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自分のテリトリーから外に出ること

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結月でございます。

スマホを4歳の愛娘に占領されてしまったから、仕方なしに普段は見ないテレビをつけたら、見る気にもならない番組ばかりだったのでBSにすると阪神ヤクルト戦がやっていた。

野球も興味がないとはいえ、バラエティー番組よりはいいから少しだけ見たけれど、どちらが好きも嫌いもなく、感情移入することもなく、冷えたハートで野球を眺める。

しかし、神宮球場は結構客が入っていて、プロ野球って収容制限していても観客って多いんだなって事実を見て、これだったらオリンピックだけが無観客っていうのも変だよねとちょっと思った。

とはいえ、オリンピックはもともと興味ないし、そもそもスポーツに関心がないわたしなのでオリンピックの開催がどうだとか、観客を入れるか入れないかという不毛な議論にも興味がない。

ただわかるのは東京がオリンピック会場に選ばれてしまった時点でそれは政治的にも経済的にもやらなくちゃいけないイベントになってしまっているのだから、中止っていう判断はできない事情は大変よくわかる。

それなのにリベラルな人たちはあと2週間で始まるオリンピックを中止にすべきとガチで言っていたりして、きっとリベラルな人って事業をしたことがない比率が高いから理念っぽい主張ばかりで現実という地に足がついていないんだななんて思う。

しかし、文化人であるリベラルがパヨクになって、いくら政府が嫌いでもちょっとその言葉の使い方はひどいんじゃない?とガッカリすることが多々ある。

学歴的にも十分で、知識もある文化人がパヨク化して、ただの悪口をSNSでぶちまけているのは反知性を訴えているくせに自らが反知性になっているオチ。

とまあ、人間って偏っちゃダメなんだと思うわけで、文化系だけで理科を学んでないのはよろしくなく、理科系だけで文学も読んでないのもよろしくなく、音楽ばかりで金の勘定ができないのもよろしくなく、肉ばかり食うのもよろしくなく、野菜しか食わないのもよろしくない。

なんて、わたしもガチ文化系な人間だった経歴があり、昔を振り返ると自分はアホだったと思う。

しかし、自分の理念だけではモノは売れないし、それは他人のハートを理解できていない証であるし、いろんな企画や事業をやっていくうちに事務処理ができないとそれらはちゃんと進まないことを学習して、WordよりもExcelな人間になった。

そして今は小説は読んでおらず、税制の本をKindleで読んでいて、その色気のない内容に、

「ふ〜む… そういう仕組みだったのか…」

と、知らないことの多さに感動している。

小説は昨年、国内作家の小説をかなり読んだ。芥川賞作品も過去20年分はほとんど読んだ。でも、どれもおもしろくなかった。いや、それらが出版として選ばれる理由はよくわかった。そういうジャンルでの才能も理解した。

でも、そういった小説がどれを読んでも世間知らずなものに見えてしまって、文系にだけ偏った思考というか生き方ばかりで新鮮味がなかった。

ところが税制の本はまるで文系でなく、よくこんなシステムを作ったもんだと感心してしまって、それと同時に税金というお金の仕組みもわたしにとっては新鮮なもの。

今まで事業をやってきたから、それなりに知ってはいたものの、専門書を読んでそれが感覚的でなく、合理的な知識として頭に入ってくる。

やっぱり自分にないものを取り入れることが楽しい。

知っていることばかり反復したって進化しない。

そういえば、大昔、サクソフォーン奏者の巨匠、ダニエル・デファイエの公開レッスンを観に行ったことがあって、生徒役は大阪音大かどこかの学生だった。

デファイエはその学生に、

「君はゴールウェイを聴くか?」

と問い、学生は、

「聴いてません」

と答えた。

するとデファイエは、

「どうして聴かないんだ?君がサクソフォーン奏者だからフルートは聴かないのか?」

と、不機嫌になった。

ゴールウェイは世界的フルーティスト。

つまり、サクソフォーンだからと言ってサクソフォーンだけ聴いていては駄目で、もっと違う楽器の表現も知っておかなくちゃいけないよ、ということ。

これは広く言えば、音楽をやっているから音楽だけの知識では優れた音楽はできないとも言える。

プロ奏者にもいろんなレベルがあるけれど、演奏技術とは別に音楽性の深さははっきりと音楽以外のものをどれだけ知っているかによってレベルが決まってくる。

一流の奏者の話がおもしろいのは、音楽の話をしているのにもっと人間的の根源に思想があったり、そうなるためには歴史や文学、哲学を知ってなくちゃいけない。もちろん物理学や生物学だっていい。

専門以外への興味と知識。この分量によってきっちりとプロ奏者のレベル差に出る。

おそらくは技術的なところは上限があって、まあそこそこはそれなりの練習で到達できる。ところが思想となると練習とは別の世界になってきて、話しておもしろくない奴は演奏もおもしろくない、なんていうことになる。

話がおもしろいというのは話が飛躍できることであり、音楽の話をしているのにいきなり歴史の話になったり、酒の話になったり、女の話になったり、それでいてやっぱり音楽につながっているという飛躍と集約がある。

優れた音楽は人間の根源を描けているものであるから、人間すべてにつながる興味が知識としてないといけない。

その人間的な根源にどれだけ触れているか、さらに言えば、この世界、もっと言えばこの宇宙、すなわちすべての存在にどれだけ自分が迫られているか、それによって音に迫力が出てくる。

ともかく、自分の専門外のことをどれだけ学び、それを自分の専門に集約できるか、そこが大事になる。

自分の専門外を中途半端にやるのはよろしくなく、三日坊主なんて論外。自分がおもしろいと思ったものにはとことん追求して勉強しちまうことが才能なのかもしれない。

と、わたしは税制にちょっとハマって本を読んでいながら、スタニスワフ・レムのコレクションが国書刊行会から完結しているのを知り、全6巻を買っちまおうかと思っている。

レムはポーランドの作家で、わたしが好きすぎる映画『惑星ソラリス』の原作者。

『惑星ソラリス』の映画化でタルコフスキー監督と揉めたようだけれど、それはタルコフスキーの想像力がド級であったから、レムとしては世界観が壊されると思ったのだろう。

しかし、原作を読んでも映画と同じくらいものすごいものだから、わたしはどちらも好き。

スタニスワフ・レムも量子力学などが作品に取り入れられているからあの独特な感じが出るわけで、サクソフォーンを吹くのにサクソフォーンだけ聴いていては駄目な理屈で、レムは文系臭くないからいい。

同じ理由で、安部公房も医学部出身だから小説が理科系で、文系臭がないからおもしろい。

自分のテリトリーだけで過ごしてばかりいると文化人だっていくら知識があっても偏ってしまってパヨクになる。

ああなっちゃいけないよ。

と、わたしは税制の本を読んだり、山登りして自分を代謝させる。

すると、自分にとって常に新鮮な情報が入ってくるから、なんか年取らないんだよね。

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