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サンヨー食品の「桂花」を食べてみた。

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結月でございます。

今日は公演についてのミーティングで六本木へ。栃木から湘南新宿ラインだと一気に恵比寿まで行くことができるため、2時間ほどで着く。

とはいえ、愛娘の保育園のお迎えがあるため、遅くとも15時には東京を出なければならず、午前中に東京へ出発し、用事を済ませるとすぐに電車に乗って栃木に戻る。そして、保育園へクルマを走らせる。

であるからして、東京滞在は1時間から2時間なのがいつものことで、移動時間だけで5時間ほどなのである。

電車は退屈であるし、座っているとお尻は痛くなるしで、本当はクルマで行ければ運転するから退屈しないのだけれど、渋滞などで到着時間がはっきりしないし、都内の駐車場も面倒だったりする。

とはいえ、頻繁に東京へ行くわけでないから、特段困ることはない。

そんなわけで朝は時間がなかったので、ブレックファストは桂花ラーメンのカップ麺であった。

「桂花」は熊本ラーメンとして有名で、東京にも新宿や渋谷にも店舗がある。渋谷で働いていたときはよく行ったものだった。

熊本にいる頃は当然ながらよく行った。下通りという繁華街に本店がある。その頃は本当に昭和のままの店舗でわたしは好きだったのだが、いつしか今風に改装されてしまい、趣きがなくなってしまったのが残念だった。

熊本は大変ラーメンがおいしくて、もちろん「とんこつ」である。

熊本の人はとんこつ以外はラーメンと認めていないところがあるが、それにはわたしも賛同している。醤油や味噌なんてラーメンとして食べる気がしない。ガッツリとギトギトの熊本ラーメンがいい。

熊本の有名店は桂花の他に「味千」「黒亭」「こむらさき」「大黒」などがある。

わたしは「大黒」が好きで、これは住んでいたところからは遠いところにあったが、家庭教師をしていたとき、そこの家庭が、というか教え子のリクエストでいつも大黒ラーメンが出前されてご馳走になっていた。

あとは「黒亭」。熊本駅近くに本店があって、小さい店だがこれまたいかにも昭和のスタイルで実においしい。しかし、わたしが行ったのも随分前だからもう変わってしまっているかもしれない。

住んでいたアパートから歩いて行けるところには「とろく黒亭」という小さな店があり、ここのラーメンもいける。近所だったから特に愛着がある。ラーメン屋だけれど物静かで清潔な店で、店主が静かだからだろうか。

さて、桂花といえばなんと言っても「ターロー麺」である。この豚の角煮は口の中でとろける。そんな柔らかさにワカメの茎がコリコリとあるのがいいわけで、真逆の食感があることで角煮が映える。

とにかく桂花が好きなわたしであるが、先日、宇都宮の行きつけのドンキに行くと、桂花のカップ麺が売られていて、128円と安い。とりあえず3個買った。本当はもっと高いはずである。

サンヨー食品が出していて、それは「サッポロ一番」の会社。

よくラーメンの名店がカップ麺になってコンビニで売られている。ラーメンのことは詳しくないから、それを食べてみても本物とどこまで同じなのかよくわからず食べていた。しかし桂花となるとその味がわたしの記憶にしっかりと染み込んでいて、正しいジャッジができる。

というわけで、朝から桂花のカップ麺を食べてみた。

結論から言うと、麺は桂花とは程遠い。やはりインスタントではこれが限界か。似せようとしているのはわかるが、やっぱり似ていない。

そしてスープ。これはまあまあ再現はされている。本物の55%くらいであろうか。

桂花ならではのワカメの茎も乾燥で入っていて、まあ、うん… 似せたものを頑張って作ったんだとわかる。

であるからして、サンヨー食品であっても本物の店のラーメンとは離れたものしかできないようで、昔の中国で話題になった偽物のディズニーランドのミッキーマウスくらいと言えばいいだろうか。

同じ中国製でもルイ・ヴィトンの精巧なコピーではなく、笑えるくらいの見よう見まねのミッキーマウスのレベル。

ということは、食べたことがない名店のカップ麺はわたしが本物を知らないだけで、昔の中国製ミッキーマウスくらいのものだったのだろう。

熊本にはすぐに行けないし、東京にもすぐに行けないからカップ麺で桂花の味を味わえればと思ったが、それは無理というもの。

桂花っぽいものを感じるカップ麺を食べて、悲しくなるほどではないが、とてもビミョーな気持ちになって食べてそんなに嬉しいものではないのである。

これなら桂花から直接通販で生麺を買ったほうがいいと思いつつ、それも家で調理すると店で食べるものよりもイマイチなものが出来上がってしまう。店でコツコツと煮込んだスープと家庭のガスコンロで温めただけのものとは当然違う。

音楽で言えば、コンサートホールで聴くものとCDくらいの差がある。

好きなものはやっぱり本物で味わいたいものだ。

さて、来月の初めに2年ぶりに熊本に行くが、熊本ラーメンを食べるだけの胃袋はなさそうである。

久しぶりに会う人がいるからラーメンというわけにいかず、居酒屋になるであろうし、大分まで足も伸ばすし、さらに馴染みのフランス料理店にも行く。

熊本の懐かしさを全部取り戻そうとすると、2週間は滞在しないと消化できそうにない。

しかし、10代後半からの経験は深い思い出になるもので、そこでの4年間は忘れられないものであり、思い入れのある馴染みがたくさんある。

栃木に来て3年半になるが、そこまでの思い出になるものはない。

それは今の引きこもりライフスタイルのせいでもあるし、田舎すぎて名店がないせいでもあるし、ガラスの10代の過敏な感性が今はないせいでもある。

思い出づくりはせいぜい25歳までじゃないか。それ以降は感性が鈍ってきて、深い思い出にはならない。

25歳までに感じたものは忘れられない愛着になる。

だから、それまでにいい体験をしていないと、年を取ってから何も振り返れない寂しい人間になってしまう。

たかがラーメンでも愛着が持てれば、意外と幸せなものなのだ。

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