結月です。
民放のBSで映画『バットマン フォーエヴァー』なるものをやっていたので5歳児と一緒に観てみた。とりわけ興味がある映画でなかったのだけれど、ニコール・キッドマンがあまりにも美しすぎて、美人が大好きなわたしはその美貌を見るためだけに映画を観たのである。
1995年の作品で、美貌全盛期のニコール・キッドマン。
スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』はトム・クルーズと夫婦のまま出ているけれど、このニコール・キッドマンの美しさは水爆級の迫力。
しかし、今は整形手術にハマってしまって、ボトックス打ちすぎでヤバいらしい。やはりあれだけの美貌を持ってしまうと失うのが怖いのだろう。
ニコール・キッドマンの魅力は誰もが観ても美人だと認識できる美形に、色気が漂っていて悩殺的であり、かつ知的な雰囲気が漂うからその色気がアンビバレントに倍増しているところ。
『バットマン フォーエヴァー』だけの演出かわからないけれど、いつも口を半開きにしている。
口が半開きの女は肉体の誘惑をしている象徴であり、でも映画では精神科医という知識階層にいる役で、つまりアンビバレントな演出をしている。何せバットマンに惚れているのだから。
ニコール・キッドマンは普段から口が半開きではないはずで、普段から半開きはすごく頭が悪い女となる。口呼吸をしているとアホになるというのは医学的に脳の働きについて言われるけれど、見るからにボケーとしている半開きは頭の悪さの示してしまう。
マリリン・モンローはそんな白痴美だったわけだが、それは演出でなく本当に口が半開きだった。
さて、ネットの記事で旅館の布団はチェックアウトするときには畳まないでほしいという旅館従業員の投稿があったが、このことは何年か前にもバズった内容。
旅館は客が帰った後の部屋を忘れ物がないか調べなくてはならず、さらにシーツも別にするから畳まれるとまた広げなくてはならないから面倒とのこと。
日本人のマナーとして自分が寝た布団は畳むというのがあるから、ぐちゃぐちゃのまま放置してチェックアウトするのはちょっと気が引ける。だらしのないものを他人に見せたくない。いわゆる恥の精神である。
そんな日本人の一人であるわたしはフランスでホテルを転々をしていたとき、ベットのシーツやらは簡単に整えてからチェックアウトしていた。ひとりだから部屋では本を読むくらいで、そもそも乱れてはいないのであるが。
しかし、アメリカ人の団体がチェックアウトした後の部屋を垣間見たことがあって、それはひどかった。テレビは付けっぱなし、スナック菓子は床やテーブルに散らばっていて、ベッドはぐちゃぐちゃ。
アメリカ人と一口に言っても、アメリカの田舎出身かNYのハイソかでまるで違うだろうが、あのスナック菓子の散乱は共和党トランプ支持で田舎出身といった感じ。
ちなみにわたしはトランプのことは嫌いじゃない。
あとは飲食店で皿を重ねないでほしいというのもあった。これ、すごくわかる。わたしは食べた後の食器を重ねる奴を見るとぶん殴りたくなる。
油物など食べた後に食器を重ねると皿の裏まで油汚れがついてしまって洗うのが大変なのである。
だから、皿を重ねる奴は紛れもなく食器洗いをしたことがない種族に違いなく、テーブルのスペースを空けようとしか考えてない自己中に違いない。
皿を重ねたほうが片付けるときテーブルを往復せず一度で済むと思うかもしれないが、皿の裏にこびりついた油汚れを落とす手間のほうが大変に決まっている。ともかく、わたしは汚さなくていいものをわざわざ汚す行為が許せなくて、つまり美意識が許さない。
皿洗いの従業員だって、
「余計なことしてくれやがって…」
と、ブツクサ言いながら皿の裏側を洗っているに違いなく、そういうところに想像力が欠落している人間が飲食店で皿を重ねる。
それに皿を重ねるのは貧乏臭い。
大家族の貧乏臭さが漂う。
さらにいえば、日本人は小皿を使いすぎである。ちょっと違う料理があると、新しい皿を出してくる。日本人のこういう無駄な潔癖性はわたしが大嫌いで、そういう点では中国人と食事するほうが気楽でいい。
