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わざわざオンラインでなくても電話でいい。

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結月でございます。

マロオケ2021公演の企画を立ち上げたのが5月初め。それまではコロナもあって、東京を離れたわたしはそんなに忙しくない日々を送っていた。

もともと取引先の業者と複雑なやり取りをすることもなかったし、長い付き合いの業者相手だと電話でもせいぜい5分ほど話せばわかる。雑談を入れたら10分程度。発注だけなら30秒。

とまあ、仕事柄そんなに面倒なことがない。

で、公演を3年ぶりにやることになって、久しぶりに本気モードになり、今はコロナが終焉を迎えつつあることを実感しつつもコロナ余波は根強く、かつてない売れ行きの悪さを経験中で、どういうアプローチをすればいいか残り時間が少なくなる中、あれやこれやと考える。

と同時に、公演に関しての実務的な作業も多く、わたしはオンラインミーティングなるものを出遅れて経験することになった。

数件ほどオンラインでやった、というか申し出をされてやったわけだが、まあ遠くにいる人たちが複数でミーティングできて、しかも交通費など金がかからないというのはコロナが引き起こした革命のひとつであり、コロナがなければオンラインミーティングはここまで定着しなかっただろう。

とは言え、一対一であるのに「オンラインで」と提案されることが幾度かあり、別に相手の顔を見たいわけもなく、また自分の顔も見せたいわけでもなく、顔を見たところで内容は変わらないのだから、

「電話でええよ」

と、一蹴。

メールは確かに鬱陶しくて、タイピングするのが面倒だし、話したほうが早いことが多々ある。

でも、一対一で別に顔なんか見合わなくてもよろしい。

おそらく、コロナで在宅勤務が多くなってオンラインが推奨され、大企業なんかはオンラインでやっていないと仕事をした気にならないのではないか。そうやってオンラインで打ち合わせばかりやっていて、いつの間にか電話という便利なものを忘れてしまったのかもしれない。

と、ジョークをひとつ久しぶりにやろうか。

アメリカのNASAは宇宙の無重力空間ではボールペンが使えないことがわかった。無重力だからインクが下に下りてこないのである。

そこでNASAは最先端の技術を結集させ、無重力でも使用できるスーパーボールペンを開発した。

それを聞きつけたロシアの宇宙飛行士たちは大笑いした。

「俺たちはずっと鉛筆を使ってるぜ!」

ブハハハハハ!

おもしろい! これはジョークの傑作のひとつ。日本にはジョーク文化はないけれど、欧米や中国に行ったらジョークは人間関係のためにも幾つか知っておいたほうがいいよ。

と、コロナ禍で陰気な時間が長かったせいか、ジョークを披露する習慣をすっかり忘れてしまっていた。

と、言いたいことは電話があるのにわざわざオンラインで時間も打ち合わせて、

「せ〜のっ!」

で、クリックし、相手の顔が見えると、

「ども〜 お疲れさまっす〜」

みたいなやり取りって、要るのかしらん? 電話でええやん。

と、オンラインのメリットとして、%#&”#&%なことを言おうと思ったけどやめた。Googleからお叱りのメールが来てしまうから。

そうなのである。Googleに登録しているからここではかつてのように&#$&”#’なことを書けなくなったのである。旧ブログのアメーバのときは結構やってたけれど。

と、何かとコンプライアンスとかうるさくなって、アタシは破廉恥さを炸裂させられなくなって、ああ、エガちゃんねる、LOVE!

しかし卵が先か鶏が先かわからないけれど、メンタルが弱くなった人が増えたからそうなったのか、コンプライアンスがうるさくなったからメンタルが弱い人が増えたのか、それはよくわからない。

さて、オンライン飲み会なるものもコロナが生み出した文化であるけれど、これはやはり定着しなかった。

そこまでして飲む必要がないとか、音声のタイムラグがあるとどうも変な酔い方をするとか、わたしもちょっとやってはみたが、なるほど、これはただ疲れるだけであって、

「コロナが落ち着いたらどっかで飲もうよ」

と、締めくくる。

さて、どうやらコロナは落ち着いたと言える段階にきて、東京のほうは夜の人出は増えたなんてニュースを見たりはしても、まだ時間制限がある。

同じテーブルなのに目の前にアクリル板があったりするだけで、乾杯する気にもならん。それならやめとこ。

と、わたしならそうなる。

しかし、店としては感染予防をしてますというポーズが必要だし、それがないと認定されないから気の毒なのである。

でも、あのアクリル板、本当に効果があるのだろうか?

そう言えば、先日、将棋のNHK杯を見ていたら、棋士はマスクしてその間にはアクリル板が吊り下げられていた。

あれって、必要なん?

