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オリンピックがおもしろいワケ

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結月でございます。

ふぅ〜とため息をつくのは、やっと土日が終わったからで、保育園が休みの2日間は4歳児と付きっきりであるから楽しいと言えば楽しいけれど、仕事も何もできないと言えばできないし、4歳児に自分を合わせなければならないからやっぱり疲れる。

と、今日は那須塩原にある那須フィッシュランドに初めて行ってみて、ニジマス釣りをしてきた。お魚釣りは4歳児のリクエストである。

ここは7月にホタルを見るイベントがあって申し込もうと思ったら、最低でも大人二人からしか申し込めず、つまり大人一人、幼児一人では駄目だったので諦めた。バーベキューがセットになっているからおそらくその食材の都合なのだろうと思う。

来年は誰か付き合ってくれそうな人を誘うことにする。

今日は釣ったニジマスは6尾。4尾をその場で塩焼きにしてもらって食べ、残りを家に持って帰って食べた。

那須フィッシュランドは美しい渓流があり、レジャーとしてはなかなかいい。しかしながら、ニジマスを釣るというなら、同じ那須にある「金精川のます池」のほうがいい。色気のないところではあるが、ここのニジマスは大変大きく、30センチほど。餌も練り餌だから食いつきがいい。

フィッシュランドは生き餌かイクラであり、今日はイクラでやると練り餌にあるような食いつきはなく、1時間やって6尾であるから釣果が低い。そしてサイズが小さい。

しかし、フィッシュランドはマスだけでなく、ヤマメやイワナもいて、ルアーやフライも持ち込みでできる。ルアーであるならかなり大きなサイズもいるようで、ちょっと本格的にやるなら良さそうである。ただ、4歳児と一緒となると釣れない時間が長すぎるルアーは向かない。

とまあ、そんな那須フィッシュランドは木が生い茂っているから日差しは遮られ、涼しい。

そんな栃木県もまん延防止を申請するとかで、そうなるとお盆休みはレジャー施設が閉まったりして、行き場に困る。まだ試練の連休は8月は控えていて、今から「やれやれ」といった具合。

さて、持ち帰ったニジマスのはらわたを抜いて塩焼きにしながら、オリンピックを見る。わたしは運動音痴であるからスポーツには関心がないため、東京オリンピックもそれほど見ちゃいない。でも、ちらほらと見る。

とりわけエキサイトするわけではないけれど、やはり見ていておもしろい。それはなぜかというと、何かの種目に対して、そこまでやるか!というくらいトレーニングを積んで命がけになっている人間の姿がおもしろいから。

サッカーや卓球など相手があるスポーツはまだしも、陸上などただ走るだけとかそれをひたすらやり続けてオリンピックに出場しているのだからその執念がわたしみたいな運動音痴には理解できずおもしろいのである。

笑えてしまったのは10000m走で、30分近く走るだけなのだけれど、ゴールした選手たちはトラックに倒れ込んで大の字になったり、マジで息を切らして苦しそうで、体力の限界がちょうどゴールラインになるように本気で走っているその単純さに笑えてしまったのである。

それは侮蔑の笑いではなく、走ることだけにこんなに本気になって、ゴールして死にそうになっている姿が、

「人間ってアホやな〜」

なんて愛着が持てるからで、

「そんな死にそうのなるんやったら走らんでええのんとちがう?」

なんてわたしは思いつつ、自分とは違いすぎる世界を見ることにおもしろさを感じている。

ただ走ることに何年も何年も徹するという精神。これはもう走るのが単に好きで好きでたまらないのだろう。そうでなきゃ、途中で嫌になる。アホらしくなる。就職しようと思う。

サッカーなど強くなることでスポンサーがつき、スポーツ用品の広告塔としての価値があるなら金にもなろうが、ただ走るだけの陸上はせいぜいオリンピックか世界陸上でしかテレビ放映もされないし話題にもならない。要するに金にならない。食えない。それでもやる。

これは走るのが好きで好きでたまらない人でないと続かない。

しかも短距離となるとゼロコンマの世界を競い、ワールドレコードとコンマ5秒でも差があるなら、それはもうどれだけ努力しても金メダルには届かないとわかっているはずなのにオリンピックに懸ける精神がある。これは好きでないとできない。

あとは400mの混合リレーが笑えてしまった。金メダルは確かポーランドだったが、アンカーの長身の男がゴールした瞬間、その歓喜のあまりシャツを半分脱ぎ、ほぼ裸になるとそのままシャツを頭に被って雄叫びを上げながらゴール後も激走。

