結月でございます。
もう随分昔のこと、パリの街を「ぶらぶら」でなく「ふらふら」していて、11月だったか、思いのほか肌寒かった。
寒いのには強いという自負があるのでいつも薄着なのだけれど、街を歩くとどうも寒い。いつものサンミシェル大通りを歩いていると、革のジャケットやらをたくさん売る店があって、きっとこれは暖かいのだろうと思った。
パリっ子は革ジャンや革ジャケットなど革製品で身を包む人が多く、それはパリの街が東京よりも寒いから。とにかく、歩く人は革の服を着ているというイメージがある。
店の中に入って眺めていると、店員が話しかけてきて。どんなものを探しているのかと訊いてくる。「まあ、ぼちぼち見ているだけなんだけど、とりあえず」なんて答えるもその店員はパリジェンヌらしい顔をした美人なのである。
わたしは面食いだから美人が大好きで、特にラテン系のフランス人、さらに色気があることがノーマルであるパリジェンヌは好きで、美人の言うことならなんでも聞いてしまう欠点がある。
美人パリジェンヌはひとつのジャケットを持ってきて、わたしにサッとそれを被せた。その被せ方が実にナチュラルで、無意識に袖に腕を通してしまった。
鏡に映る自分を見て、それが似合っているかどうかは意識しないのは、わたしが服というものに一切関心がないから。ただ。そのジャケットは暖かい。これなら凍えずパリの街を歩けると思った。そして美人は「似合ってる」という。
とにかくわたしが美人が大好きなので、美人と関わってしまったらそれを買わないわけにはいかない。美人には順従なのである。値段を訊くとラベルを見せてくれた。結構高い。でもフランス美人のことが好きなのである。
と、そのまま買ってしまい、クレジットカードで支払いし、そのまま着るから袋はいらないと告げた。
その頃はまだフランスにユーロが導入されておらず、貨幣はフランスフランだった。1フランがおよそ日本円で20円くらい。
その革ジャケットは日本円で約5万円ほどのもので、革製品と考えればそんなに高いものじゃない。むしろ安いかもしれない。
とはいえ、服には興味なく、自分で服を買うこともほとんどないわたしにとってそれは大きな出来事だった。
着物を除けば、今まででもこの革ジャケットがわたしの最高額。おそらくこれを超えることは今後もないだろう。
そんな革ジャケットを着て、サンミシェル大通りを歩くと、しっくり来る。自分がパリっ子になってすぐに溶け込めた気がした。そして、パリの肌寒さが解消された。
それはパリの労働者のようなスタイルで、
「うんうん、パリはみんなこうだよね」
という姿。
このジャケットを着てパリを歩いていると、自分が異邦人である感覚がなくなる。それまでは日本から着ていた小汚いカーディガンだった。
と、そんなパリらしい革ジャケットも日本に帰ると使いづらかった。
あまりにもゴツくて、山手線に乗るのも俊敏な動きができず、さらに暑い。
東京はすぐに電車に乗るから、寒い日でもそんなに寒さに困ることがない。地下通りなど外にでなくても移動できる。
そしてパリの労働者風はやっぱりパリのもので、東京の風景とは違和感があり、どうにもこうにもしっくりこない。
というわけで、そのジャケットは日本ではほぼ着ることがなく、かなりの年月が過ぎた。
そして今年、12月はそこそこ寒くて愛娘を保育園に連れて行こうとクルマに乗り込むと、スピードメーターのそばにある温度計はマイナス2度であった。
そこでパリの革ジャケットを思い出し、久しぶりに着ることにした。
栃木は東京のように細かい動きをしなくて済むので、そんなに使いづらさを感じることがない。栃木はパリと似ても似つかずな場所だけれど、人が少ないから一人パリっ子な雰囲気でいても違和感がない。
コロナが落ち着いて、面倒な制限がなくなったらパリへ行こう。
そして、猫たちの寿命が尽き、愛娘も大学へ行くようになったらパリにずっとずっといられるようにしよう。