結月でございます。
熊本に一泊して、時短営業で人通りも少なくなった繁華街を夜に歩いた。下通り、上通りというところで新市街を合わせて、その一帯を熊本の人は「まち」と呼ぶ。
高校生のときは大阪のど真ん中に通っていたから、毎日大阪の大都市を歩いていたわたしはそこから熊本に大学で行ったときは「まち」という呼び名に驚いてしまって、なるほど地方都市では繁華街が特殊なものなのだとカルチャーショックだった。
そんな「まち」を歩いているとやはりこみ上げてくるものがあって、それはこんな小さな繁華街でもたくさんの思い出、それは様々な種類の思い出があるからで、ノスタルジーもあるし、急に自分が過去に舞い戻されるような錯覚にもなる。
それは正直に言えば心地いいものでもなく、ちょっとした苦しさと哀しさがあって、思い出したくないこともあれば、自分がもうここに住む人間じゃない事実、そんなものが交錯して、歯痒くもあり、時間の大きな断絶に茫然となる。
通りは同じでも店は随分と変わっていて、それでも上通りにある古本屋は健在で、そのカビ臭い古本の匂いは心地よく、昭和時代の本など読んでしまいたくなる。
よく通っていたバーは、確か2001年にマスターが酒の飲み過ぎで死んでしまって、それ以降はずっとテナント募集のままで、階段で上って真っ暗な店内を覗くとバーカウンターもテーブルも何もかもそのままで看板だけは取り外されていた。
そこを立ち去るときは階段でなくエレベーターにした。いつもマスターが見送ってくれ、マスターは学生のわたしたちにもエレベーターの前で姿が見えなくなるまで深々とお辞儀するのだった。
そんな思い出がたくさんの熊本を歩きながら、また住んでみてもいいかもしれないと思いつつ、熊本は東京から離れすぎているし、わたしみたいな破廉恥な人間はやっぱり熊本ではやっていけない、というか支持してもらえないとわかるから、ここには住むことはないんだろうなと思い直す。
数年に一度でいいから、記憶の中に残ったものに出会いに訪れるくらいがいいのだろう。
しかし、これからもっとたくさんの時間が経ち、いよいよ死がしっかりと意識されるような年齢になったとき、もしかして熊本もいいんじゃないかとふと思った。
わたしは死ぬことを楽しみにしていて、自分がどのように死ぬのか、そしてその瞬間はどんな気持ちでいられるかにとても興味がある。
興味があるからこそ、死を間近にしたときは後悔はしたくなく、
「十分に楽しんだ。おもしろかった。悔いはなし」
と思って死にたい。
これはわたしの揺るぎない死生観で、だからこそやりたいと思ったことはできる限りやるようにしている。そして、生きているこの時間にくだらないことで悩んだり、他人の愚痴をこぼしたり、無駄にゲームをしたりとか、そういうことには時間を使いたくない。
できれば死ぬ直前まで現役で何かしらの仕事や取り組みをやっていたい。だから、死ぬまでできる体質、そしてスキル、商売を考えながら今を生きている。
最終的に死ぬ時にこそ、最大であればいいわけで、死ぬ瞬間がフォルテッシモでそこにクレッシェンドしていきたい。
大抵は死に向かってディミヌエンドしてしまう、例えば年金暮らしで細々とといった具合。
わたしはそういうのは嫌で、最期に向かってクレッシェンドしたい。
そんなフィナーレをどこで迎えるかを考えるのが楽しくて、まだまだ何十年も先なのに候補選びを楽しんだりしている。
その候補はやはり自分が過ごした地、思い入れのある場所であるわけで、そういう意味で熊本もなくはないかな、と思う。
一番の候補はパリで、わたしはパリで死にたい。だからパリで死ぬにはこれからどういう活動をしてパリに住んで、パリで死ねるだけの金を工面するかなどを考えたりする。
そうなると少々ハードルは高く、となると国内であれば奥日光。
育った京都は考えなくはないが、どうだろうか、思い出いっぱいの場所はあれど、そこで死にたいかと訊かれれば、ちょっと違う気がする。それなら熊本のほうがいい。
大阪も大変馴染みがあるけれど、大阪では死にたくない。
それは今のわたしが大阪に興味がなく、あまりシンパシーを感じないから。
あとは東京か。東京が妥当である気もする。しかし、東京は普通すぎておもしろくない。
中国の可能性もなくはない。とはいえ、中国の病院は日本のようにサービスがよくないし、人権意識も低いから死ぬ直前には禁断のはずの「不平不満」が立ち込めそうでやめたほうがよさそう。
とまあ、そんなことを妄想しつつ、死ぬのなんてどこだっていい。要はその瞬間まで自分の人生に満足していることが大事なのだから。
それにこの先、思い入れが深くなる場所に出会うかもしれない。奥日光だって2015年以前の自分にはなかった土地なのだから。
でも、今でさえ、もう満足している、自分の人生に。
日本一の歓楽街、銀座に14年もいたし、サントリーホールでは歴史的なコンサートも主催して、この上ない感動の演奏も2000人に聴かせられた。
体力レベル「クズ」のくせに男体山に二度も登頂できた。
結美堂を立ち上げ、いいお客さんにたくさん恵まれた。それは今も続いている。
数え出したらキリがないほど満足できる思い出がある。
だから、今死んだって悔やむこともない。ただ、愛猫が3匹いるのと愛娘がまだ小さいから今死ぬのは困る。まだわたしがいないといけないから、自分の人生にすでに満足してはいてもまだ死ねない。それに体は健康である。
いや、まだやりたいことをやりきれていない。現在進行中の企画だってやりたい、やらねばならぬものだし、ずっと前から目標にしていることもまだ成し遂げられていない。
そして、中国の新疆ウイグル自治区の果てにある楼蘭に行っていない。ここを訪れずして死ねない。必ず行く。
まだまだやることがある。もっとクレッシェンドできる。
死ぬことが楽しみになるくらい生きる。
死に場所を探すというのは、そこに至るまでを懸命に生きることなのである。