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大腸内視鏡ケツ毛問題

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結月でございます。

恐怖の大腸内視鏡検査が近づきつつも、以前、Googleでネット検索していたら大笑いしたことがある。それは「大腸内視鏡」という検索キーワードを入力すると、

「大腸内視鏡 ケツ毛」

と、候補が出てきたことで、

ブハハハハハ! 笑っちゃうよ!

なるほど、ケツ毛をどうすべきなのかはGoogleで候補になるほどトレンドだったのか!

確かにこれは男女関係なく、お尻からカメラを突っ込まれることを考えれば問題としてはある。

相手は医者なのだから、ケツ毛がボーボーでも何も気にしないに決まってると思いながら、ウブな患者は気にしてしまうというわけか。

このあたりは患者の性格も二分するところであり、服を脱ぐことにも全然気にならないドライ派もいれば、誰も気にしてないのにウジウジとするのもいる。

ちなみにわたしは着付けを教えていて、着物を着るには洋服を脱がねばならないが脱ぎっぷりがいい人のほうが着付けは上手くなるケースが多い、という結月統計。

やはり割り切りが大事だし、そもそも割り切ろうとするのではなく、脱ぐもんだから脱ぐのは当たり前じゃん?と現実だけを普通に考えられて行動できる人はだいたい何をやらせてもちゃんとできる、とわたしは思う。

医者を相手にパンツを脱ぐのを躊躇したりという性格だと、仕事の現場でも思い切りがなく、メンタルが弱すぎて物事が前に進まなかったりするのではないだろうか。

そもそも「あんたの裸なんて興味ねーし」と他人は思っているのに、自分だけ恥ずかしがっているという図式は物事を進めるにはとても要領が悪い。

昨日、見ないものは存在しない、というテーマのお話をしたけれど、医者の前でケツ毛の処理を考えたり、服を脱ぐのを躊躇ったりする人は、きっと「見えないものは存在しない」、もっと言えば「関心ないものは存在しない」という原理がわかっていないのだろう。

すなわちこれは自意識過剰という病であって、スターでもないのに自分が注目されていると思われるのはちょっと困る。

自意識が過剰だと、ちょっと相談したら解決するようなことでも相談できず、一人悩んでますます最悪な状態に進み、二進も三進もいかなくなってバレてしまって、

「なんでもっと早く言わないの!」

と、叱られて周囲にも迷惑をかける。

借金もそうだし、病気もそう。

体に異変があるならすぐに医者に相談すればいいのにこれを我慢して放置し、大病になって莫大な治療費が家族にかかるなどなど。

と、そうならぬように数値がちょい高でも大腸内視鏡を即断したわたし。

ともかく、一人で生きているならいいけれど、人間関係が発生する家族や職場では医者の前でパンツを脱げないタイプは面倒を起こしやすく、チーム力を下げるに違いない。

この精神は山登りでも必要で、半日かけて登るような山だとトイレがない。半日ならギリでなんとかなるかもしれないが、膀胱パンパン状態だと実力も発揮できない。

だから、山の中でもサッとパンツを下ろせる性格がいいわけで、どうせそうしたところで目撃するのは鳥か蟻くらい。

万一、他の登山者に見られたとしても、登山中は誰だってキツい思いをしているから、そこまで視野は広くないし、それを発見するだけの余裕もない。発見したとしても、

「ああ、トイレね」

と、思うだけで、他人からすれば昨日の晩、何を食べたかよりも価値がない出来事。

それを気にしているのは他ならぬ自分だけであって、これも自意識。

わたしは4歳児と暮らしているけれど、小さな子はそのあたりがあっけらかんとしていて、自意識がないから何事もオープンで頼もしい。

これはAEDでも同じであって、相手が女だと躊躇する男がいたり、自分が死にそうなのにブラを剥がされることをセクハラだと思ったりする女がいたり、どうも自意識というのは面倒らしい。

ちなみにわたしはAEDの扱いは自動車学校で教わったけれど、もちろんすっかり忘れてしまっていて緊急時には対応できない。だから死にそうな人がいても操作に手間取って、取説なんかを読むうちにし死なれると困るから、最初から見て見ぬ振りをすると決めている。

操作方法がいまいちわかってないのにここで出しゃばるとちゃんと操作を知っている人が名乗り出にくくなるし、そこは意識高い系に任せる。

とはいえ、そこにわたしだけしかおらず、しかもなぜかAEDが設置してあったらどうだろうか?

う〜ん… 美人なら助ける。

と、耽美主義なわたしが美人が大好き。そうでなければ知らん。いやいや、助けたとして、ブラを剥がされることに躊躇われたら、

「ブスのくせに何様だと思ってんだ!?」

と、そのまま放置して立ち去ろう。

こういうことはちゃんと、はっきりと言っておかねばならん。自意識過剰になるほどの実力もないくせに自意識過剰になるとはけしからん。そこを、

「あっ、すみません…」

なんて言うから、余計な自意識を助長させる。

と、本当にそんな場面があったら、耽美主義のわたしはどうするか? この話が冗談であるのか、自意識過剰を叱咤して放置するのか?

それはわたしにもわからない。耽美主義とは残酷であり、美しいものには至れり尽くせりであっても、美しくないものには興味なし。

一方でヒューマニズムもなくはないし、助けたお礼にすげえ大金がもらえるかもしれん。

そんなお礼だけれど、もし命を助けてそのお礼がモロゾフのプリンなんかだったらその場でぶん殴りたい。

あんたの命、モロゾフのプリンと同程度なワケ!?

でも、お礼にかけてはケチすぎる小市民的な日本では本当にありそう。折詰のお菓子とか、そんなものを持ってくるくらいならお礼なんかなしで、放っておいてくれたほうがいい。そうすれば、もう会わぬ人に対して、

「あ〜 自分はいいことした人間だよな… だって人の命を助けたんだもん」

と、ちょっとした武勇伝になって、知り合いに自慢できる。

ところが会わなくていいのにプリンなんか持ってこられたら、そのケチぶりに憤慨して、

「助けなきゃよかった!」

と、わたしのヒューマニズムは憎悪に変わり、武勇伝は後悔に成り果てる。

というわけで、もし助けるとしたらお礼に関しては恩義がデカい中国人を助けるとしよう。

さて、そんな馬鹿な話をしつつ、言われてみれば自分のお尻の穴なんてそう自分で見ることはなく、大腸内視鏡でその毛の有無を気にするってやっぱり自意識過剰なんだと思うよ。

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