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わたしにとっての音楽の終焉

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結月でございます。

今日はマロオケ・レクイエム公演のチラシが刷り上がり、チケット予約をしてくださった方に順に発送する作業。

レターパックを買いに郵便局へ行き、Excelにまとめてある予約情報から住所を書き、座席に合わせたチケットを同封する。

しかしながら、この単純作業は思いのほか時間がかかるもので、予約分は今日一日で終えるだろうと思ったら、三分の一ほどしか進まなかった。

というわけで、送付作業は明日に持ち越しで、明日は予約分をすべて発送できる見通し。

と、そんなことをやりつつ、告知のことも進めなければならないが、やや遅れている。書類も作らないといけないし、マロオケ2021公式ホームページもメンバー表を新しくしないといけないし、やれやれ、毎度のことながら進捗状況は得てして予想よりも30%は遅れる。

さらにそこにワクチン接種があったり、また2回目は熱が出やすいとも聞くし、そうなるとまた一日遅れる。

なんて言いながら、遅れてくるとエネルギッシュにもなってきて、極端な集中力を発揮して辻褄を合わせたりする。

とまあ、いつもこんな感じで、物事は総じて思うようには進まず、さらに人に頼む業務があったりすると他者のペースも絡んできて、思った通りにはいかないのが普通なのである。

またコロナのデルタ株が猛威を奮っている最中で、こういうことも興行にはお客さんの心理として影響が出るもので、恐怖や不安というネガティヴなものに音楽はひたすらに弱く、なぜなら音楽は不要不急であるからである。

とにかく今は必要極まりなく、急ぐべきなワクチン接種を進める時期であり、11月22日はワクチンで安全度を高めた状態で気兼ねなく公演ができることを望んでいる。

ところで、公演の企画というのはそれが音楽であるのに音楽的な熱量が高くなるのは最初と最後だけ。

企画の立ち上げのときは選んだ曲が頭の中でいつも鳴り響いていて、CDを聴いてみたりしながら、企画を確定させるために音楽的エネルギーが高まっていく。どうしてもそれをやりたいという気持ちが最高潮になって、今すぐ走り出したい競走馬のようにウズウズする。

しかし、公演の開催が決まると一気に実務作業となり、音楽は消えてしまう。音楽なんて聴くほど悠長なことを言ってられない。事務的なことをやったり、告知をどうのようにしていくかなどアイデアをしぼったり、音楽の情熱なんて邪魔でしかなく、頭ばかり使うようになる。

そして、公演までチケット販売に徹し、広告宣伝をあれやこれやとやって、経費のことを考えながら勘定をし、音楽に戻れるのは公演前のリハーサルくらいで、しかし公演当日はトラブルがないかピリピリと神経を苛立たせながら現場の仕事をやる。

演奏が始まっても気持ちは落ち着かず、とにかく無事にこの公演が終わってほしいとばかり考え、演奏を聴いているのか聴いていないのかソワソワしながら、いよいよ演奏が終わりに近づくあたりからジワジワと音楽の感動が湧き出してくる。そして、観客席からの大きな拍手で「終わった」と安堵する。

公演が終わると、大急ぎで後片付けをし、撤収作業に入る。最後に得た感動はひとまず脇に置いておいて、現実を片付ける。

コンサートの仕事はそういうもので、音楽の仕事をしているようでしていない。公演が決まれば、とにかくたくさんのお客さんに来てもらい、観客席からの喜びと感動に終着できることだけを考える。

だから実はわたしにとって音楽の純粋な楽しみは大昔に終わっていて、音楽が好きで音楽ばかりに接していた頃に終わっている。今はその頃に得たものを材料に企画しているのであり、それは音楽の楽しみではない。

こんな公演があったらエキサイティングで、激烈におもしろくて、お客さんも大喜びで感動するだろうなと想像をめぐらせ、それを現実にする楽しみ、それが仕事になっている。

だから、わたしは過去の清算をしているのだ。過去に得た音楽の経験、音楽的な貯蓄、それらを清算して、消化して、コンサートをしている。有限の原油を掘り起こして、ガソリンにしているようなもので、掘り尽くせばもうおしまい。

ただ、その過去の音楽的な貯蓄が多かったから、こうして何度もコンサートができていて、でもあと数回コンサートをやればその貯蓄もなくなるだろうなと思う。もう全部やったという枯渇。

自分が本当にやりたいというものは何十もあるわけがなく、だから興味本位ではコンサートはやらない。

今回もプログラムがモーツァルトの交響曲第31番、第38番、そしてレクイエム、さらにアヴェ・ヴェルム・コルプスで過去に得た貯蓄は結構消化される。

レクイエムをやれるなんて、もうこれで終わってもいいくらいだ。もし今後、コンサートをやらない、できないとしてもレクイエムをやれたらそこまでの未練はない。やりたい曲はあるにはあるけど、5年前には大好きなジュピターへ向かうために交響曲を合計6つもやったし、いやいや、ジュピターとレクイエム、さらにアヴェ・ヴェルム・コルプスをやれたら大きな未練なんて残るものでもない。

 

だから、わたしとしては随分清算が終えてきた。過去の自分を消化することができている。

いい意味でも枯渇にたどり着いたらわたしにとって音楽はおしまい。

大満足で終えられたら最高じゃないか、と思う。

サントリーホールでモーツァルトを6つもやった記憶はわたしにとって人生最高の思い出になっているし、これは死んだ後、あの世に行っても大切に取り出せるもの。

今生を終え、閻魔様の前に立ったとき、自分はモーツァルトの交響曲を6つもやって、レクイエムもやって、たくさんのお客さんに大きな感動を与えることができて、すばらしい演奏者と共にいい音楽ができたと胸を張って言うよ。

今回、レクイエムの公演を実現できることになった運命にわたしは感謝している。

あとはできるだけ多くのお客さんに来てもらうだけ。コロナを押しのけてでもたくさんのお客さんに来てほしい。

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