結月でございます。
ミニマリストを目指すのは間違いで、自然にモノが要らなくなって、モノがなくなっていくのがいい。結果的にミニマリストになっている具合に。
例えば食器。東京から栃木に来るとき、食器はかなり処分した。それでも食器棚にはまあまあ残っている。
わたし一人である場合、必要な食器は以下の通り。つまり、現実的に使っているものは、
① オンザロック用グラス
② パスタ用深皿
③ 刺身用小皿
④ 掌サイズの小皿
⑤ ピザ用大皿
⑥ ラーメン鉢
とまあ、これくらい。
お酒を飲むのはオンザロック用が一つあればほとんど事足りる。日本酒もそこに注ぎ、ワインも注ぎ、焼酎もオッケー。もちろんお茶も飲める。ちなみに現在使っているグラスは、昔ニッカのブラックを買ったらおまけでついてきたもの。
パスタ用の深皿は中国料理を盛るのにも使える。刺身用の小皿はなんでも使える。ピザが好きだからピザを載せられるサイズの皿。もちろんピザ以外でも活用。ラーメン鉢は中国の景徳鎮の蛍焼き。安物だが気に入っている。スープもオッケー。
箸は竹箸を使っていて、100円ショップで買ったものだが、丈夫で使いやすい。そして安物だから古くなれば愛着なく容易に捨てられるところもいい。
すなわち、食器はこれだけあれば事足りる。なのに刺身用皿がいくつもあったり、無駄が多い。
次は調理器具だが、中華鍋が一つあればなんでも作れる。
中華鍋は実に優れていて、中国料理はもちろん、ステーキだって焼ける。スープも作れる。パスタも湯がける。ラーメンも作れる。ブイヤベースだって作れる。なんでも作れる。
わたしは家庭用ガスコンロで使える最大サイズの中華鍋を使っていて、これは鯉を煮込める大きさなのである。
食卓はどんなにバラエティに富んでも現実的にはこれだけでいい。
いや、まだこれでも多いくらいなのである。食べるものがもっと質素になれば、ラーメン鉢と小皿だけでいい。
食器棚に使いもしない食器が積み重なり、必要な食器を取り出すのに手間取るのはすこぶる嫌だ。棚の奥にいつしか追いやられた食器は使いもしないから棚の中で埃をかぶっていて、いざという時取り出すと埃臭かったりして洗わねばならない。
埃を被るということは、すなわち「要らない」ということ。なくても生活にはまったく困らない。それなのに密かに場所を取って、賃貸であればそこに少なからず家賃を払っている。
服も同様で、普段着や仕事で着る服なんてたくさんは要らない。クローゼットが着ていない服であふれていると頭が悪そうに見えるし、下品な感じがする。服への欲望がカビ臭く蓄積されているようで、無駄な服、サイズが合わない服、流行違いの服でいっぱいなのは嫌なものだ。
電車に乗っていて他人の会話で小耳に挟んだ内容のため真偽はわからぬが、北川景子はミニマリストで「服は一着買ったら一着捨てる」らしい。
なるほどいいアイデアだと思う。
とにかくモノが多いというのは、物事をわかっていない、まだまだ人生訓に乏しく、精神が貧困である証拠だと言いたい。
音楽のCD。
わたしは結構の数のクラシックCDを持っているけれど、すでにその大半は聞くことがなく、最終的にあればいいのは、
① モーツァルトの交響曲
② バッハの無伴奏
③ モーツァルトのレクイエム
たったこれだけ。ベートーヴェンは要らない。うるさいし、押し付けがましくて鬱陶しい。
さて、本は電子書籍の普及で随分助かっている。本とは読んでしまえばゴミだから。どんな優れた本でも「読み滓」。
思えば、生活に必要なのは、布団、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジくらいだろうか。
冷蔵庫の中身もスカスカでよろしく、マヨネーズやケチャップなど常備品以外はそれほど要らない。なぜなら、日本は物質的に恵まれているので、貯蔵しておかなくとも元旦でさえスーパーが開いていて、その都度新鮮なモノが手に入るから。
そんな生活関係以外では、わたしは以下の3点だけにしたい。
① iPhone
② MacBook Pro
③ 猫
これだけでいい。
事実、仕事をするのはアップル製品で事足りているし、あとは猫がいてくれるだけでいい。
さらに言えば、人間関係も無駄に多い必要はない。本当に必要な、大事な人がいてくれるだけで十分で、かつそうであっても会うのは多くて週に一度がいい。
たまに会ってお酒が飲めて、たまに会ってくだらない話をして、仕事関係であればWIN-WINでいられるくらいに仲が良く、下半身のことがあるならセフレ以上愛人未満くらいが望ましい。
どれもこれも本当に必要な食器くらいの数で十分ということ。
しかしそれは身軽でありながら、物事の本質を太く捉えている生き方であり、無駄にモノが多い人間とはその奥行きにおいて雲泥の差があるのである。
食器を捨てられないのは貧乏性だから。食うことに安っぽい執着があるから。
本を捨てられないのは自分が頭がいいと思いたいから。
食器がたくさんあるよりも、一つの皿に一つの中華鍋でいつでも幾種類でも料理を作れる人間的な実力のほうが魅力的であるはずじゃないかな。
そして、わたしにとって最も大事なのは、
「猫」。