結月でございます。
今日、東京を経て熊本から栃木に戻る。
奥日光で山登りをしたその翌日の朝、熊本に発ち、今日の早朝、飛行機に乗って東京に。人身事故で電車が止まるおまけ付きでちょっぴり疲れたこの数日。
熊本では打ち合わせを終えると、すぐに電話。わたしには帰るところがあるのである。それは小さなフランス料理店。熊本に戻ればここに必ず顔を出す。電話すると、マダムの声。わたしだと言うと、
「今、どぎゃんしとっとね?」(熊本弁翻訳:今、どうしてんの?)
それもいきなりの電話だったせいか怪訝そうな口調であったから、
「あたしは逃亡犯じゃなかとよ」
と、ボキャブラリーはわかっても実際には使ったことがない熊本弁でそう言うことはなく、
「今、熊本なんです。鶴屋の前にいるんで、行っていいですか?」
「よかけんが、今日から時短で8時までったい。よかね、それで?」
そうなのか、全然知らんやった。熊本も時短営業を強いられるらしい。
パリの場末にあるような小さな店で、雰囲気もパリの場末っぽい。前回来たのは2017年。熊本にいた頃はよく来ていた。
マダムはわたしの顔を見るなり、
「あんた、全然年取らんとね。まったく変わらん」
「そう?」
と、わたし。
「それよか、若返っとるんやなかと?」
いやいや、熊本に来るときは、よか時に来とるから。仕事に取りかかろうとしたりしとっけんたい、若こう見えるとよ。と、熊本弁では言わないけれど、そういうことかもしれない。
でも、マダムも相変わらず。シェフは厨房で忙しそうに調理しながら、こちらに微笑む。
「何飲むね? 赤? 白?」
「シャンパンはあります?」
「あるとばってんが、ハーフがなか」
「フルボトルでいいですよ。いつも一人でもフルだから」
「ドゥラモットでよか?」
「いいよ、それでお願い」
ドゥラモットは、DELAMOTTEだけれど、これが思い切り熊本訛りで、「ドラモット」とマダムは言う。
ついでに言うと、Merci beaucoup!も思い切り熊本弁でメルシーボクーなのである。
しかし、やっぱりシャンパンはおいしい。喉も渇いていたし、グビグビ飲む。
「相変わらず強かね〜!」
「いや、去年からあまり飲まなくなったんだけどね」
給仕をしながらマダムはいろいろ話かけてくる。
「バイオリンの仕事はまだしとっとね?」
「してますよ」
「着物もやっとたろ?」
「そう。やってます」
「去年ば、京都に行ったとよ。あんた、京都出身だったろ?」
「そうです」
「コロナで観光客がおらんで、空いとってよかった〜」
「そうでしょう」
と、前菜を食べ、そして魚料理はサーモン。
「たまに来ると、熊本もいいね。できれば一年に一回くらいは遊びに来たい」
「そうたい。来にゃいかんばい。だけんど、今日はよう来たとよ。明日は定休だったたい。運がよかとよ。今日も8時に間に合うとるけん」
「熊本がコロナで時短なんて全然知らなかった」
「地震で大変だったとおもたら、今度はコロナたい。たいがいにしてほしか。だけんど、そんなこと言うとったら年配のお客さんが、わしら戦争が終わったときはもっとひもじかったとぞ!って怒られやした」
「でも、フランスには行けないね。コロナがあると。行きたいけど」
「そぎゃんたい。行けんとよ。行こう思とったら、行けんようになってしもたたい」
フランスが好きな人は気持ちがいつもフランスに向いているのである。いつでもフランスに行きたいと思っている共通の心。
そしてメインの肉料理は鴨を選んだ。それをシェフが持ってきてくれる。
忙しそうだったシェフも一段落し、おしゃべりをする。
8時になり、他のお客さんたちが帰っていく。そしてわたしだけになり、昔のように話す。
「どれくらいになっとですかね」
と、シェフ。
「わたしがリヨンから帰ったのが1997年だから、その頃」
「もうそぎゃんになりますか。よう来よったですもんね」
「でも、よかった。またここに来れて」
「うちのマダムは京都に行ったとですよ。俺は留守番しとったばってんが」
「京都も離れてみるとその良さがわかった。向こうにいるときはなんとも思わなかったけど、東京で過ごして京都のことがわかった。離れないと魅力ってわからないものです。それは熊本も同じで、離れてからいいとこだなって思う」
そんなことを話しながら、8時が過ぎて会計をした。時短でなければ食後酒にグラッパをいただきながらもっと話したかった。
昔は営業時間が終わるまでいて、そうするとシェフがグラッパを持ってテーブルに同席してパリのことをタバコを吸いながら話したものだった。
「また来ます」
階段を降りると、シェフとマダムも降りてきてくれた。
「また来るたい。いつでも待っとるけん」
そして、
Merci, Au revoir !