがないと人間は生きるのが辛い。息抜きができないから。

しかし、ワクチンを打ったら不妊になるとか、死亡するなんていうデタラメは悪質そのもので、そういうのはご勘弁願いたい。

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