将棋を指しているときは棋士はしゃべらないし、このご時世、よほどのアホでワクチン陰謀論をいまだに信じている人でない限りはワクチンは接種しているわけで、あのアクリル板、意味があるのだろうか? いや、ないよね。

そんなこと、誰でもわかってる。そやけど、みなさまのNHKはアクリル板をやっとかないといかんの。クレームが来るの。非科学的な人がうるさいの。

と、緊急事態宣言も終わり、ワクチン接種も進んでいるのにアクリル板越しに将棋を指しとる。

とは言え、激しく飲み食いして大騒ぎとなると、あのアクリル板は些かの効果を発揮しているのかも?なんて思いつつ、そこまで盛り上がるとアクリル板なんてどかせてしまうのが酔っ払いというもの。

「なんじゃ、われ? わしがコロナとでも言いたいんか、コラ! しばき倒したろか、アホんだら!」

なんて、大阪の場末の飲み屋で、団塊世代の柄の悪い客だったりすると、まあまあありそうな風景である。

と、高校時代の青春を大阪で過ごしていたわたしは大阪のリアルを知っている。

でもね、大阪のことは今でも好きよ。わたしは銀座にいる頃はハートの中に銀座線が走ってたけど、その裏側には御堂筋線が走ってんのよ。

わたしは難波が好きやの。梅田やなく、難波やの。毎日、阿倍野まで通っていたから天王寺も頻繁に行っていたし、塾も天王寺だったけど、やっぱり難波がええわ。そのまま心斎橋まで歩いてね。

と、そんな大阪も長い長い時間、行っていない。橋の下をたくさんの水が流れた。

大阪はもはや思い出の一画でしかなく、わたしにとっては必要ではない。

と、もしかしてこのまま東京もそんな風になるのだろうか。

14年過ごした銀座も思い出の一画になりつつある。

でも幸い、東京は栃木からクルマですぐに行けるから、大阪のようなことにはならないか。

と、公演のチケット申し込みの電話を受けて、その送り先は東京であることが多く、その住所を眺めると、

「こんなところでアタシ、何やってるんやろ…」

と、思うことが多々ある。

田舎嫌いでスペック都会人であるのにこんな田舎にいる。複雑な気持ち。割り切れてはいるも、なんだか納得できていないもやもやもある。

しかし、ビジネスで名を馳せた人でも脱東京が見受けられて、地方在住がちょっとしたトレンドでもある。

コロナによってオンラインが当たり前になり、東京に事務所を構える理由がなくなったり、そのコストを支える馬鹿らしさに気づいたりしているのだろう。

わたしの場合は愛娘のために仕方がなしにという点はあれど、地方の生活コストの安さで快適さを知ってしまうと、再び東京に店なり、事務所を構えようという気にはなれない。サラリーマンなら東京でいいけれど。

銀座に店を出した頃はまだ通販もほとんど普及していなくて、通販は信用できず、リアル店舗で買うことが真っ当であった時代。それからじわじわとECサイトは力をつけていって、世の中は変わり、実店舗の価値は少なくなっていることは感じながら銀座にいた。

しかし、時代は変わるものである。

ズーム会議なんて一昔前だとドラえもんの世界だった。

コロナは恐怖と不安を世界中に撒き散らしたけれど、オンラインを普及させ、mRNAワクチンという人類の叡知の最高峰と言ってもいいほどのものを短期間で実現させた。

実はコロナは様々なところで革命を起こしたのである。

そして、同時に旧態依然なものを駆逐するエネルギーになった。

コロナがなくとも消滅危機にあった呉服はコロナを契機に廃業が相次いだ。それと同じようなことは他業種にもたくさんあるだろう。

もしかして音楽の世界もリアルでコンサートで聴くという趣味を破壊されたかもしれない。

2年近くの禁欲期間でコンサートホールから遠ざかったし、その間、再生数はイマイチながらオンラインで音楽を配信するようにもなった。コンサートに行けないぶん、音楽が好きな人はYouTubeで過去の名演を楽しんだかもしれない。

それが習慣となってしまえば、コロナが終わりになったとしてもコンサートホールで生演奏を聴く趣味はこのまま薄れてしまうことも考えられる。

もっと言えば、音楽は不要不急であって、なくても困らないことを実感してしまったのがコロナかもしれない。

なくても困らない気分の中で、コロナが終息しようとしてもその気分は戻るのは容易ではない。

しかし、旅行は戻ると思う。

なぜなら、旅行は飲み食いがあるわけで、人間は飲み食いだけはやめられないのである。

第6波はおそらく来ない。来たとしても大騒ぎする規模にはならない。ワクチン未接種者の間だけに広がる程度で、緊急事態宣言が出されることはないだろう。

もうコロナは終わりなのだ。

終わった後、コロナによって、たった2年弱の影響で社会がどのように変化するのか大変興味深い。

自分が愛するものが用無しになるかもしれないし、自分が見たこともなかったような新しさにときめくかもしれない。

そんな近未来をわたしは楽しみにしている。

元には戻らない。新しくなるだけ。

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