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公演はトリュフォーのアメリカの夜な気持ち

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結月でございます。

わたしが映画監督ではフランソワ・トリュフォーが大好きなのだけれど、『アメリカの夜』という映画を作る現場の映画が気に入っている。

映画としては名作として数えるような作品ではないとはいえ、トリュフォーの映画愛が溢れていて、映画が好きで、トリュフォーが好きな人にとってはたまらない作品。

トリュフォー本人が映画監督役として出演しているのもいい。

映画の現場はとにかく思うようにいかない。

トリュフォーは「映画制作は真夜中の特急列車のようなものだ。とにかく目的地に着くことだけを考えるようになる」と言う。

『アメリカの夜』の中でも映画制作現場ではトラブル続き。

主演俳優がスクリプターの女とシケこんだり、そしてフラれては拗ねて撮影に来なくなったり。女優の妊娠が発覚して撮影期間中にお腹が大きくなったら撮れないことになったり、メンヘラの主演女優が精神的に落ち込んだり、酒ばかり飲んでセリフを覚えられない女優がテイクを重ねてしまいには泣きじゃくったり。

撮影は予定よりも遅れ、保険の問題が出てきたり予算が逼迫するは、それはもう大変でトラブルを毎日乗り越えながら映画の撮影は進む。

だから、映画は真夜中の特急列車のように無事にたどり着くことが大事に思うようになる。つまり、思い描いていた期待や思いなんか言ってられず、映画を完成させることが目的になる。

それなのにトラブルを乗り越え、映画が出来上がったらそれはうれしいもので、そして映画が完成すると俳優やスタッフはバラバラになって解散する。

これはコンサートの公演も同じで、思い描いた通りに事が運ぶなんてあり得ない。

たくさんの奏者やスタッフのスケジュールをその一点に統一することが容易でなく、一致すれば大喜びし、一致できなければガックリと落胆する。

しかし、企画は真夜中の特急列車のように進む。

予想と違えば、対案に対案を重ね、ベストを構築するために右往左往する。あっちは駄目か、こっちは駄目かと頭をフル回転させて空白を埋めていく。

人材だけでない。場所も大変で、スケジュールにドンピシャで空いていて、広さも申し分なく、ここならできるというところを探しまくる。

あちこちに電話をかけ、メモを取りながら希望の光を見出したり、また落胆したり、そしてもう一度自分を奮い立たせて電話をかける。

しかし得てして可能性が広がることはなく、狭まる可能性のその隙間を見い出す。

現実に落ち込みながら、思い描いている終着駅にあるであろう大感動への熱意だけは失わないように気持ちを切り替え、切り替え、切り替え、自分を維持する。

それでも落ち込んで、猫を抱きながらふてくされて寝転がってしまったり、茫然となって思考ゼロの虚ろな視線でソファで廃人のようになったり、煙草でも吸おうかなと思いつつも、どうせ吸えば口の中が気持ち悪くなるだけだからやめたり、そうやりながら、

「さて、やるぞ…」

と、打開策を練る頭のスイッチを入れる。

要するに孤独なんだな。

自分で始めたことだし、自分がやりたいことだし、他人にどうにかしてもらうものじゃないし、自分でやるしかない孤独。

ところがこの孤独の裏側には見えない楽しさがあって、やり甲斐があって、魂の躍動があって、岩盤の下にあるマグマ、なんて陳腐でクソすぎる表現がぴったりな熱さがある。

現実は一方で冷たく、一方で熱い。

冷たい現実もあれば、熱い現実もある。

冷たい現実はやるせないものだ。しかし、歓喜につながる熱い現実だってある。

熱くなったり、冷たくなったり。そのアップダウンのせいで脳震盪が起こるのか、企画の真っ只中にいると面倒な人間になっている。

不機嫌だと思ったら、喜んでいるし、落ち込んで無口になっていたら、今度は饒舌になっている。

そして、自分が取り組んでいるものがすばらしすぎて、という自惚れから世の中の大半のものがアホに見えて、安っぽく見えて、この取り組み以外のものには興味が急降下、無関心となって、

「しょーもないことには付き合う時間はないわ。あっち行け」

と、暴言を吐いたりする。

公演に愛が集中して、他のことには愛が枯渇する愛の極地的偏在。

だから、公演以外のことには愛のないクソ人間になるわけであり、公演以外のしょーもないことには関わりたくないし、

「知るか、そんなもん。勝手にせいよ」

と、優しさのない嫌な人間になるのである。

なので、

「あのう…」

なんて声をかけられたら、

「ハァ?」

と、くわえタバコを注意されたチーマーみたいになっている。

そして、柄が悪くなっているのに、同時に公演に関してはナイーブでビビりながら祈りごとをしている。

いつも未来の中へ走っている。

それは誰だって同じことなのに、公演を考えるとそれがひしひしと感じられ、無事に終了する終着駅を目指している。

未来というのは直線ではないのだ。障害物にまみれていて、飛び跳ねたり、右に避けたり、左に急転回したりと直線には進んでいない。

そんな未来に進んでいると、よく見る夢がある。

それは企画した公演の当日、客席はガラガラで、訪れる人がほとんどいない薄暗いホールを見て、どん底な気持ちで顔面蒼白になっている夢。

この夢には三つほどバリエーションがあって、どの会場も客がいない。

夢の中で自殺したくなるほどの気分。

だから集客は命がけでやらないといけない。

気を抜けばあの夢が正夢になる可能性はある。

思えば、公演そのものを作るのはそれほど難しいことじゃない。そこにたくさんのお客さんを呼んで、音楽を伝えることが難しいのだ。

客がいない音楽なんて意味がない。

音楽は聴いてくれる人がいてこそ成立するもの。

そんな不安にどっぷりと浸かっているのに生き生きとしている。ちょっと前までの不安がなかった日々を思い返すと、よくそんなつまんねー時間を過ごしてたなって思う。

要するに伝えたいものがあるってことはおもしろいのだ。やり甲斐ってものは人間を活性化させる。

映画ではないけれど、トリュフォーに近づけたかなと思うようになった。

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