中国は直箸だし、取り皿もひとつで十分で、皿の上で料理が混ざることなど気にしない。
だから実に効率的に食事ができるのである。
これは日本人と中国料理を食べに行くと取り皿ばかりが増えて邪魔で仕方がない。それにちまちまと皿を変えるところに神経症を感じてしまい、
「アホちゃう?」
と思う。
いきなり話は変わるが、観光地で写真を撮るときにマスクしたままピースをしている人が結構いて、
「アホちゃう?」
と思う。
ようやく政府もそんな場所ではマスクは不要と言い出したが、観光地に来て写真を撮るときもマスクを外せないというのは感染防止ではなく、完全に強迫神経症である。顔の半分以上覆面にするなら最初から写真なんか撮るな。
さて、話は戻ると、家庭内でも飲食店でも食べた後の皿を重ねるのは田舎者率が高いのではないか。
家庭内で皿を重ねるのは明らかに食器洗いを母親などにやらせているから洗いの苦労を知らない亭主関白系である疑い、そして飲食店でそれをするのは高級な店を経験したことがない疑い。
東京など都市部はそれほどでなくとも、日本は地方の田舎では脈々と亭主関白は息づいている。
それに田舎は高級な飲食店がない。場末の小汚い個人店も多い。
そもそも飲食店では、皿を扱うのは店員であり、客がわざわざ皿を重ねるのはおかしい。皿が邪魔なら店員を呼んで引き上げてもらう。
高級店となれば尚更であり、客が自ら皿を重ねるなど愚かすぎる行為で、店のほうから馬鹿にされる客である。
皿を重ねていいのは回転寿司だけであると認識すべきで、だからこそ回転寿司は安物の店なのである。
とまあ、皿を重ねると「お里が知れる」というわけで、これは店の皿洗いスタッフのためにもやめたほうがいい。
店のスタッフはまとめて皿を重ねるのであれば良しとしよう。そんなことをする店は安い居酒屋などで、そんなところのスタッフは皿を重ねて気にしない田舎っぽい人かもしれず、店の都合としてはたくさんの皿を一度にお盆に載せて運んだほうが楽と考えていることもあるし、さらにスタッフ同士で皿の裏に油汚れがつくと洗いにくいという意思疎通ができていない可能性もある。
でも、客の立場で皿を重ねるのは余計なお節介だし、貧乏臭くて美しくない。
そういえば、大昔、映画学校にいたとき打ち上げがあって、同じクラスに飲食店でバイトをしていた女の子がいた。その子はさあお開きというときに店から大きなお盆を持ってきてもらって、みんなが食べた後の食器を皿を重ねたりしてお盆に並べ、テーブルの端に置いた。
つまり、自分がどこかで飲食店で働いているものだから、そこでの片付けを客であるくせにやって、打ち上げ場所の店のためになると思ったのだろう。きっと飲食店の下っ端はキツい仕事で、その辛さを共有しているつもりだったに違いない。
しかし、こういうのはなんだか偽善的であるし、呼ばれてもないのにボランティアに出かける人の自惚れにも見える。
そもそも客の立場でよその店に来ているのに自分がバイトしている店のルールでわざわざ片付けている。店によってルールは違う可能性も考えず、労働者的貧乏左翼という感じ。
わたしはその子を見て、
「こいつ、マジで馬鹿…」
と思ったのである。
サッカーのワールドカップに行って日本人のサポーターがゴミ拾いをして帰るのと同じ愚かさ。あれで自分たち日本人がマナーがよくて素晴らしいと自己陶酔する。
ああいうのは気味が悪いし、そもそも国によっては掃除をされてゴミがなくなると、掃除の仕事がなくなって困る人たちがいたりする。
大きなお世話でしかなく、そういえばウクライナのために千羽鶴を折るなんていうのも精神的な根っこは同じ。
旅館で布団はそのままでいい。飲食店で皿は重ねるな。そもそも皿を重ねないとテーブルのスペースがなくなるほどチョコチョコ取り皿を使うな。
余計なことはせんでいい。
普通でよろしい。
余計なことをして親切心を自己演出、余計なことをしてマナーがいいと思われたい自己陶酔。
蛇足を通り越して、蛇がムカデになってる日本社会。
そう言えば、コロナの謎感染対策もムカデになってるよね。