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音楽は不要不急だからこそ熱くなれる!

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結月でございます。

東京などは緊急事態宣言中で落語が駄目にされたり、それ以前にコンサートホールも軒並み休館にしてしまって要するに文化という名の不要不急は大きなダメージを受けている。

旅行なども控えられていて、旅行というのは実は文化であり、旅行者を迎え入れるホテルや旅館などはその料理を見ただけでも地元を生かした料理人の工夫がこなされた一級の食文化なのである。

そんな不要不急認定されたところは苦しい立場に追いやられてしまって、音楽や着物など不要不急を仕事にしているわたしもおかげさまで退屈な一年だった。

さて、数多くある不要不急の中で音楽を取り上げてみる。

わたしは音楽は不要不急であると思う。それははっきりと思う。音楽なんてなくても死なないし、コンサートが開催されなきゃCDで名演奏を聴けるし、そもそも音楽に興味がない人だってたくさん、というか興味がないほうが人口比としても大多数なのであるから音楽は不要不急なのである。

もし音楽が不要不急でないのなら、コンサートホールは連日満員。客集めにも苦労なんかしない。全体的に客が少ないのは不要不急であるからであって、一年前のマスク買い占め騒動のように必要とされるものは売り切れが続出するものだから。

音楽が不要不急でないと言うのは、それは音楽家であったり、人口比としてかなりマイノリティな音楽ファンであって、音楽で飯を食っていればそりゃ音楽は必要不可欠だし、音楽が大好きで毎日聴いていたい人にも必要不可欠なのは当たり前。

でもそのニーズは個人というレベルの話であって、コロナ禍で言われる不要不急とは社会的な、大きな範囲でのことであるから、そこに音楽は人間に必要だ!と訴えるのはそもそも論点が異なるわけなのである。

それでいて音楽を仕事にしているくせに「音楽なんて不要不急だよ」と断言しちゃっている裏切り者っぽいわたしは多くの音楽関係者とはちょっと違った視点で考えている。つまり、

「人間は不要不急なものにこそ、熱くなるものだ」

ということ。

必要不可欠な代物は得てしてつまらないものばかりで、マスクや消毒液といったただの工業製品であったり、トイレットペーパーがうんこした後にないことに気づいたらかなりヤバいとか、電車がないと通勤できないだとか、弁当買ったのに店員が箸を入れ忘れて食えねえじゃねえかとか、まあないと困るけれどそうした事物そのものはどうってことないものばかりなのである。

それでいて、実は必要不可欠なもののほうがこの世の中では少ないのだ。世の中の大半は不要不急なもので占められていて、趣味なんてその典型で、それで飯を食ってくわけでないのにそれに没頭したりする。

必要不可欠なものには人間は躍動しない。熱くならない。熱くなるとしたら未知のウイルスが発生し、マスクはその防御になるからマスクしないと感染して死ぬと大騒ぎしてドラッグストアに開店前から雨が降ろうとも並んだりするエネルギーだったり、トイレットペーパーがなくなるというデマをまに受けて両手に持ちきれないほどのトイレットペーパーを買い漁る根性だったりする。

しかし、人間の躍動や熱さとはそういうものじゃない。

大人しく仕事が終わればまっすぐ家に帰り宅飲みで済ませればいいものをキャバ嬢に熱を上げてゾッコンになって通い詰めたり、酔っ払ったらどれだって大差ないのにウイスキーにこだわって希少なものに大金をつぎ込んだり、痩せるわけもないのに痩せると言われた怪しいサプリメントを初回費用無料に騙されて年間契約しっちゃってる馬鹿とか、人間はくだらないものに熱くなるものなのである。

その熱量たるや凄まじいもので、そこにつぎ込む金や時間はとてつもなく、さすがにマスクやトイレットペーパーに人間はそこまでクレイジーになれない。

要するに不要不急なもののほうが楽しいものが多く、そこに価値が芽生えることがしばしばある。

音楽もそういう部類のもので、別になくても人間は死なないのだけれど、そこに熱くなると演奏者は練習に練習を積み重ね、最高の演奏をしようと寝ても覚めても音楽に没頭し、その演奏に価値が生まれ、それを聴かせるのに金を取れるようになり、同時に金を払ってでも聴きたい人が出てくる。

概ね文化とはそんなもので、安っぽいキャバ嬢や怪しいサプリのような非文化な不要不急ではなく、文化は不思議と人間の奥行きを深め、それは無駄ではあるのになぜか価値が出てくるものなのである。

すると音楽で人は癒され、楽しみ、踊り、恍惚となり、しみじみと泣いたりすることもあり、とにかく心が震える。

必要不可欠のマスクなんて苦労して並んで買ってもそういう心の震えはない。

だから、不要不急である文化はジャンルが様々であれど、各ジャンルによってそれぞれの心の震え方があって、どこか人間はそれを望んでいるし、それがあってよかったと思う。

だからこそ、音楽は人間には必要不可欠だというのは論理の飛躍であって、わたしは音楽は不要不急である事実は変わらないと思う。だけど、ないと寂しい。

「ないと寂しい」

そういうものなのである。

不要不急であるけれど、ないと寂しい。

なんか寂しい。

寂しくなりたくないから、人間はそれを求め、熱くなる。必要不可欠なトイレットペーパーにはない熱さ。

要らないものであるからおもしろい。マグカップにクマちゃんの絵がプリントされたり、とぼけた猫の顔が描かれたりしているだけで無地のものよりかはなんだか楽しい。寂しくない。そんなイラストだって不要不急の文化のひとつだ。

そういった遊び心が膨張し、そして洗練されるようになると文化になり、さらに表現の無限の自由を求めると芸術になってくる。

するとなんだかすげえものができてくる。社会の利便性にはまるで関係ないのに内容はすげえという不要不急。

そして、すげえってものにはますます人間は熱くなる。

だから、不要不急なものこそ魅力的なのである。

音楽は不要不急。紛れもなくそうなのである。わたしは本当にそう思う。しかし、音楽を否定しやしない。

だから、感染対策としてコンサートホールが休館させられたりするのは、不要不急扱いされることには異論はないが、否定される扱いであることにちょっと腹が立つ。

そこが明らかに感染源となるのであれば理解はできても、ちょっとそのあたりの裏付けが胡散臭くて、

「そこは関係ねーだろ!」

と思いたくなる雑さがどうも気に入らない。

もちろん感染リスクはゼロじゃない。ゼロじゃないけど、この世にゼロにできることなどそうあるものじゃない。ある程度は仕方ないものという割り切り、合理的な緩さみたいなものがないと人間社会は成り立たない。

そして一方でオリンピックに関してはなんとなくオッケーになっている。

オリンピックこそ、必要不可欠な最たるものだと言っていい。なぜなら、これまでに莫大な金をかけてしまって、そしてそこに利権が群がり、政治と密着しているからそういう側面から見ればオリンピックは不要不急ではなく必要不可欠なのである。

しかし、やっぱり必要不可欠なものはおもしろくない。必要とされた時点でそれはつまらないのだ。それは壮大なトイレットペーパー。国家は巨大なうんこをすると決めたから、壮大なトイレットペーパーが必要なのである。それがオリンピックというものだ。

だからわたしは不要不急な音楽や着物、そんな文化に生きていたい。別に要らないんだけど、人間が熱くなり、躍動し、ときめく。

不要不急だからこそ、熱くなる。

必要不可欠なものにはそんな魅力はない。

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