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他人の財布の中身はわからない

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結月でございます。

開高健という作家がどうしてもわからないものは、「女の心」と「他人の財布の中身」だとどこかで書いていた。

女の心がわからないのは、そりゃあんなダンディズムで生きているのだから女のことなどわかるはずがなく、それは開高さんがわからないだけであって女の心をわかる人はいくらでもいる。

ところが「他人の財布の中身」は個人的な性格によってわかる能力があるとかないとかではなく、一般的にわからない。

わたしの知り合いにも金はまあまああって、毎日悠々自適に生きていたと思っていた人が亡くなってみると、実は金がなくて、金を借りてばかりだったことがわかった。

もちろんその逆もあって、見るからに貧相で、住んでいるところもパッとしないのに実は金持ちだったという例だってある。

ともかく、他人の財布の中身だけは外から見ただけではわかるものでなく、なんとなく金はありそうだな、なさそうだなとはわかっても具体的な金額となると本人だけが知ることとなる。

ところで金がいくらあれば金持ちという称号を得られるのか? これは定義できるものではない。

東京の一等地に住んでいても家賃が高ければ出費が大きいわけで、同じ100万円も地方の田舎にいるのとではまるで価値が違う。

早い話が家賃25万円のマンションだと100万円はわずか4ヶ月分にかならないけれど、同じ広さの物件でも家賃が4万円だと25ヶ月分、つまり2年ちょっとの価値になる。

年収は1000万円を超えない限り、ほとんど生活での満足度は変わらないという話がある。

1000万円を超えてやっとちょっと気分の違いが出てくるらしい。

それは人間が食べるものにしたって胃袋に入る量は金持ちも貧乏人もそれほど変わらず、そして高い食材を食べたとしてもせいぜい一品あたり1万円ほどの差しかない。しかも毎日高級食材なんて食べていたら嫌になるもので、高級寿司を食べた後は吉野家が食べたくもなる。

だから食べ物というのは思いのほか金額に差が出にくいもので、一般的にはラーメン屋に行って金がないからノーマルのラーメンにする人間がいて、少々金に余裕がある人はチャーシュー麺にするというくらいか。

酒にしたって第三のビールと本物のビールの金額的差は350mlだと数十円といったところ。

あとはクルマというのは金持ちのステイタスみたいなところがあって、金があるといいクルマを買ったりもする。

しかし、700万円のクルマと200万円のクルマは確かに運転の心地よさなどが違うとはいえ、都内を普通に移動したり、買い物に出かけたりするのであればそれが満足度につながるほどの差になるかといえばそうでもない。

さらに新車と中古車もそうで、中古で新車の半値以下であっても状態が良ければ走り心地は新車と変わらない。

となると、クルマでもそれほど金持ちと貧乏人の差は出ない。

結局のところ、金の差よりも幸福度の差が大きいように思う。

金には苦労しなくても不幸そうな人はたくさんいる。そしてその逆も然り。

そして、金を価値基準に置く人は総じて不幸だとよく言われる。

それはなぜだろうか?

きっといろいろな理由があるに違いない。例えば、金の基準で判断するから、人から愛されないだとか。あとは仕事の目的が金になって、生きがいを失うからだとか。

ところで「パーキンソンの法則」というのがある。

昔のイギリスの政治学者のパーキンソンが言い出したもので、

第1法則:仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する

第2法則:支出の額は、収入の額に達するまで膨張する

というものである。

第1法則はどこの会社でもあることだし、コンビニのバイトですらあり得る。やるべき仕事は終えたはずなのに仕事のために拘束された時間が残っていれば結局その時間がなくなるまで仕事を増やす。

コンビニのバイトであれば、客はいなくて品出しも終わっていて、正直やる仕事はなくてもシフトに入った時間がまだあれば、やってもやらなくてもいいような雑巾掛けをしてしまうなど。

第2法則もありがちで、節約しようと思っていても結局人間はあるだけ金を使ってしまうというもの。

身近な例だと、でかい冷蔵庫を買ったら、食べきれないほどの食材を買ってしまうなどもそう。

大きな家なのに物が多く、歩けるスペースすらもなくて狭いというのもその典型。

つまり、収入が高くて大きな家を買っても、その収入の額に達するような買い物をしてしまい家が狭くなるとか、そうなるとさらに広い家に引っ越したりと満たされることがないループにはまる。

大きい家を買っても物が多くて空間が狭ければそれは実質小さなアパートに住んでいるのと同じ。

確かにこれでは満足は得られない。

じゃあ、節約すればいいのだろうか?

しかし、タバコは金がかかるとタバコをやめたら、タバコ代が浮いたぶん、そっくりそのまま趣味につぎ込んだという話もある。

金がない、金がないと必死に働いて、給料日までは節約に徹してもいざ給料をもらうと「自分へのご褒美」と言い訳をして要らないものを買ってしまったり、値が張った酒を買ってしまったりもする。

どうも金を価値基準にすると終わりがないから幸福にはなれないらしい。

物質界で生きている以上、金がないのは困るけれど、金が幸福を生み出すものでもない。

ちなみにわたしが最も幸福だと感じる時間は猫と一緒に過ごしているときである。ここには一切、金という概念がない。

とまあ、他人の財布の中身は見かけではわからぬものだけれど、金の有無にかかわらず、幸福そうか不幸そうかはなんとなくわかるものである。

いやしかし、幸福という奴も厄介で、これも目的にすると逆に不幸になる。その点では金と非常によく似ている。

幸福をキーワードにする悪徳宗教が多いのもそのせいで、幸福なんかを目的にしたがために騙されたりもする。

結婚詐欺があるのは、結婚イコール幸せだという盲信があるからであり、それを信じるから詐欺が成立する。

しかし、他人の財布の中身がわからないのは「金は天下の周りもの」だからだろうか。

いっとき金があっても、短期間でスッカラカンになることだってあるし、ずーっと貧乏でも大器晩成で裕福になることもある。

金は人間が生きている以上、ぐるぐると循環する。出て行っては入り、入っては出て行く。

そして、留まる金は腐るという。

だから金を価値基準にして生きると不幸になるのだろう。

さて、他人の財布の中身はわからないと言ったけれど、わかる人たちがいる。

それは税務署。

マイナンバーカードを取得すると政府によって銀行口座の貯蓄などが丸わかりになり、お上に持っていかれるなどと本気で警戒してしまう左翼的な主張もあるようだけれど、そもそも通知カードで個人番号は全国民に与えられているので、それが物質として紙の通知カードなのかプラスチックのマイナンバーカードであるかの違いで、中身は同じ。

マイナンバーカードで政府に貯蓄という秘密がバレるのであれば、すでに通知カードの時点でバレている。

いやいや、マイナンバーカード以前に税務署は貯蓄を調べることができる。

要するに税法上NGなお財布の中身は税務署が調べられるわけであり、それは税務署のターゲットになるかどうかにかかっている。

マイナンバーカードの取得で銀行口座がバレることを恐るということは、もしかしてNGな金があるってことだろうか?

思えば、税務調査を考えてみても、金がたくさんあるからと言ってハッピーであるとは言えず、やっぱり金は価値基準にしないほうがいいようである。

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