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路上飲みって、ええじゃないか。

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結月でございます。

今日は企画のことでいろんなところに電話をかけまくったせいで疲労してしまった。

わたしは根本的に人間嫌いで引きこもり体質だし、あまり人と話すのも好きじゃない。いやいや、気の合う女のひととならアホな話でいくらでも話せるのだけれど、仕事でフォーマルなトークとなると疲れてしまうのである。

それにコロナのせいもあって、さらに栃木にいることもあって東京にいた頃よりもさらにしゃべらなくなっていているものだから、余計に話すとぐったりとするのである。

とは言え、それも自分が好きでやる内容だから、嫌な疲れじゃない。だから、好きでもない内容で一日中電話で話さなければならないコールセンターなどの仕事はかなりハードで、きっと地獄だと思った。

そんなわけでちょっとぐったりしながら保育園にお迎えに行き、昔のわたしなら、

「疲れたからハイボール飲んじゃおー」

と、冷えたハイボールを一気飲みしていたに違いないけれど、今はほぼノンアル生活になって、それが定着してしまって愛娘を食事する時もお茶であるから、疲労してもお酒を飲みたいと思わなくなった。

企画などで頭をフル回転させると無性にタバコが吸いたくなって、事実ニコチンには頭のストレスを和らげる効果がある。

しかし、タバコは吸えるけど普段は吸わないし、吸えば口の中が気持ち悪くなるのが嫌だからやっぱり吸わない。

なので今は外でよほど気持ちよく酔っ払ったときにしか吸わないわけで、でも東京は居酒屋でもタバコが禁止になったからそういうモードにならない。

というわけで、頭のストレス解消をお酒やタバコでごまかすことをしないわたしは昔より優等生になったわけである。

さて、何やら東京では路上飲みがトレンドで、それに対する自粛も促されているらしいじゃないか。

飲食店でお酒を禁止にしたら、当然そうなるってことはわかると思うけれど、都知事をやるような人はそういう人間的なところがわからないのかもしれない。

しかし、お酒を飲むために隣の県をまたいで飲みに行ったり、缶ビールを路上で飲むっていうのはすごい執念だと思う。

やはり日本社会は飲まなきゃやってられないストレス社会で、こっちの蛇口を閉めたら、あっちがプシュー!と吹き出るようなものかもしれない。

ちなみにドリンカーだったわたしは今でも好きなひととサシで飲むのは好きだけれど、毎日飲酒していた昔であっても都外に脱出してまで飲みには行くメンタルはなかったし、路上で缶ビールを飲む執念もない。

やっぱりお酒は屋内で飲むのが好きで、できればオーセンティックなバーが一番。

あとは家でひとりでゆっくりと飲むのが心地よく、路上なんて絶対に嫌。

思えば、路上も含めて外で飲んだことはあまりない。学生の頃にちょっとあったという程度。

ちなみに学生時代は花見コンパや月見コンパがあって、外で飲むイベントがあってそこに行かなければならないことがものすごく嫌だった。

路上で飲むのは何よりもマナーが悪い。通行人から見ていいものじゃない。それに貧乏くさい。

コンビニで買った缶ビールをビニール袋にぶら下げて路上でそれを開けるなんてホームレスじゃないか。

それに外だと飲むことに集中できない。故に酔わない。

ついでに言うと、わたしはビアガーデンなるものも好きじゃなくて、どうも天井がないと駄目なのである。だからバーベキューもやりたいと思わない。

とまあ、これは好みの問題であって、外で飲むのが気持ちいい!というひともいるからこそ、路上飲みがなされるのだろう。

しかし、考えようによっては路上飲みのほうが健康的かもしれない。

なぜなら、路上だとヘベレケになるまで飲みにくいからで、もちろんベロンベロンになるひとはいれど、居酒屋ほど深酒することは少なそうだから。

一番よくないのはわたしみたいに引きこもり体質で、人間嫌いで、よほど好きな相手とじゃないと人と飲まなくて、だから家でじっくりひとりで飲むようなのが深酒が日課になる。

家だと酔ってもすぐ横になれる。帰りの電車なんて気にしなくていい。飲食店と違い、お酒の値段も高くない。

一方、路上のみは基本、ひとりではなく友達とワイワイやるものだから、毎日はできない。毎日付き合ってもらうにはかなりの数の友達が必要になる。

おそらくそういう人は寂しいから飲むのであり、人と一緒にいたいから飲む。

つまり、飲み方が違うわけで、飲酒が習慣化しやすいのは家飲みの引きこもり体質。

思えば、こんなわたしがほぼノンアル生活になったのは愛娘の影響であり、4歳児がいつもいるとわたしはひとりでないわけで、ひとりでないと飲んでも美味しくないのである。

去年の晩夏以前はそれでも習慣的に愛娘を隣にしてお酒を飲んでいたけれど、小さな子供と一緒だと落ち着かなくてゆっくりと味わえない。それにせっかくほろ酔いになって横のなろうとしても元気いっぱいの愛娘はそれを許さない。

と、そんなわけでひとりじゃないから飲まなくなったと考えられる。そこが路上飲み族とメンタルの構造が違うのである。

とまあ、それはいいとして、巷でお酒を禁じると余計に社会が荒れるというのはアメリカの禁酒法時代に証明されている。

お酒はほどほどに自由にさせておいたほうがトータルのバランスで見ればそのほうが平穏なのである。

もちろん、お酒のトラブルはあるとはいえ、全体で考えるとガス抜きをしておいたほうがマシと言えそう。

飲む人はどうやっても飲む。

居酒屋がダメなら路上で飲むし、友人宅に集まって飲むこともあれば、今まで外で飲んでいたものが自宅にスライドされて飲む。

蛇口を閉めたらあっちがプシュー!というのはそういうことで、お酒を飲む人の飲酒の総量は基本的に変わらないのである。

しかし、今まで外で飲んでくれていたクソ亭主が家で飲むようになり、家で酔っ払い乱れるという事態は離婚の種になるかもしれない。

ともかくも路上で飲むのがトレンドになるのは、コロナ対策が信じられていない証であり、政治が信じられていないからに尽きる。

そんな路上飲みは江戸時代末期の「ええじゃないか」のようなものかもしれない。

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