結月でございます。
先日、コロナワクチンをめでたく接種したわたし。喘息持ちということで申請したら年齢枠を飛び越えて接種券をもらえた。喘息持ちであることで初めてメリットを感じた出来事。
首相官邸のホームページを見ると、今日の時点で2回接種を終えた割合が人口比で20.3%。1回接種となると32.2%。
ということは日本国民の10人に2人は、ほぼコロナに感染しない状態になっている。
1回接種で10人中3人ちょっとの割合であるから、わたしは10人中3人に入っているというわけか。
そこそこレアというか、過半数未満なことを考えると、早く接種して自慢したかったわたしとしてはまあよかったかななんてくだらない競争心を持っている。
ところでオーストラリア政府が制作したコロナのCMがエグいというので見てみたら、それは鼻にチューブをされ、呼吸困難で苦しむ女の描写だった。
コロナは肺炎を誘発するから、そうなった場合はあんな感じであるというリアリティで、CMは女優であってもコロナを受け入れた病院の医者からすると、
「あんなんだよ」
みたいであるらしい。
描写が生々しくてエグいから削除してほしいなんて声もあるらしいけれど、わたしはあれを見て、な〜んとも思わなかった。
なぜなら、喘息持ちのわたしはひどい発作が出たらいつもあんなのだったから。
発作は得てして夜中から朝方に出やすい。そうなると激しい呼吸困難で横になることもできず、ずっと肩で呼吸をして、本気と書いてマジと読むほど苦しい。それは処方しないと何時間も続く。
発作がひどかったのは小学生から高校にかけてで、ほぼ毎晩、オーストラリア政府のCMさながらの状態だった。
発作は放っておいても治らない。病院で吸入しないと治らないのである。
だから、夜中に発作が出ると、いつも父に車で救急病院まで連れて行ってもらっていて、すると真っ暗な病院の入り口で守衛に玄関を開けてもらう。ほとんど消灯された待合室で呼吸困難で喉をゼーゼー鳴らし、肩で呼吸をしながら待つと、夜勤の看護婦がやや眠そうな顔をして来てくれる。
医者はいない。部屋に案内され、吸入器に薬を入れると太いチューブから薬が混じった霧が出て来て、それを吸うのである。タイマー仕掛けになっていて、大体10分くらいで終わる。
それで治ることがほとんどであっても、ひどい発作のときは10分では足りず薬剤を追加される。
看護婦によって薬の濃度が違っていて、薄い日もあれば濃い日もある。わたしはいつも濃い霧を歓迎していたけれど、薄いと効きが弱い。
ともかく、吸入するとようやく治って、空気が心地よく気管を通る。
家に帰ると、疲れ切ってすぐに眠る。なぜなら何時間も呼吸困難でコロナCM状態だったのだから。
なぜ何時間も呼吸困難かというと、発作が出てもそれに父が気づかないで寝ているからで、あまりに激しい喘鳴にようやく気づいてもらえるまで数時間はかかるのである。
起こせばいいだけの話だけれど、起こすのは気が引けたし、そういうことを気安く頼める人間関係ではなかった。
吸入を終えて、ようやく解放されても、悪いときは家に帰って再び寝るとまた発作が出て、同じ日にもう一度救急病院へ行かなければならないダブルヘッダーもあった。
病院にあった吸入器が家にあればよかったのだけれど、あれは買えば当時で10万くらいして、多分高かったから親は買わなかったのだろう。
そんな喘息も大学へ行く頃には随分治っていて、でも発作が出る時はやっぱり出ていた。
しかしながら、その頃には画期的とも言える携帯用の喘息吸入器が普及して、それは咥えてシュッとスプレーするだけで数秒で発作が治る。これには感動した。まるで魔法だと思った。
それが開発されたおかげで、ひどくなる前にすぐに「シュッ」とするからコロナCMほどの呼吸困難にはならなくなった。
でも、今でも必ずバッグには吸入器が入っていて、どこに行くにも持って行っている。旅行先で発作が出ると大変で、それは中学生のときに何度も経験して病院がなく死にそうな思いを何度もしたから。
とまあ、そんなこんなで気管支がやたらと軟弱で過敏であるものだから、すぐに喉を痛める。
ここ数年は振り返したように咳が止まらず、どうにもこうにも苦しい思いをしたけれど、栃木に来てかかりつけの医者を持って、ステロイド吸入など、その他、炎症抑制の薬をもらうようになって今年は何度かやばい時があったにせよ、ひどくなるところまでは行かず、踏みとどまっている。ちなみに去年はひどかった。
ともあれ、医学の進歩はいいものである。
携帯できる吸入器。あんなすばらしいものを開発してくれたおかげで、わたしは毎晩、呼吸困難で苦しんでいたことから解放され、どこに旅行するにも気兼ねがなくなった。
そして、コロナワクチン。なんてすごいものを発明したんだなと感動する。驚異的な有効性。2度接種するだけで、コロナを心配しなくて済むようになる。しかも安全。
ワクチンを打つか迷っている、なんて悠長なことを言う人はきっと健康体で、病気の苦しさを体感したことがないのだろう。
だったら、一度コロナにでも罹って血中酸素濃度が低下するほどの呼吸困難を体験してみればいい。呼吸できないということがどれだけ苦しいことか、何も考えずに呼吸できるということがどれだけ素敵なことか。
わたしが医学の進歩に敬服しながら、「趣味・病院」で医学の恩恵を身体中に浴びている。
だから、コロナワクチンもいち早く打ちたかったし、2回目も楽しみで仕方がない。
やらなくちゃいけない企画もあるし、愛娘はまだ4歳。猫も3匹いる。そんな責任を維持するためにも医学はわたしを支えてくれるものなのである。
しかし、オーストラリアのコロナCM映像は、昔の喘息発作を思い出して、ちょっと懐かしかった。