結月です。
大晦日なんて全然感じない大晦日。それは時代が大晦日を必要としなくなってきているせいもあるし、だから大晦日に価値がなくなっているせいでもあるし、個人的には年明けには4歳になる愛娘の保育園が冬休みに入り、三日前から3歳児につきっきりであるから大晦日なんて悠長なことを言っていられないせいでもある。
遊園地に行って、ジェットコースター初体験をしたり、道の駅に出かけてお正月用の野菜を買ったり、公園で遊んだり、無間地獄なママゴトに付き合ったり、図形の勉強をしたり、なんかいろいろなことを一緒にやっていたはずとはいえ、それらすべては自分の主体的行為でないせいかほとんど憶えちゃいない。
今日はスーパーに追加の買い出しに出かけ、家にたどり着いたときに、
「あっ!しまった!かき揚げを買うのを忘れた!」
と、年越しそばとして、昨日、下野の道の駅で山芋入りの鹿沼そばを買っていて、そこに入れようと愛娘と話していたのに忘れてしまった。
いやいや、なんか忘れている気はしていた。スーパーにいるときに。でも、落ち着きがない3歳児はカートを自分が押すと譲らず、それでいてよそ見ばかりしてあちこちにぶつかりそうになり、こちらは気が気でない。そんな集中力が奪われた状態だったからかき揚げを忘れた。
しょーがない。再びクルマに乗る気はしないから、もう一度スーパーまで今度は歩いていく。
スーパーにすぐ行けばいいものの、3歳児は公園に行くと言い出し、滑り台やらブランコに付き合うが、寒い。田舎は寒い。
一通り遊んでようやくスーパーに向かうも寒い。歩いておよそ20分。
スーパーに着くと、寒いしお腹は減るしで、買い物を済ませてすぐまた帰る気にもならず、
「ねえ、サイゼリアでピザ食べてく?」
こういうイレギュラーな出費はあまり好まないのだけれど、サイゼに入り、暖を取る。3歳児は大好物のコーンスープをオーダー。
わたしは赤ワインをデキャンタ。そしてピザとパスタを3歳児とシェア。そして愛娘はカスタードプリンをデザートに。
しかし、これだけでも税込みでちょうど1500円なのだから、サイゼのコスパは最高。味もいい。
と、かき揚げだけを買って帰路へ。陽はすっかり沈んで、さらに寒い。
寒い、寒いとお互い言いながら、家に着くと、
「こりゃ、お風呂に入って体を温めないと風邪ひくデ」
と、すぐに風呂をわかす。
そして、まもなく4歳児と湯船に浸かる。
ふぅ〜 ヤバかった。公園の寒さが特に効いた。体の芯が冷えている。熱いお風呂が苦手なわたしも温度を高くしてもじっと湯に浸かれる。
すると気分が良くなり、どういうわけか意識せずにシャンソンの LA VIE EN ROSE(バラ色の人生)を歌い出すわたし。もちろんフランス語で。
ああ、気持ちええわ〜 バラ色の人生やデ。
そういえば、うろ覚えだけれど、寺山修司の『毛皮のマリー』で美輪明宏がバスタブに浸かりながら LA VIE EN ROSE を歌うシーンがあったような…
そうすると、まもなく4歳の女の子は、好きで好きでたまらないアナ雪のエルサの歌、Let it go を日本語版で歌い出す。
「ありの〜ままで〜 空に風に乗って〜 ありの〜ままで〜 飛び出してみるの〜」
歌詞の意味はわかってないくせにアダルトな歌詞だけはちゃんと覚えている3歳児。
くそー!まあいいよ。エルサの歌で。と、LA VIE EN ROSE は撤退し、風呂場には「ありのままで〜」が鳴り響く。
そして、風呂上りには、日清が出してるヤクルトのバッタもん「ピルクル」を二人で一気飲み。
「うめー!やっぱ風呂上がりはこういうの、うまいよねっ!」
とまあ、そんなことをやりつつ、一日中3歳児と一緒にいて、楽しいっちゃ楽しい。でもわたしには生産性はなく、金にもならず、むしろ金は出ていき、クリエイティヴなものが進むわけでもない。とはいえ、それが育児&教育というもので仕方ないのである。自分の生き様は横に置いておくしかないのである。だから保育園が重要なのである。
と、寒い中、苦労して買いに行ったかき揚げを鹿沼そばに入れて食べた。やっぱり鹿沼そばの手打ちはGOOD,GOODER,GOODEST!
