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親子の年の差

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結月でございます。

今日は土曜日。愛娘と一緒に行きつけの那須千本松牧場へ。

快晴の中、共に日焼け止め塗って、5歳児はサンリオで買ったサングラスかけて、わたしはレイバンのクラブマスターかけてサブカー・ミライースを飛ばす。

なぜ愛車でなくサブカーなのかというと、ガソリンが高くて、那須を往復すると愛車メルセデスとガソリン代の差額が1100円にも及んでしまい、同じ道を走るのなら1100円は昼ごはん代にしようという発想。

と、ミライースは今日も燃費がリッター29kmという驚異的な数字を弾き出した。

あんまりソワソワしないで〜

あなたはいつでもキョロキョロ〜

よそ見をするのはやめてよ〜

わたしが誰より一番!

と、うる星やつらのオープニングを5歳児と歌いながらドライブ。

最近、GYAO!でうる星やつらを一緒に見ていて、その歌詞をすっかり覚えてしまった5歳児。

しかし、言語能力すごい。アタシなんか歌詞を覚える記憶力がほとんどなくて全然頭に入ってこないのは昔から。歌をいつも音程でしか聞いていなくて、言葉で聞いてないのよね。

だから、うる星やつらの歌詞を知ったのは、5歳児が歌っていたから。

千本松牧場ではヤギや羊に餌をやりに行くわけだが、考えてみればガソリン代かけて那須まで行って金払って餌を買い、それをわざわざ与えているのだから経済原理としてはアホだなと思う。

とは言え、その餌やりが楽しいから行っている。わたしも動物が好きだし、ヤギや羊を撫でて喜んでいる。

片道1時間20分かけて行く割には牧場での滞在時間は1時間弱。要するにドライブも楽しんでいるわけだ。3歳くらいの時は会話が単純だったけれど、さすが5歳になるといろいろ通じるようになってクルマの中で馬鹿話が弾む。

とまあ、今のところ愛娘と一緒にいる時間が大半を占めているわけだけれど、例えば自分が5歳の時、親は何歳だったかを計算してみるようになった。

わたしは親とはそれほど年が離れていない。だからわたしが中学生のときは親はそんな若い年齢だったのかだとか、大学のときでさえまだそんな年だったのかと、今頃になって知る。すると、

「あー、うちの親って立派だったんだね!」

なんて思うのは、わたしが高校生のときの親の年齢を自分に照らし合わせると、

「アタシなんて全〜然、高校生のガキなんて学校行かせたり、面倒看るの、できないわー!」

と思うから。

わたしはようやく最近になってちょっと大人になれた?なんて思うほど今までがデタラメでいい加減であって、今、顧みて自分のクソ加減がいかに凄いかを理解している。

それゆえにうちの愛娘が今いることに神様の思し召しを感じていて、もし20年前に愛娘が生まれていたら彼女は大変な不幸の中で生きることになったに違いない。

そして、自分の親を思い出し、理不尽なクソな思い出があるが、その当時の親の年齢を計算すると、

「なるほど、その年頃じゃ、しょーがないね」

という気になる。

親も若かったし、もともと教養があるわけでないし、まあしょーがないか。もしアタシだったらその年頃に子供なんていたら、もっとひどかっただろうし。

しかし、それでも学校には行かせてもらったし、金銭的にもかなりかかったのがわかるから親孝行しなくちゃ!

な〜んて思わないのは、やってもらった恩と理不尽な仕打ちを天秤にかけたら後者のほうが重いからであって、それでもまあしょーがないかとわざわざ実家に行ってみると、

「来なきゃよかった…」

となってしまうことが度重なる。嫌われると自覚しないまま嫌われてしまう人間はいるものなのである。

しかし、来なきゃよかったと思う事例の原因がわたしでなかったりするこの数年で、

「もうめんどくさいよ」

という感情しか持たなくなって、わたしのハートはほぼ枯れている。

でも、自分の親がわたしが成長しきっているときでも意外と若い年齢だったことを思うとおもしろい。

と同時に、あまり若い頃に子供がいると、まだ自分がワガママでいたい気持ちと衝突するから、子供なんてできるだけ遅いほうがいいとも思う。

そうは言っても、世の中には大変優秀な人もいて、若くてもしっかりとしているのがいる。

若年であるのにワガママさがないとか欲望がないとか、それは小さな頃からそれが芽生えないような育てられ方をしたのか、あるいは若いうちにそれらを消化できるほど経験を積んだのかはわからないが、お利口なのがいる。

そういうのがちゃんと東証一部上場の大企業にちゃんと就活できて採用されるんだなと思いつつ、

「意外とそういうのは年取ってから苦労するかもね〜」

なんて明るい嫌味を言ってみる。

まあ、人の生なんて正解がないからどうでもいいけれど、アタシはこれだけ最低最悪なことが多々あっても今までのクソ自分史を愛しているよ。だからアタシの死は美しい、はず。

要は自分の過去を後悔しながら生きるってことが最悪なのであって、変えられぬものを悔やんで暗い時間を送り続けるのは愚行の極致だから。

でも、わたしは最近になってようやく大人になれたって思うくらい精神的な発達が遅れていて、ワガママなガキ時代が人よりもはるかに長かった。それゆえ、今がやっと二十歳であるからなんだか同世代、もしくは自分より若い世代よりも、

「アタシ、若いよね」

と認識している。

だから、実年齢と若さとは比例するものではないらしく、大企業に採用されちゃう優秀な人って20代半ばでかなり年を取っているということか。

実年齢に伴わない若さを持っている人はわたしの親しい人にも何人かいて、わたしよりもっと年上なのに、

「若いよね〜!」

と、感じさせるエネルギーがある。

肉体的には老けて白髪が多くなったり、肌が弛んできたりはしているものの、若い人は若い。

そういうタイプは総じて話がおもしろい。なぜその話がおもしろいかというと、話の内容がいつも未来志向だから。

おもしろさが産み出るのは未来の中にしかない。過去は変えられないものだからそこにクリエイティヴはないのである。

なんて中学生みたいなことをまだ言い出して、わたしは二十歳でなく12歳になる。

しかし、子供が過去の話をあまりしないのは過去の蓄積が小さいからで、だからこそ子供は未来志向に生きている。

わたしが最も忌み嫌うのは、テレビなんかで、

「値上げ、値上げで年金生活者には本当に堪えます…」

なんてコメントしている年寄りで、ああいう未来性のない生き方は自分としては拒否したい。

やっぱり未来性の中で新しい挑戦をしていくことで自分も社会も変わっていく。

澱んじゃ駄目なわけで、若くして老成なんかしちゃいかん。

さて、自分の親との年の差を考え、あの頃の親は何歳だったのかを知るといろんな納得がいくわけだけど、うちの愛娘が何歳になったらわたしは死ぬんだろうなという計算もしてある。

思ったよりたくさんの時間はなさそう。

わたしがかつて銀座であんなことしてた年齢に親がいなくなるわけか。

でも、それくらいがちょうどいい気もする。

とは言え、やりたいことがまだまだあって、それを全部こなすにも20年は必要だから少なくともあと20年はわたしは二十歳のままなのである。

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