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「話せばわかる」は大嘘

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結月でございます。

明日は恐怖の大腸内視鏡検査を控えるわたし。今朝、4歳になったばかりの愛娘を保育園に送るためクルマに乗っていて、後部座席のジュニアシートに座る愛娘に明日は病院へ行かねばならないことを話す。

「明日はお尻からカメラを突っ込むんだよ〜」

すると、4歳児は、

「ゲラゲラゲラゲラ〜」

それはそれは大喜びで、

「あのさ、あんたは笑ってるけど、こっちは大変なんだよ」

と言いつつも、その天真爛漫な笑い声を聞くと、検査も恐怖でなくなってくる。

「お尻の穴からはカメラは入らないでしょー!」

と愛娘。

「いやいや、蛇さんみたいな細長いカメラがあるんだよ」

「蛇さんにお腹を噛まれちゃうでしょー!」

うん、それは言えてる。もしポリープがあればその場で切除するわけだから、カメラには牙があると考えていい。

しかし、可愛い盛りの年頃は一緒にいて楽しいけれど、勉強を教えるのもちょっと前のように単純ではいかなくなってきた。

好奇心だけでは自分の好みなものしかやらないし、同時に人間にはやりたくなくても必要なものがあって習得しなければならないこともある。

とにかく、将来は頭脳の優劣によってほとんどが決まるのは今の時代で、頭脳がなければ肉体の仕事しかできない。肉体は衰えるから長く続けることができない。それは男も女も。

物事を理解する基礎的な頭は必要で、これを小さな頃に築き上げられていないと大人になってからは、

「話の通じない面倒な人」

として扱われる。

どんな変人でもいいけれど、基礎的な物事が近いできないとコミニュケーションが成立しない。

例えば芸術分野には変人が多いとはいえ、話すとちゃんと話せる。それは芸術の表現世界が世間から逸脱しているだけであって、その人が基礎的な能力がないわけでないから。

しかし、何を言っても、何をどう丁寧に説明しても理解が通じず、しまいにはキレたり、論理性が欠如した理不尽を自己主張して聞く耳も持たない、そんな人間は話が通じない。

「話せばわかる」は嘘であり、いくら話しても会話が成り立たない人は思いのほかいるもので、人間関係のストレスは総じてここにあり、会社なんかでもそういう人がいるとまともな人が苦労して、鬱病になったりする。

そして「話してもわからない」人は自分が理解しないことを理解しないからダメージがなく、自分が駄目だという視点がないから平然としている。

これは「バカの壁」というわけで、分かり合えないものは分かり合えない。

そういう相手とは話をしないほうがよろしく、壊れたロボットのようだと思うしかない。

常識がない相手の都合に合わせるほど不毛で、かつ無駄で、常識あるほうが疲弊するものはない。

自分の精神を守るためにも、そういう相手とは関わらないほうがいい。

そんな面倒な人になってほしくないから、4歳の愛娘には今のうちからかなりいろんなことを教えている。

そして同時にそれだけだと枠の中でしか生きられない人間になるから、どうでもいいことに関しては好き勝手にやらせていて、制限を加えることはしない。

受験勉強だけできる人間も社会では苦労するし、そういう時代でもない。

クリエイティブな発想と生き方ができなければ、これからは苦しい。

それがコロナ禍のせいで加速することは確定していて、それを知っているかどうかでかなりの差が出てくるだろう。

芸術的絵画のように枠から逸脱するダイナミズムがあって、かつ絵筆の使い方は知っているのがいい。

観光地の絵葉書のように枠に収まった体裁のいい絵では言われたことだけやるサラリーマンであるし、企業のあり方が急速に変わっている今、それでは生きていけない。

芸術的絵画は何億年も値がつくけれど、絵葉書は100円なのである。それくらい価値と能力に違いがある。

しかし、絵葉書の絵にもならないのは困る。行き先がない。

だから、何においても基礎的なことは大事で、それが基礎教育であり、これは大人になってからでは身につかない。

会話が成り立たないと思った相手とは話さないほうがいい。それは自分のためにも。

何度合わせてもすぐに狂ってしまうような時計。

そこに正確な時刻を求めても無理なのだから。

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