思えば、大晦日だからといって、蕎麦なんぞ食べなくても良さそうに思いつつ、まあ、こういう出費があるから年の暮れを味わえるわけで、人間は気分のために金を使うのである。
さて、年越しそばを食べて、絵本を5冊読んで、ギリギリ3歳の愛娘はやっと寝息を立ててくれた。
明日は元旦。夕刻に人が遊びに来るので、それに合わせてお正月の料理は作る。だから大晦日の今は材料だけあって何も作っていない。
お正月らしいものといえば、お雑煮は作ろうかと思う程度で、あとはお正月っぽくないメニュー。
今年は大根が捨てるほど豊作らしく、確かに道の駅で買うと大人のふくらはぎより大きな大根が120円だった。
いやいや、こんなデカいの、いらんのやけど…
と思いつつ、売っているものが全部デカいのだから仕方がない。
スーパーで鶏の手羽元を買ったから、大根と煮込む。この料理のレシピには和風、中国風、フランス風と3種類わたしの中にある。どれにしようかと思ったが、お雑煮があるからフランス風で行こう。
あとは今日の道の駅でキャベツを買った。実は買うつもりがなかったのに大晦日でキャベツ以外はすべて陳列棚が空っぽで、仕方なく買ったキャベツ。だから回鍋肉にする。わたしの回鍋肉はおいしいよ。
さらに栃木の名産、鹿沼こんにゃくも買った。こんにゃくはそれほど好きでないわたしが身銭でこんにゃくを買うのは超絶レアなのだけれど、奥日光某所で売られている玉こんにゃくの煮込みがマグナムマッハ宇宙レベルにうまくて、それを自分で再現してやろうと思い立った。
あとはまあ、テキトーにというわけで、明日は朝からキッチンに立ち、というか毎日キッチンにいるけれど、ちょっと時間のかかる煮込み料理を作りにかかる。
しかし、いつの頃からか、ステレオタイプなお正月気分なことをしなくなったのは。これはわたしだけでなく、多くの人がそうに違いない。
おせち料理なんて正直不味いし、高い。あれは豪華な保存食であって、そりゃうまいわけがない。
おせち料理なんか食べるなら、サイゼリアのほうがうまさでは格段に上。
そんな現実が当たり前になって、だからお正月は価値を失っている。
いやいや、お正月なんて価値がなくていい。会いたくもない親戚に会いに行ったり、そんなもの、煩わしくてたまらん。
と、長年、親戚なるものには会っていないわたしは関係ないとはいえ、親戚関係の煩わしさに悩む人は多く、
「絶交すればいいんじゃね?」
ああ、言うてもうた。こういうことを言っちゃうんだよね〜、アタシ。親戚なんて絶交しろよ。あってもいいことなんてないし。
今年はコロナで帰省も控えめで済むというなら、いいことじゃないか。コロナは悪いことだけじゃない。人間の無駄な付き合いを一掃してくれる。
とまあ、お正月にはあまり価値を感じていないわたしだけれど、時間の区切りがあったほうが気持ちの整理は一度はつくという意味で、お正月推奨派。
さあて、来年は!なんて一応、やりたいプロジェクトは始めるけれど、小さな愛娘の面倒を看る合間をぬって、ボチボチね。
もし大晦日やお正月がなければ、
「来年は!」
と、奮起しにくいんだろうな。
そんな大晦日、LA VIE EN ROSE。