その歓喜の表現が動物的であり、嬉しくてたまらないのはよくわかったが、シャツを脱いで頭に被るというのはわたしの行動様式にはなさすぎておもしろかった。

あとは体操も陸上と同じくおかしくて、鉄棒にぶら下がってグルグルしたり、

「そんなことできて何になるん?」

なんて社会的見地で眺めると、体操選手が奇人変人に見えておもしろい。

よく学校の数学なんて実社会で役に立つのか?なんて数学のできない中学生が言い訳にしたりするけれど、数学は論理的思考や与えられた条件から解を導き出すトレーニングとして大いに社会で役に立つ。これができないとコロナワクチンの陰謀論にあっさりと染まってしまったり、アホじゃないかと思えるようなデマも信じてしまう。

しかし、体操競技ができたところでおそらくは実社会ではメリットはなさそうで、それどころかユニクロに行っても腕が通るシャツはないだろうし、不便極まりない。それなのにあのような驚異的な肉体を作り上げ、鉄棒にぶら下がってクルクルしたりすることに命がけになれるのは見ているだけの凡人からするとおもしろい。

とにかくオリンピックというのはその種目だけに特化した奇人変人が世界中から集まり、それを披露し競い合う場であり、世界ナンバーワンの奇人変人を見ることができる楽しさがある。

しかもマイナースポーツでオリンピックでなければ見ることもないニッチな競技があって、しかもそのくせ技が凄くて、

「ほほぉ〜」

なんて感嘆できる。

トランポリンなどその典型で、トランポリンを飛ぶのががすごいなんて冷静に考えればアホじゃないかと思うのに、それに徹する人がいる。

運動音痴のわたしからすればそれはもう変態の領域であり、ついでに言うと初めてテコンドーなるものを見ると、

「しょーもな!」

と思ってしまい、こんなもののどこがおもしろいのかよーわからんけど、やってる人がそれを真剣になって蹴りや突きをしているのだから、

「きっと、アタシじゃわからん世界があるんやわ…」

と、ちょっと感心しながら眺める。

ニッチな競技に邁進する変態さはなかなか迫力があって、変態さにおいてメジャーなスポーツは敵わない。

野球やサッカーなどは確かにその種目に命がけな奇人変人というか、それしかできない極端な姿であるのだけれど、まだそれをやりたい気持ちもわからなくはない。だからこそ、人気があり、観客が多く、ビジネスにもなる。

ところがトランポリンとなるとそれを選択して邁進するのは変態に見えるし、テコンドーをやるならなんで空手にしなかったのだろう?と思ったりして、ニッチな分野は人間的にレアすぎてたまに見るとおもしろい。

しかし、ちょっと見るだけでもういいやとなるのは事実で、だからメジャーにはならないのだろう。

しかしまあ、全部で何種目あるのか知らないけれど、よくあれだけの数があるものだなと思う。

そしてそれぞれが自分の国の国旗を身につけて参加する。

もしこのナショナリズムがないとオリンピックはつまらないものになるだろう。

今日も卓球女子を見ていて、日の丸がプリントされたシャツを着て日本代表として競技できるのはちょっといいなと思った。

コロナの流行で日本という国がちょっと大変で、医療崩壊が現実になってきている中、その現場にいる医師たちの奮闘もあったり、ワクチン製造の会社と交渉する首相がいたり、ワクチン接種をなんとか進めようとアナウンスを努める大臣がいたり、その接種を実行する自治体があり、そして日本という国にいてアメリカ製のワクチンを無料で接種できる自分がいて、コロナというだけでもわたし自身は日本という国に守られている。もちろん制度的にそれらは矛盾があったり、解決すべき問題があるのは当然だけれど、国家に関係なく流行するウイルスから守ろうとする国の力、もし感染してもどうにか治療しようとする設備がこの国にあり、少なくともわたしという個人は国家がこうしてあることによって救われている。

ナショナリストではないわたしだけれど、現実的には日本という国にいることによって助けられていることがある。

そういった中で日の丸を身につけて日本代表として極限にまで高めた身体能力を発揮して競技するのは悪くないんじゃないか、と思う。

わたしには日の丸を身につけて国際舞台に立つような特技もないし、日本国のパスポートは持っていても日本を代表なんてできやしない。

そう思うと、いくらニッチな種目であっても日の丸を身につけられることはちょっと羨ましい。

日本という国はこれでも結構いい国なのである。

ワクチンだって全国民が接種できるだけの分量を政府は確保してくれているし、しかもそれは無料。

戦乱もないし、社会も安定している。もし、日本がいい国でなければ亡命者が続出するはずで、事実、国民が逃げ出したいと思うほどヤバい国はある。

だから、テレビで垣間見るオリンピックで日本が出ていたら、わたしは、

「ニッポン、がんばれ」

と、心の中でつぶやく。

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