結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

ブースターしたけど副反応なくて寂しい

【スポンサーリンク】

結月です。

今日は休日。保育園が休みの5歳の愛娘を連れて、宇都宮のワクチン大規模接種会場へ。

接種券が届き、ウキウキ気分で1回目、2回目を接種した病院に電話すると、

「最短の日で3月14日です」

なんて言われてしまい、

「台風が去った後に傘買え言うんか、ドアホ!」

とは言わないにせよ、しょーがないから一応予約。その直後、大規模接種会場のサイトを見るとガラガラだった。

というわけで、病院には予約を取り消してもらい、宇都宮へ。

空いていたおかげで待たされることなく終了。しかし、こんなに空いていたらせっかくこれだけの施設、人員を用意しているのが経費的にも無駄になる。そういうことを考えて、ちゃんとアナウンスしないといけないよね、行政、そして政府は。

さて、3回目は念願のモデルナであって、2回目までがファイザーの交差接種で抗体が爆上がりの組み合わせ。ファイザーが人気との聞いたけれど、アホやないか。そんなもん、効果が高いほうがいいに決まっとるやないか。

目先の副反応を恐れて、本質を見ないというのはアホというのや。

と、話題の副反応であるが、夕方くらいに妙に眠たくなってしまい、2時間くらい寝たら腕がちょっと腫れている以外はなんともない。眠気もワクチンのせいか定かでないし、高熱くらい出てくれないと効いている感が得られないから、

「もっとガツンとやってこんかい!」

と、ヤクザ的に思っていたからちょっとガッカリした。

1回目、2回目のときもこれといった反応がなく、

「間違えて生理食塩水でも入れたのやないか?」

と、些か不安になったくらいで、わたし理論としては副反応を気にしたり、ビビったりする精神が暗いタイプは副反応が出やすいというもの。

確か、それは昨年の自衛隊の調査でも同じ事が言われていて、人間というのはメンタルがビビるとお腹が痛くなったり、震えたりして肉体に影響する。

わたしに副反応がなかったのは、コロナワクチンを接種することを今か今かと楽しみにしていて、接種券が届いたときは大喜び、予約したら接種会場には胸の中でスキップしていたくらいだったからでないか。

人間は欲しいものを得られると嬉しいもので、そんなハッピーなときに熱が出たり、倦怠感が出たりすることはない。

と、少しばかり非科学的なことを言いつつも、メンタルが肉体に直結するのは間違いではない。

総じてワクチンのことをグジュグジュ言う人は性格が暗い。気にしなくてもいいことを気にし、安全なところで危険を思い描く。

そう言うのを「杞憂」というが、これは中国の小咄が元になっていて、空が落ちてくると怯えてばかりいる人のことをいう。

ありもしないことを憂えていると、その場が暗くなる。それは職場であったり、家庭であったっりする。

コロナにしたって、必要以上に非科学的に怯えて、非科学的な謎対策を盲信しているような親がいる家庭では子供が暗くなる。子供も親の杞憂に洗脳されてしまう。

これは幼少期にとっては最悪なことで、だからわたしは愛娘にはコロナという言葉は一切使ってこなかった。だからうちの5歳児はコロナをよくわかっていない。そもそもウイルスのことを保育園児に理解冴えるのは無理なのだから、それを大人が説くと余計な恐怖心を植え付けるだけである。

だから、コロナ禍でもうちの愛娘はのびのびと生きていて、と同時に親であるわたしはワクチンは積極的に接種し、感染確率、及び重症化率をさげ、愛娘にコロナのダメージを与えないようにしておく。

まあしかし、屋外で人が密接にもなっていないようなところでマスクをし、子供にもマスクをさせるような非科学的であると、子供は育たないのではないか。

そもそも親がウイルスを科学的に分析できないのであれば、要らぬマスクで小さな頃から閉塞感を強要することになり、これは人格の発達にもよろしくない。

それに日本の場合は、マスクをしないと白い目で見られるとか、他人の目を気にしたメンタリティによるところが多いので、感染リスクゼロの環境でもマスクをする。それは子供に他人目線で生きることを知らずに教えてしまうことであり、他人目線で生きるようになると人間は苦しい。

わたしは愛娘にはくだらない他人の目線を基準にして生きる人間にはなってほしくないのである。それは大人になってから辛い。幸福とは自分目線で生きることからしか生まれない。

しかし、自分目線で生きると同時に、他者への想像力は養っておく。自分目線の主軸は大事だが、それだけだと視野が狭く、世界が広がらない。

なんて言いながら、意地の悪いわたしはコロナ禍のおかげで愛娘と同世代が非科学的な親の元で伸び伸びと幼少期を過ごせず、メンタル病みがちで、他人目線で生きることをすり込まれていることにチャンスを感じていて、おかげでうちの愛娘が競争に勝ちやすいと悪魔的な笑みを浮かべている。

だが、それくらいコロナで病んでいる親元で過ごす子供は気の毒なのである。

というわけで、5歳以上のワクチン接種もものすごく楽しみにしていて、年明けすぐという予想もまるで仕事をしないガッデム岸田政権のトロさによって3月になりそうだが、さっさとワクチンを接種させたい。

こういうのは感情で判断することでなく、科学で判断すべきであるから、早く愛娘の体をコロナウイルスから守ってやりたい。

さて、そんな休日はワクチン接種で過ごし、宇都宮のオリオン通りに屋台が出ているのをクルマから見えたので、立ち寄ってみた。

昭和の廃墟が垣間見える寂れ切ったオリオン通りは休日といってもそれほど賑わいはなく、立ち並ぶ屋台はありきたりなもので、なぜか高崎のダルマの店だけが多く、

「こんなもん、誰が買うのやろ…」

と、思いつつスルーした。さらにイベント広場では栃木プロレスという地方団体がプロレスをやっていて、マイクの音量の割には見ている客が高齢者が10人ほどという涙ぐましい有様で、オリオン通りは荒廃している。

と、そのまま二荒山神社にお参りに行って、いつもの巨大ショッピングモールへ。

ここでランチだが、ものすごくショックなことがあった。それはイトーヨーカドーが展開するお好み焼きやたこ焼きを販売する「ポッポ」という店が今月末に閉店するのだという。

ここのフライドポテトはわたしが知る限り最高においしくて、値段も安いのにボリュームもあるものだった。

「大好物、フライドポテト」

なわたしはフライドポテトにはうるさいのだが、ポッポのポテトは日本国内ではナンバーワンだと言いたい。

いつもここを訪れると、長崎ちゃんぽんを食べたあとは必ずポッポのフライドポテトを愛娘と食べるのが楽しみであったのに、これがなくなるとわたしはどうやって生きていけばいいのだろうか。

そのフードコートにはマクドナルドもあって、マックフライポテトもあるが、ポッポのポテトと比較するとかなりポイントは下がる。まずは余計な調味料を使い過ぎている。それでいて値段も高い。

だから、マックフライポテトはポッポのフライドポテトの代用にはならないのである。

とりあえず、明後日もここを訪れる予定であるから、ポッポのポテトを堪能する。もしかしてこれが最後かもしれない。遠出すれば他のポッポがあろうが、今までのように気軽に食べることができなくなる。

喪失は寂しいものだ。

ブースター接種で副反応がなかったのも寂しいが、ポッポのフライドポテトがわたしの生活からなくなることは比較にならぬほど寂しい。

【スポンサーリンク】