結月です。
早起きすぎる3歳児に起こされたのは午前4時。正確には午前3時45分だった。
「朝だよ〜」
と言う声にすぐに反応して、すぐに起きる。
猫と一緒に生活してからというもの、深い眠りに就くことがないわたし。それは猫が気まぐれに布団に潜り込んできたり、指をチュパチュパと吸い始めたりするからで、猫のライフスタイルと合わせると、猫のように浅い睡眠で臨戦態勢という習慣になった。
その習慣のせいで愛娘の声にもすぐに反応する。
普通ならそんな早朝だと、
「まだ寝かせておくれよ」
となるのだけれど、猫で鍛えられたおかげで睡眠を阻害された腹立たしさもこみ上げてくることなく、3歳児の相手ができる。
ともかく、3歳児は保育園が終わったら寝てしまう早寝だから、その時間に起きるのが自然といえば自然。
2歳児クラスのときは、保育園に強制的なお昼寝タイムがあったせいで、夜中の12時を過ぎても起きていることが多々あったから、それに比べれば今の方がいいかもしれない。
朝4時は子供向けテレビもないし、だから今朝はカタカナのパズルをやり、かるたで遊び、英語を教え、それから頂き物の絵本を音読した。
音読したのは3歳児。ゆっくりとひらがなとカタカナを読んでいく。その様子は昔の音声ロボットのよう。
それから6時25分になると、Eテレの朝の体操をやる。どうもこれをやると確かに筋肉が柔らかくなるのか、その日の体の動きがいい。3歳児も真似てやっている。
さて、夕刻、保育園からクルマで帰ると途中にあるコンビニで牛乳の小さなパックを買って駐車場に座って飲むというのが習慣になった。保育園で遊んだ後は喉が渇いているらしい。
それが最近はアンパンマンのチョコが加わり、
「コンビニでチョコ、買って食べる〜」
と毎日楽しみにするようになった。
愛娘と生活するようになって、自分が小さな頃の記憶、それはすっかり忘却していたものなのに、断片的に思い出すようになった。
例えば、ベビーカーで眠ってしまった愛娘を抱っこして布団に寝かせる時。そうやって抱っこされた感触がおぼろげに思い出された。わたしも眠ってしまって父に抱っこされて布団に寝かされたという肌感覚。
保育園帰りにお菓子を買ってもらえるのも、わたしもそうだった。
保育園の最後の時間帯、母が迎えにくる。そしてホンダではなくヤマハのカブに乗って駄菓子屋に行っていた。
当時はまだ駄菓子屋がかろうじて残っていて、薄暗い木造建築の中に駄菓子やオモチャが売られていて、店主のジイさんがこれまた薄暗い角に座っていた。
しかし、その保育園の記憶は大きくても6歳になる前で、そんな小さな子供がバイクの後ろに座って母にしがみついていたというのはいかにも昭和。うたた寝でもして落ちたらよくて大怪我、死んでもおかしくない。
運転もノーヘルでよかった時代。最悪の安全基準。
今、うちの愛娘はメルセデスの後部座席にレカロのチャイルドシートに座り、がっちりとシートベルトをしている。
園児がカブの後ろに座っているなんて、今では考えられない。
それくらい昔はいい加減で、だから交通事故の死亡者数も多かった。自動車だってシートベルトをしている人なんかいなかったから。
ところでどうして母のお迎えがヤマハのカブだったかというと、母が新聞配達をしていたからで、配達が終わってから保育園に迎えにくるのであった。
しかし、母は令和の今でもまだ新聞配達をしている。午前3時くらいには朝刊を配りに出かけている。
頑固というか、しぶといというか、それは続いているのだけれど、反面、それをしているから健康であるとは言えるかもしれない。
とはいえ、新聞そのものがこの電子化の時代についていけなくて、母がくたばるよりも紙の新聞そのものの存在がなくなるほうが早いかもしれない。
とまあ、忘れていた自分の小さな頃のことが思い出される。だから、人間の脳は実はすべてを記憶しているのだろう。
だから子供にはいい思い出を残してやるようにするのがいいのである。